中年おじさんの散策part2

散策内容を紹介します
七福神・温泉・散策案内が主なものです。

史跡-384 庚申神社

2021-07-20 05:20:17 | 墓・史跡・古墳

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。

この企画は 私が引率します sosamu@ya2.so-net.ne.jp

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ)

 

20210216  大宮 
埼玉県さいたま市大宮区浅間町
            庚申神社
  氷川神社の参道は中山道から南北に2km伸び、両側に美しいケヤキ並木が並んでいます。緑のトンネルのような氷川参道は大宮のシンボルとなっています。
「大いなる宮居」と称えられ、大宮の地名の由来ともなった氷川神社の周辺にはいくつもの集落ができ、門前町を作っていました。江戸時代の参道沿いには、神主の邸宅、神社に所属する境内社や寺院が建ち並び、集落は、宮町、仲町、下町、大門町の四町がありました。その四町から百姓が伝馬役を命じられておりました。その人馬が行き交った道が「元往還」です。
現在の参道や中山道と「元往還」がどのような位置関係であったかは、残念ながら明らかではありませんが、中山道が参道と重なったり、横切ったりするのは好ましくないので、参道の西側の原野が開削され、寛永5年(1628)に新たに「新往還」が開通されました。

 

 

 

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散策 「栃木-155]   みつわ横町歌麿通 ミツワ通り共栄会

2015-06-09 05:10:04 | 栃木

このブログは「中年おじさんの散策」2の継続版です

 

20141030   栃木・商店街
栃木県栃木市相生町
ミツワ通り共栄会
みつわ横町歌麿通
 相生町として大正・昭和初期の地図には記載されておりました。その後道路を中心として、室町・倭町に別れて、現在に至っております。昭和40年代に、三つに組み互いに励まし合いいろいろのイベントを行う事により、商店街の発展に努力してまいり、ミツワ通り共栄会として現在活躍中です。
  庚申神社大鳥居完成に伴い、今迄のブティック・飲食店と共に、観光客・少子高齢化の時代に合わせ多くの人が集まる街に発展しつつあります。
 浴槽ちかくに金魚が泳いでいる「金魚湯」など度言う物もあり非常に庶民的な雰囲気がします。観光地にある住民のための商店街である。 

 

 

 

 

散策 「商店街ー169」 ミツワ通り共栄会

 

日光からの帰路は、東武日光~下今市まで、快速車両。待ち時間40分を利用して車内で一人宴会。

...栃木)で購入して、快速電車にのりかえる。私の非常に好きな車両。大きなテーブルが設置されている。平日、電車も空いている。お酒を飲ませてもらう。 ビールは種類がなく、普段あまり飲まない「アサヒスパードライ」、「ワンカップ」。ワンカップは紙パック...
中年夫婦の外食 2015/04/29 03:36:00

ratuko00.exblog.jp

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史跡-383 幸手市神明内 浄誓寺

2021-07-20 05:09:56 | 墓・史跡・古墳

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20210301   幸手 梅・塚・史跡
埼玉県幸手市神明内     
  幸手市神明内 浄誓寺
浄誓寺 平将門首塚 
関東に覇を唱えた平将門であるが、その後人々がいかに慕っていたかを知る一つの目安に、将門に関する墓や塚が複数残されている点が挙げられるだろう。東京の大手町にある首塚が最も有名であるが、幸手市にも将門の首塚が存在する。
伝説によると、将門が最後の一戦に臨んだ場所が幸手であり、ここで敗れて討ち死にしたのだという。そして首が埋められた場所が現在の首塚であるとされる。さらに一説によると、埋められた首をこの地に運んできたのは将門の愛馬であったとも言われている。
この浄誓寺の近くには、将門の血で染められた木があったことから“赤木”と付けられた地名など、将門にちなんだ伝承が残されている。   

 

 

 

 

 

 

 

 

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