羽花山人日記

徒然なるままに

オリンピック雑感(続)

2024-08-12 19:17:23 | 日記

オリンピック雑感(続)

パリのオリンピックが終わった。

3年前の東京大会の時は、コロナ禍の真っただ中ということもあって、開催そのものからオリンピックの意義に至るまで、わたしもそうだったが、意見百出であった。

パリ大会についてはどうだったかよく知らないが、やっぱりよその国のこと、あまり気にせず日本が獲得したメダルの数を喜んでいた。

わたし自身が慣れ親しんでいた陸上競技は予想以上の健闘だった。何人もの選手が予選突破、決勝進出、入賞と、堂々と実力を発揮して好記録を出していた。

なんといっても特筆ものは女子やり投げの北口榛江選手。世界の女王などとマスコミでもてはやされるプレッシャーのもと、事前の大会では不調ではないかと心配したが杞憂であった。一投目で手ごたえを覚え、二投目以下は70mを狙ってやや力んだか、しかし圧勝であった。独学でチェコ語を覚え、コーチの指導を受けたとか。本当にすごいなと思う。

ブレイキンとかスケートボードとか、若者たちの路上の遊びだったのが、立派にスポーツとして昇華し、オリンピックの種目に加わった。

ブレイキンは初めてテレビで観た。あたかも「タイマン」のようにステージ上で一対一で選手が向かい合い、課題曲に合わせた技をかわりばんこに繰り出して競い合う。自分の演技が終わると相手に「どうぞ」と身振りし、対決が終わると握手して別れる。見ていて実に気持ちがよかった。しかし、あんな激しい動きで大丈夫かとハラハラもさせられた。

馬術、ヨット、フェンシング、近代五種と、マイナーな種目で、初めてあるいは久々にメダルを取ったのはなんとなく嬉しかった。近代五種は日本の競技人口は50人とか。いずれの競技もヨーロッパ伝統のもので、日本人というのは外国の文化を取り入れてこなすのに長けた民族というべきだろうか。

大学の教養部の時に、体育講義の試験に「ステート・アマチュア」について記述する問題が出された。当時、ソ連や東側諸国が国家丸抱えで選手を育成するのを指して言った言葉で、西側諸国からこれはプロフェッショナルではないかと批判がされていた。

しかし、アマチュアリズムを標榜していたオリンピックもプロ・アマの壁が取り払われ、この言葉はもはや死語である。選手の育成にせよ、競技の開催にせよ、企業あるいは公的な資金援助なしには成立しなくなっているのが現状だろう。オリンピックが商業主義の中にますますどっぷりとはまり込んでいくのはやむを得ないのだろうか。

しかしやっぱり、オリンピックは「平和の祭典」であって欲しい。

 

サルスベリ

 

夏休み

一週間ほどお盆休みを頂戴します。

 

STOP WAR!

コメント (3)
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