この日の最終目的地の「山田方谷記念館」です。
山田方谷は幕末の備中松山藩の財政を立て直し、大政奉還にも影響を与えた人です。
そのせいか ちょっと離れたところにある遺蹟碑には「枢密顧問官従二位勲一等伯爵勝安房」の名前が記されています。
ここは、彼の母の実家のあったところで明治維新後この地で子弟教育を行って
この地で亡くなりました。
小さな方谷のブロンズ像と一寸大きなブロンズ像が置いてありました。
ビックリしました。
小さなブロンズ像の寄贈者は、高校の先輩でした。
また、大きなブロンズ像は、高校時代の同級生の作品でした。
今まで思っていた同級生の作品とは、一線どころか二線も三線も画していました。
最近は会っていませんが、千足古墳から出土した石障仕切り板の「直弧文」を復刻した作品は古代日本の文化の交流を象徴しています。
こんな作品もありますが、彼のアトリエにはこんな作品も並んでいます。
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