中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策(案内)70 「東京中心部北 608」  湯島天神

2021-03-18 06:32:48 | 東京中心 北

このブログは 中年おじさんの散策 の続編です。  コロナで記録が停滞し、作成した案内を紹介しています。

現在も参加者募集しています。現地集合ですので関東近郊の方は参加できます。

参加したい方はご連絡ください。090-3436-8532 ネットでカルチャー(散策・グルメ

 

湯島天満宮縁起

御祭神
 天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)
 菅原道真公(すがわらみちざねこう)

例祭日 五月二十五日
社 名 湯島天満宮
 

 湯島天神は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く、翌十九年十一月豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのである。
その後、学者・文人の参拝もたえることなく続き、林道春・松永尺五・堀杏庵・僧堯恵・新井白石などの名が見える。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
 明治五年(1872)十月には郷社に列し、ついで同十八年(1885)八月府社に昇格した。
明治維新以前は、上野東叡山寛永寺が別当を兼ね、喜見院がその職に当った。
 元禄十六年(1703)の火災で全焼したので、宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を寄進している。
 明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月、後世に残る総檜造りで造営された。

https://www.yushimatenjin.or.jp/pc/engi/engi.htm

 

20160209  東京北 碑・梅
東京都文京区湯島
        湯島天満宮
  湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区にある神社。旧社格は府社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「加賀梅鉢紋」。旧称は湯島神社で、通称は湯島天神。
 古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。また境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」(1942年)は戦中時の歌として大ヒットした。
 平成13年(2001年)、神社本庁の別表神社に指定された。平成12年(2000年)3月31日、「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20200215 東京北 商店街
東京都台東区上野1丁目
  湯島近辺 学問の道
  湯島(ゆしま)は、東京都文京区の町名[5]。現行行政地名は湯島一丁目から湯島四丁目。
   湯島聖堂、湯島天満宮、春日局の墓所がある麟祥院、東京医科歯科大学などが所在。東京メトロ千代田線の湯島駅が湯島三丁目の不忍通り下、東京メトロ丸ノ内線の御茶ノ水駅が湯島一丁目の外堀通り下に設置されている。
 四丁目は民家が中心で住宅街の佇まいを色濃く残している。対して一丁目、二丁目はオフィス、商業ビルが中心となっており、湯島天神のある三丁目はマンションが多い。
 一丁目に東京医科歯科大学(さらに近隣の本郷には同じく医科大学である順天堂大学や東京大学医学部附属病院)があるためか、医療機器や医療器具など医療関連の会社が集積している。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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