令和2年の初歩きは吉備の中山でした。参加者は急用で一人減って9名です。
先ずは吉備津神社で手を浄めてスタートです。
ほっこりした🐭の絵馬越しに手を合わせて記念写真を映し、いよいよ歩き始めます。
中山の裾を「まがねふくきびの中山おびにせる細谷川のおとのさやけさ」と歌われた古代の備前と備中の国境で「細谷川」に向かいます。
今見るととても国境だったとは思えないような小さな川です。
明治に創立された宗教法人の「福田海」、牛の鼻輪を納めた「はなぐり塚」(もとは古墳)を見ながら大納言藤原成親の墓に向かいます。
この「福田海」のあたりが成親が幽閉された「有木神社」「高麗寺」があったところです。
途中にも「細谷川丸木橋」の石碑がありました。この辺りの細谷川はちょっと深く幅も広いですが、流れは今は殆どないようです。
「法螺貝の井戸」を過ぎて上ると、明治時代に整備された「藤原成親」の立派な遺跡があります。
何だか温かい感じの墓石と思われる石がきちんと守られています。
少し登っていくと「ダイボウの足跡」があります。結構大きな足跡で体重も重かったようです。
縦横は約20m 深さは約1mあります。水をためての祈りの場だったようです。
すぐ近くに「八畳岩」で大きな岩がゴロゴロしています。
裏から見た方が大きさがわかります。
ここは磐座だったようでこの近くの土中からは土師器の破片などが多く見つかっています。
その先に大きくて結構平たい面を持つ「鏡岩」があります。
鏡の表面は誰かが引っ掻いたような筋が見られますが、岩の持つ特性のようです。
吉備の中山は、様々な堆積岩でできているようで見る場所によって岩の感じが違います。
7代天皇の孝霊天皇の皇子の吉備津彦命の墓と言われている「御陵」に向かって「こもれびの道」を歩きます。
以前は気がつかなかったのですが、「御陵」の囲いのそばに小さな祠がありました。誰のものでしょうかね?
「穴観音」です。ここも古代は御陵をのぞむ磐座だったとの説もあります。