(前日からの続き)
一人の天命を果たさせ
さらに
何十人
何百人
何千人
この
地球上に生きる
すべての人間の天命と
宇宙人類の天命とをつないで
無限のいのちの光を
大神様のもとに
かがやかせる
丁度
この肉体界で
親と子が
情をかよわせ
心をかよわせるように
否
それよりも
さらにつよく深い絆で
神(親)と
人間(子)の
二人ながらの
光の交流が
ずっと奥の奥まで
なされて
十字交叉の
光と愛の世界を
完成させてゆくのです
我々一人一人の存在は
そのための
いのちなのです
誰が
この事実に気付き
誰が
気付かない
というんじゃない
肉体を
もちながら
気付いている人も
いない人も
みんなのいのちを
そのために
用いられるのです
それと
気付かせずに
みんなを
いのちの
本道へと
みちびいてゆく
守護の神霊は
この永遠の
いのちの親である神の愛を
身にしみこませた
みつかいなのです
我々は
生まれながらに
いや
肉体界に
生まれる
ずっと以前から
この永遠の
神の愛に
育てられ
守られて
今
ここにこうして
空気と
霊気とを
呼吸して
生きているのです
空気は
肉体を
やしなう
いのちを
霊気は
我々の
霊体から
ずっと
奥の
からだにまで
神の愛をうけて
生かされている
よろこびを
与えつづけて
いるのです
いかされる
よろこび
これこそ
神から生まれた
神の血をわけられ
神の愛を受けて
ここに
生きている
生きている
我々の
いのちの
みなもとです
すべて
神様に目をむけ
こころを向ける者は
このいかされるよろこびによって
生きています
それは
大神様から
たまわった
いのちに
畏れをいだきながら
よろこびつつ
生きるということであり
そのよろこびも
心の奥底から
おのずと湧いてくるものなのです
なぜなら
人間は
神の愛によって
おのずと生まれしめられた
さながらのいのちだからです
じねんほうにの存在なのです
義務で存在してるんじゃない
神様といのちを
高らかに
うたい上げ
うたい合う
そういう存在なのです
親と子なのですもの
血のつながりがあるのですもの
遠慮なんてありゃしない
そうでしょ
自然な
自然な間柄
自然な
自然なことなんです
(つづく)
一人の天命を果たさせ
さらに
何十人
何百人
何千人
この
地球上に生きる
すべての人間の天命と
宇宙人類の天命とをつないで
無限のいのちの光を
大神様のもとに
かがやかせる
丁度
この肉体界で
親と子が
情をかよわせ
心をかよわせるように
否
それよりも
さらにつよく深い絆で
神(親)と
人間(子)の
二人ながらの
光の交流が
ずっと奥の奥まで
なされて
十字交叉の
光と愛の世界を
完成させてゆくのです
我々一人一人の存在は
そのための
いのちなのです
誰が
この事実に気付き
誰が
気付かない
というんじゃない
肉体を
もちながら
気付いている人も
いない人も
みんなのいのちを
そのために
用いられるのです
それと
気付かせずに
みんなを
いのちの
本道へと
みちびいてゆく
守護の神霊は
この永遠の
いのちの親である神の愛を
身にしみこませた
みつかいなのです
我々は
生まれながらに
いや
肉体界に
生まれる
ずっと以前から
この永遠の
神の愛に
育てられ
守られて
今
ここにこうして
空気と
霊気とを
呼吸して
生きているのです
空気は
肉体を
やしなう
いのちを
霊気は
我々の
霊体から
ずっと
奥の
からだにまで
神の愛をうけて
生かされている
よろこびを
与えつづけて
いるのです
いかされる
よろこび
これこそ
神から生まれた
神の血をわけられ
神の愛を受けて
ここに
生きている
生きている
我々の
いのちの
みなもとです
すべて
神様に目をむけ
こころを向ける者は
このいかされるよろこびによって
生きています
それは
大神様から
たまわった
いのちに
畏れをいだきながら
よろこびつつ
生きるということであり
そのよろこびも
心の奥底から
おのずと湧いてくるものなのです
なぜなら
人間は
神の愛によって
おのずと生まれしめられた
さながらのいのちだからです
じねんほうにの存在なのです
義務で存在してるんじゃない
神様といのちを
高らかに
うたい上げ
うたい合う
そういう存在なのです
親と子なのですもの
血のつながりがあるのですもの
遠慮なんてありゃしない
そうでしょ
自然な
自然な間柄
自然な
自然なことなんです
(つづく)