と、ふと考えた。
川開き花火。
1733年、川施餓鬼を目的としておこなわれたのが最初だそうです。
川施餓鬼って何だ?
「川施餓鬼(かわせがき)」とは、
水死人の霊を弔うために、川岸や舟の上で行う施餓鬼供養のことだという。
両国川開きのきっかけは1732年に起こった大飢饉。
多数の餓死者、その上疫病も流行し多くの死者を出す大変不幸な年だったようです。
これを重くみた幕府(8代将軍吉宗)は、
翌18年(1733)5月28日(旧暦)、
その慰霊と悪病退散を祈って、隅田川において水神祭を挙行したそうです。
この折、両国湖畔の料理屋が公許を得て、同日川施餓鬼を行い、
花火を上げたといいます。
これが後年、川開きとして年中行事化されていきました。
なるほど、そういう由来があったんですね。
2011年も…
今年の花火を見る心持ちはいつもと違うかもしれませんね。
竹久夢二は関東大震災直後、被災直後の人々の生活の様子をスケッチ
に残しています。
浅草観音堂に集まった大勢の人を描いた作品では、
「人間がこんなに自然の惨虐に逢って
知識の外の大きな何かの力を信じるのを、
誰が笑えるでしょう」
と、述べられているそうです。
*写真は夢二。
「花火」に関して調べてたらこの言葉が・・・
何か繋がっているような気がしてね。
今日は隅田川花火大会です。
雨…降りませんように。。。
スーパーパントマイムシアターSOUKI
江ノ上陽一
川開き花火。
1733年、川施餓鬼を目的としておこなわれたのが最初だそうです。
川施餓鬼って何だ?
「川施餓鬼(かわせがき)」とは、
水死人の霊を弔うために、川岸や舟の上で行う施餓鬼供養のことだという。
両国川開きのきっかけは1732年に起こった大飢饉。
多数の餓死者、その上疫病も流行し多くの死者を出す大変不幸な年だったようです。
これを重くみた幕府(8代将軍吉宗)は、
翌18年(1733)5月28日(旧暦)、
その慰霊と悪病退散を祈って、隅田川において水神祭を挙行したそうです。
この折、両国湖畔の料理屋が公許を得て、同日川施餓鬼を行い、
花火を上げたといいます。
これが後年、川開きとして年中行事化されていきました。
なるほど、そういう由来があったんですね。
2011年も…
今年の花火を見る心持ちはいつもと違うかもしれませんね。
竹久夢二は関東大震災直後、被災直後の人々の生活の様子をスケッチ
に残しています。
浅草観音堂に集まった大勢の人を描いた作品では、
「人間がこんなに自然の惨虐に逢って
知識の外の大きな何かの力を信じるのを、
誰が笑えるでしょう」
と、述べられているそうです。
*写真は夢二。
「花火」に関して調べてたらこの言葉が・・・
何か繋がっているような気がしてね。
今日は隅田川花火大会です。
雨…降りませんように。。。
スーパーパントマイムシアターSOUKI
江ノ上陽一