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神楽坂
神楽坂という名前の由来は神社の奉納神楽が聞こえる坂道というところから来たと言われていますが、どこの神社が起源なのかは色々な説がありまして、市ヶ谷の亀岡八幡宮が牛込御門橋の上で神楽を奏でたというのや、早稲田の高田八幡の御旅所、築土八幡神社、赤城神社などもありまして、言ってみれば方々から聞こえてくるんです。私は色々なところから神楽が聞こえてくるから神楽坂という名前が定着したのだと思っていますが、古文書をたどった結果、ここ「若宮八幡神社」から聞こえたのが最初だというのが、今では有力説と言われています。
神楽坂界隈の小路
「神楽坂」の名称の由来について、「江戸名所図会 巻之四」 (天保7年) によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる。 また、「改撰江戸志」 (原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている) には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。
表通りでは散歩する人の姿が見られ、また坂を自転車で駆け上がる人もいる。裏通りに入ると閑静な雰囲気である。都心においていまだ生活感が残る場所である。休日やランチタイムに一部区間が歩行者天国となり、界隈の人でにぎわう。
また、神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転する。午前中は「坂上→坂下」 (早稲田側から飯田橋側へ) であるが、午後は「坂上←坂下」となり、通行する際は注意が必要である。逆転式一方通行となった背景に、その昔田中角栄が目白台の自宅から永田町に出勤し (午前) 帰宅する際 (午後) に便を図ったからともいわれるが、これはタクシーの運転手によって広まった都市伝説である。実際の理由としては、急激な交通量の増加で規制を求める声が上がり、その最中に通り沿いの陶器店に車が突っ込む事故が発生、これが元で規制が行われたものの周辺で大渋滞が発生したことから、1956年に都心から西側の住宅地に向けた一方通行となり、1958年に現在の逆転式一方通行になった。
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