羽花山人日記

徒然なるままに

ブンガワンソロ

2022-09-12 21:04:44 | 日記

ブンガワンソロ

今日は、久しぶりにラヴピースの例会に参加した。

今月の末に、「筑波山麓コカリナピクニック」という大事なコンサートへの参加を控えているので、練習には熱が入った。

演奏予定曲目は「サマースノー」と「ブンガワンソロ」の2曲。いずれもメンバーのギタリスト,真木ひろしさんの編曲に依っている。

「サマースノー」は以前にも書いたが、スコットランド民謡でラヴピースの持ち歌。久々にパーカッションで伴奏する。

「ブンガワンソロ」はインドネシアのグサン・マルトハルトノの作曲で、クロンチョン(大衆曲)というジャンルの代表的な歌である。ジャワ島の中央を流れるソロ川を歌った歌で,日本でもよく知られている。

以前ソロ川の河口を空から眺めたことがあるが、真っ赤な水が海に注いでいた。同行のインドネシアの方に、大変な土壌侵食ではないかと問うたところ、ニヤリと笑って、この土が海に堆積すれば国土が広くなる、とのたまわれた。悠久何千年のことを言っているのか。

「ブンガワンソロ」は大変調子のいい歌で,何気なく持っていたマラカスで拍子をとっていたら,「いいじゃないか」とおだてられ,こちらもパーカッションで伴奏することになった。

何歳までこんなことができるか。一期一会のつもりで頑張ろう。

 

夏作名残りの花

カボチャ

ナス

オクラ

 

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γ-GTP

2022-09-10 20:29:36 | 日記

γ(ガンマ)- GTP

γ-GTP:ガンマグルタミルトランスペプチダーゼ(γ-Glutamyl TransPeptidase)の略で、アミノ酸の生成にかかせない酵素。胆道から分泌され、肝臓の解毒作用に関わっている。

血液検査の結果が出た。相変わらずγ(ガンマ)- GTPの値が正常値を越えている。この値を最初に見たのは,50年前以上になるだろうか。それ以来,正常値が示されたのは,ほんの数回である。

1982年にパラグアイから帰って,健康診断を受けたところ,どこも悪くないけれど,γ(ガンマ)- GTPの値が異常に高いと言われ,お酒を慎み,定期的に検査を受けるようにと面接医から指示された。

近くの病院を訪れ,紹介状を示して定期的に検査することにした。担当のドクターに,「滞在したパラグアイが酒を無税で輸入するので,高級酒が格安でスーパーで買える。こんなところに来たのは天の恵みと,せっせとお酒を飲んだためでしょうか」といったところ,この先生よほど酒好きか,「その国はどこにあるのですか」と,興味津々。しばらくの酒談義の後「週一回は休肝日に」と言われ,「では週6日は飲めるんですね」と答えて,呆れられた。

担当医が変わり,相変わらず高めを行くγ- GTPに,一度3週間酒を断ってごらんなさいと指示され,言いつけ通りにしたところ,値が正常になっていた。

ものは試しと,次回の診察日の前日に酒を飲んだところ,案の定異常値になっていた。そのことをドクターに話したところ,「何のために検査しているのだ」と,こっぴどく叱られた。

これを機に定期検診は間遠になり,ついに年一回の定期健康診断で相変わらず高いγ- GTPの値を眺めるだけになってしまった。

そんなある日,呑み屋で親しくなった内科医にその話をしたところ,一度自分のところにいらっしゃいと言われ,伺ったところ,ご自分のγ- GTPの値を示され,「どうです。あなたのよりずい分高いでしょう。γ- GTPは4桁になったら絶望的,肝硬変で肝臓が急激に収縮します,3桁で上がったり下がったりしている間はそんなに心配しなくても」と励まされた。

この先生良医というべきか不良医というべきか分からないが,現在も呑み屋通いを続けておられるらしい。

わたしは今でも晩酌を続けているが,ビールは100㎖,お酒はせいぜい80㎖。それでもγ- GTPは80と150の間を行ったり来たりしている。

「沈黙の臓器」と言われる肝臓に,後しばらく頑張ってもらおう。

 

女王逝く

エリザベス女王が亡くなった。享年96歳。

Netflixで女王の半生記,『ザ・クラウン』を見たので,なんとなく人間的な親しみを感じる。

在位70年,波乱の時を王として過ごされ,ご苦労も多かったろう。老齢になるにつれて,巧まざるユーモアが現れたような気がする。

ご冥福を祈ります。ゆっくりとお休みください。

こちらの国葬には,文句をつける人は見当たらないようだ。

 

仲秋の名月

自宅のベランダから撮影

 

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ゆるす

2022-09-08 19:53:44 | 日記

ゆ  る  す

今日の朝日新聞13面のインタビュー記事『「ナパーム弾の少女」の50年』は,心に重くのしかかるものだった。

「ベトナム戦争の被害者」として紹介されているファン・ティー・キム・フックさんは,1972年,9歳の時に南ベトナム軍の誤爆によるナパーム弾で大やけどを負う。その時の逃げまどう少女の写真がピュリッツァー賞を受け,世界に紹介される。

キム・フックさんは手術で九死に一生を得る。彼女は,この時の写真が嫌でたまらなかったという。

しかし,彼女は,「ベトナム戦争の象徴的被害者」として,戦後のベトナム政府によってプロパガンダに利用され,1982年医大に合格したにも関わらず退学させられ,政府のために働くことを要求される。それを拒否した彼女は,友人からも見放され,孤独にさいなまれる。そして,戦争を起こしたもの,自分をプロパガンダの道具として使う役人などすべての人に恨みを抱き,精神的苦痛に押しつぶされそうだった。

そんな彼女を変えたのが,新約聖書の「汝の敵を愛せよ」という言葉だった。自分をこんな目にあわせた人たちを愛することなどできないとはじめは思っていたが,親類の副牧師に疑問をぶつけ,教会に通い,「なぜわたしがこんな目に」と自問するのを止めるにつれて心が救われ,生きていることを前向きに受け止めることで心が軽くなっていった。

ゆるすことは自分だけでなく,他者のためになったと彼女は言う。ベトナム戦争を経験した退役軍人とも話しをした。彼らは今でも当時を思い起こして苦しんでいる。かれらにも,過去は変えられない,前に進みましょうと言いたい。

キム・フックさんは自由を求めて,1992年留学先のキューバからカナダに亡命する。そして,94年に長男を出産し,この子だけでなく世界の子どもたちにわたしのような思いをさせてはならないと考え,嫌でたまらなかった写真を自分への力強い贈り物だと思えるようになり,戦争や紛争で傷ついた子供たちを助ける財団を立ち上げ,活動している。

彼女は,ウクライナの少年が「ロシア人を一生憎む」と言っていることを,かつての自分もそうだったと理解し,こうした子供たちと向き合い手助けしたいと考えている。

彼女は言う。「写真の少女は,苦痛に泣き叫んでいるのではなく,平和を求めて声をあげているのだと思って見てください」

南アフリカ共和国ではじめて黒人の大統領となったネルソン・マンデラが,自分を迫害してきた白人を憎むのではなく,ゆるすことによって,黒白融和の新しい南アを作ってきたことを想起する。

 

33号

園児の置き去り死亡,オリパラ汚職,統一教会,国葬と悲しいあるいは憂鬱な話が連日続く中で,それを突き破る一條の光のように,大谷翔平選手が33号のホームランを放った。40号,そしてMVPに向けて頑張れ。

 

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2022-09-05 19:40:54 | 日記

今日の天声人語は,「蚊」をテーマにしていた。

天声人語士が,「蚊にかまれる」と書いたところ,読者から「かまれる」という言い方は聞いたことがないという問い合わせがいくつもあったという。

わたしは,「さされる」か「くわれる」を使っていて,「かまれる」は違和感がある。しかし,「かまれる」を使っている地域もあるとのことで,蚊に血を吸われることを表現する用語は,どれが標準語ということではないらしい。

それはさて置き,同じ記事の中に,今年の夏は蚊の襲来が少なかったような気がするとの記載があった。猛暑のためだろうと,人語士は推量している。

確かに,蚊の活動は35℃を越えると鈍くなるらしいが,わたしの実感ではやはり蚊が少なくなっている。

今日は午前中の30℃以下の下で,生い茂る雑草と闘っていたが,全く蚊に刺されなかった。草の茂みは蚊が潜んでいることが多く,おととしまでは重装備で作業し,それでも露出した肌だけでなく,衣服の上からも蚊に襲われていた。しかし,去年あたりから,蚊に刺されることが少なくなり,今年は防「蚊」対策全くなしで畑に出て,蚊に食事を提供した記憶がない。

ネットで調べてみると,蚊が少なくなったと感じている人が,かなりいるらしい。家屋の構造が変わったせいもあるかもしれないが,蚊帳を吊る風情はほとんど見られなくなったのではないだろうか。

前に,田んぼから雀がいなくなったことを書いた。同じようなことが蚊にも起こっているのかもしれない。

昨日の朝日歌壇で,4人の選者の内3人が,

             「人間ものせたらいいのかもしれないきけんゆうどく生物図かん」

                                                                    奈良市 山添聡介様

を選んでいた。

漢字の使い方から,多分小学校低学年の子供さんの詠んだ歌であろうか。それにしても,旨くポイントをついている。

 

秋   祭   り 

9月の声を聞くと,秋祭りを思い出す。

集落ごとに舞台があり,それに肩脱ぎの襦袢をまとった子供が稚児化粧をして乗り,笛に合わせて鐘,太鼓でお囃子をする。舞台は鎮守の神社に集まり,集落ごとに境内を練る。提灯を飾った舞台は夜目に鮮やかである。

祭りばやしの太鼓の拍子はまだ覚えている。

写真は,わたしの生まれ故郷の隣村,松本市波田の秋祭りに繰り出した舞台。2008年に撮影した。

 

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美空ひばり

2022-09-03 20:32:04 | 日記

美空ひばり

昨夜何気なくつけたテレビで,アナザーストーリー「女王 美空ひばり魂のラストステージ」という番組をやっていて,思わず最後まで見てしまった。

番組は,1988年東京ドームでの病気からの「復帰」公演から,1989年2月の小倉での最後となった公演までの,病魔と闘いながら歌い続けるひばりの苦闘を,4人の関係者の証言とともに追っている。

わたしは,若くて生意気盛りのころ,美空ひばりが好きだということは,恥ずかしいことだと思っていた。しかし,歳とともに生意気さは薄れ,ひばりの歌声を称賛することに躊躇を感じることはなくなった。彼女の歌の中で最も好きなのは,「愛燦燦」と「川の流れのように」。楽譜を手に入れて練習し,カラオケに行くたびに歌った。

小倉公演を最後に,予定していた全国ツアーは中止されひばりは舞台を去った。その日の日記にひばりは「春風に花咲くものと待ちわびてわが願い永久に叶わじ夢のまた夢」と書いたという。

この公演の映像は残されておらず, 1本のカセットテープに歌声が収録されている。20曲歌い切った最後は「歌こそわが命」。鬼気迫るものがあった。

 

 友  の  死

敬愛していたO・K君が7月に亡くなったとの報に接した。残念だ。寂しい。心を込めて,コカリナを吹いた。シューベルトの「アベマリア」,そして「アメージング・グレース」。彼の霊よ安かれ。

 

蓮  の  花

息子の運転でドライブしていたら,蓮の花を見かけた。茨城は蓮根の生産日本一。阿見町にも蓮田が散見される。

 

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ゴルビー逝く

2022-09-01 20:30:02 | 日記

ゴルビー逝く

元ソビエト連邦大統領,ミハイル・ゴルバチョフ氏が亡くなった。「ゴルビー」の愛称が似合う政治家だった。享年91歳。同世代の巨人がまた一人いなくなった。

大統領として自らソビエトに引導をわたした感がある。ペレストロイカ,グラスノスチという言葉は,当時わたしに新鮮な感じを与えた。挫折したとはいえ,彼の理想とした共産主義はどんなものだったろう。

テレビに映されるモスクワ市民の反応は,冷ややかなものが多かった。ロシアのウクライナ侵攻と裏腹なものを感じる。

プーチンは,ロシア大統領として「世界の歴史の歩みに巨大な影響を与えた政治家だった」と哀悼の意を表したが,「対話」通して歴史を前進させようとしたゴルビーに対し,彼は力によって歴史の歯車を逆転させようとしている。

ゴルバチョフ氏が学んだモスクワ大学。2009年撮影。

 

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