ゆ る す
今日の朝日新聞13面のインタビュー記事『「ナパーム弾の少女」の50年』は,心に重くのしかかるものだった。
「ベトナム戦争の被害者」として紹介されているファン・ティー・キム・フックさんは,1972年,9歳の時に南ベトナム軍の誤爆によるナパーム弾で大やけどを負う。その時の逃げまどう少女の写真がピュリッツァー賞を受け,世界に紹介される。
キム・フックさんは手術で九死に一生を得る。彼女は,この時の写真が嫌でたまらなかったという。
しかし,彼女は,「ベトナム戦争の象徴的被害者」として,戦後のベトナム政府によってプロパガンダに利用され,1982年医大に合格したにも関わらず退学させられ,政府のために働くことを要求される。それを拒否した彼女は,友人からも見放され,孤独にさいなまれる。そして,戦争を起こしたもの,自分をプロパガンダの道具として使う役人などすべての人に恨みを抱き,精神的苦痛に押しつぶされそうだった。
そんな彼女を変えたのが,新約聖書の「汝の敵を愛せよ」という言葉だった。自分をこんな目にあわせた人たちを愛することなどできないとはじめは思っていたが,親類の副牧師に疑問をぶつけ,教会に通い,「なぜわたしがこんな目に」と自問するのを止めるにつれて心が救われ,生きていることを前向きに受け止めることで心が軽くなっていった。
ゆるすことは自分だけでなく,他者のためになったと彼女は言う。ベトナム戦争を経験した退役軍人とも話しをした。彼らは今でも当時を思い起こして苦しんでいる。かれらにも,過去は変えられない,前に進みましょうと言いたい。
キム・フックさんは自由を求めて,1992年留学先のキューバからカナダに亡命する。そして,94年に長男を出産し,この子だけでなく世界の子どもたちにわたしのような思いをさせてはならないと考え,嫌でたまらなかった写真を自分への力強い贈り物だと思えるようになり,戦争や紛争で傷ついた子供たちを助ける財団を立ち上げ,活動している。
彼女は,ウクライナの少年が「ロシア人を一生憎む」と言っていることを,かつての自分もそうだったと理解し,こうした子供たちと向き合い手助けしたいと考えている。
彼女は言う。「写真の少女は,苦痛に泣き叫んでいるのではなく,平和を求めて声をあげているのだと思って見てください」
南アフリカ共和国ではじめて黒人の大統領となったネルソン・マンデラが,自分を迫害してきた白人を憎むのではなく,ゆるすことによって,黒白融和の新しい南アを作ってきたことを想起する。
33号
園児の置き去り死亡,オリパラ汚職,統一教会,国葬と悲しいあるいは憂鬱な話が連日続く中で,それを突き破る一條の光のように,大谷翔平選手が33号のホームランを放った。40号,そしてMVPに向けて頑張れ。
STOP WAR!