中年おじさんの散策part2-2

東京以外の散策を紹介します。

茨城-175 三国橋

2015-12-15 06:05:56 | 茨城

このブログは「中年おじさんの散策」2の継続版です

 

20141030    古河・紅葉
茨城県古河市
新古河~古河駅
            三国橋
 国道354号が渡良瀬川を跨ぐ地点に架かっている。慢性的な交通渋滞緩和のために、下流に国道354号バイパスとして新三国橋が建設された。 なお、この橋が完成する遥か昔から、この地は渡良瀬川の渡河地点であった。万葉集には古河の渡しとして3首が詠われている。 初代の橋は現在の橋よりも上流の渡良瀬川と思川の合流地点付近(現在は茨城・栃木・埼玉の県境が交差する地点)に架けられた船橋(せんきょう)であった。下総国(茨城県)、下野国(栃木県)、武蔵国(埼玉県)の三国を跨ぐことから、三国橋と命名された。 その後1931年(昭和6年)7月7日に3代目となる橋が永久橋として架けられ[1][2]、その橋の老朽化に伴い1968年(昭和43年)に4代目となる現在の橋が架設された

 

 

 

 

ひな祭りを巡りながら今日は取手、昼は駅前のビル2階で庶民的な飲食店「茶山」で、珍しいタンカレー(辛)。

...古河の寿司屋「都寿司」。...茨城県古河市... 中年夫婦の外食 2010/04/12 09:24:45 ...
中年夫婦の外食 2015/04/24 07:37:00

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茨城-174 みらい蔵  新古河~古河駅

2015-12-15 06:03:21 | 茨城

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20141030   古河・商店街・紅葉
茨城県古河市本町
新古河~古河駅
        みらい蔵
 古河駅西口地区、鍛冶町の由来は江戸時代に野木町野渡から鍛冶職人が移転したといわれ、明治期以降は卸問屋の町として栄えてきました。メイン通りとなる鍛冶町通りには、明治から大正期の店蔵・煉瓦蔵・座敷蔵などの伝統的な町屋が現存しており、この間、街中再生プロジェクト事業として「蔵を活かしたまちづくり」が進められてきました。
  次世代への継承を視野に入れ、歴史的建築物を修復し、新蔵の内に飲食店をご用意いたしました。地産地食による食のコミュニティ施設として、新しい価値観を発信し、古河の魅力づくりの一助として展開してまいります。hpより

 

 

 

 

ひな祭りを巡りながら今日は取手、昼は駅前のビル2階で庶民的な飲食店「茶山」で、珍しいタンカレー(辛)。

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茨城-173 古河宿

2015-12-15 06:00:02 | 茨城

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20141030    古河・商店街・史跡
茨城県古河市古河
新古河~古河駅
            古河宿
 古河宿(こがしゅく、こがじゅく)は、江戸時代の日光街道(日光道中)の宿場。下総国の古河城下に設けられ、現在は茨城県古河市中央町・本町・横山町に相当する。日光街道の江戸・日本橋から数えて9番目の宿場である。
 町割りの特徴は、古河城の主要な出入口が北側にあり、西側に渡良瀬川があることから、城下町・宿場町が城の北側と東側に集中していることである。また、このために城と上級武士の住居が低地にあり、町人や下級武士の住居が台地上となっており、他の城下に見られない個性的な景観をなしていた。

 

 

 

 

 

 

 

ひな祭りを巡りながら今日は取手、昼は駅前のビル2階で庶民的な飲食店「茶山」で、珍しいタンカレー(辛)。

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