☆日々是好日☆

最凶・最強~荒波乗り越えどっこい生きてる、🐔のひとりごと

簡単に考え過ぎていた脚のコト

2024-01-17 17:22:34 | 日々つれづれ
術後8週間が過ぎました。
早いね。なんだかあっという間に時間が過ぎて行ってしまっています(^^;)
忙しくしていてもダラダラしていても時間が過ぎるスピードは変わらないってどういうコトでしょ?

手術前はサクッと手術してサクッとリハビリしてイェ~イ\(^-^)/歩けるぜいっ❗
ってな感じで軽く考えていました。

現実はそれとは程遠く、、、

家に帰って来てからは動くことひとつひとつに非常に時間がかかります。
両足で立てるけど歩けないって不便この上なし。普通に二足歩行出来ることがどれだけ幸せなことか痛感しております😅

退院した日は前日に眠れていなかった(3時間くらいしか寝てない)事も有り、外を歩いたりシケインだらけの家の中を動き回ったりで疲れが一気にど~んとやって来たものね。
けど日に日に慣れて来て階段の上り下りもやっとスムーズに行く様になりました。

二階に上がって下りる時の事。初日はひとりで下りるのに片方の肩に松葉杖を担いでお尻で階段を下りてみたのだけど、まぁお尻の痛いのなんのってもぉ❗
痛いのは考えてみれば当然の事でね、脚の筋肉だけが落ちる訳じゃない。1ヶ月半以上まともに歩いていないのだから全ての筋力が落ちている訳でしてね。
大臀筋もそのひとつ。ダイニングの椅子が木製なのだけど、座っていているだけでもお尻が痛いのです。クッションが減ってしまっているから(^^;)

お尻で階段を下りるのは止めてちゃんと松葉杖を使うことにしました。
松葉杖二本は不安定で危ないので手摺プラス松葉杖。
必然的に松葉杖が1本余る。でも階段が終わったら二本必要よね。
ってことで、紐で吊るして上げ下げすることにしました❗(^^)



上り切ったら引き上げて、下りる時は上から吊るして下ろす。
これで楽チンです😊

そしてそして~8週間も経つと傷口もすっかり綺麗になりました!

もう鯖の中骨状態ではないね!笑

明日はリハビリ外来。
久しぶりの電車とバスです。

帰って来たらヘロヘロなんだろうな(^^;)

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1月17日

2024-01-17 12:29:41 | 日々つれづれ
もうあれから29年になるんだな。
1995年1月17日火曜日
午前5時46分。ぼちぼち起きなきゃな、、、と布団から出ようとした時に小さな揺れがあり「ん?地震?」と思った瞬間激震が起こったのです。
阪神淡路大震災
その時私の住まいは神戸の灘区。阪神高速道路がひっくり返った山側に位置しておりました。
経験した事の無い揺れにただひたすら布団の上で頭を抱えて揺れが止まるのを待つしかなかったな。
揺れはほんの15秒。
その15秒で街が一気に破壊されてしまった事を知ったのはそれから数時間してからの事だった。
その当時の家は六甲の山の中腹に有って、窓を開けると暗闇の中にあちこちから火の手が上がっているのも見えて先ず頭の中に走ったのは伯父や従兄弟の事。
幸い親戚は皆無事で、子供の頃にお世話になった方々も無事ではありました。

あの時の状況はこれまでも沢山報道されてきたからここでは敢えて書かないけど、あの時報道されなかった事、怒りに震えたことを少しだけ書いておこうと思います。

あの頃日本の政権を司っていたのは某野党。
とにかく動きは遅かったよね
当時の首相が放った言葉は「何分初めての事でして」と。
「いや、あんたもそうかもしれんけどうちらかて初めてや!なに言うてんねん」声を荒げる人がいても当たり前だよね。

私の祖母はよく言ってた
「神戸は地震も無いしエエとこや」
でも実際は断層だらけだったのを後から知ったのだよ。
被害状況がどんどん明らかになってきて、あちこちから報道陣が押し寄せてくる。空を飛び交う無数のヘリコプターの轟音に「助けて」の声がかき消されていた事をどのくらいの人が知っているんだろうね。
知人が話していたもの。ヘリが飛んでいった後に小さな声が聞こえて、建物の下敷きになっていた人がいるのを見つけて引っ張り出したこと。あの音で声は聞こえなかった事。
身内を亡くした人にマイクを向けて「今のお気持ちは?」と聞くリポーター。
いや、あんた今の気持ちって。鬼かよ。
今はそれは無いよね?有ったとしても画面に出てこないだけ?
無いことを願うよ。

心配して連絡をくれる友人も有難い。けど中には冗談で笑わそうとしたのか何なのか
👧「いやぁ大変でしたね。🐔さんって本当に地震を呼ぶ女ですよね」
って笑えない冗談をぶちかましてきた後輩もいたなぁ(-o-;)
いくら普段私がノリツッコミで冗談言ってるからって、この時ばかりは怒ったよね。
でも彼女は何で私が怒ったのかわからなかったって。怒られる意味が分からないとも言われたよ。
何も無ければ笑い飛ばせる言葉も時と状況によっては悪意にも取れるんだよね。
能天気な私もこの時ばかりは結構参っていたんだと今なら分かる話し。

東京の家に避難した時大学時代の友人に会って、彼女は「無事で良かった!」とそれだけ言ってハグしてくれた。
それがとても温かかったのを覚えてますよ。
支援物資も自衛隊が来る前にいち早く動いてくれたのは神戸を拠点とする某組員さん達。反社の方々の中にある義理人情に複雑ではあるけど感謝の気持ちだけは持たないと!と感じたのは今も鮮明に記憶の中に有りますよ。

能登半島で被災された方々も今はめっちゃ辛いし厳しい状況におられるけど、頑張り過ぎないで頼るところは頼って辛いことは辛いと言って欲しいです。
明けない夜は無い。
神戸も立ち直れました。いつかは絶対に取り戻すことは出来ると信じて。希望だけは捨てないでください。

当時の事、色々思い出して少し感情的になってしまいましたm(_ _)m








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