満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

   JOHN COLTRANE  『The Supreme Sessions』(DVD)

2007-09-10 | 新規投稿
 
エルビンジョーンズの頰を一筋の汗が伝う。
内側からくるエネルギーが彼の両手に至り、軽く握るスティックにその力が乗り移る。しなやかな手首。スナップパワーの極み。トップシンバルの無軌道な刻み、キックの臨機応変さ。ハイハットのクローズ/オープンのアバウトさ、大砲のようなフロアタムの連射。スネアのアクセントすらそれは拍子を意識させるのではなく、リズム全体の中核を飾る一要素であるかのよう。ビートが横に揺れ、縦に振り下ろされる。ここにあるのは時計の秒針が正確に進行する時間軸を絶えず揺さぶりながら、固有の時間を形成するリズムだ。従って演奏の長さを計測する時間と感性の上での演奏時間は一致しない。コルトレーンミュージックでの特異な時間感覚とはエルビンジョーンズというリズムの司祭者による無限大なステージの拡張によるものであり、コルトレーンの自己表現はエルビンという起爆剤によって可能性を広げる事ができたのだろう。豊饒なリズムをフリーの文脈ではなく、歌に添う形で表現できる演奏。それには自分も歌うしかない。コルトレーンの歌、そのソウルに拮抗する歌をエルビンは歌ったのだろう。演奏のさなかに唐突に姿勢を崩す動きや雄叫びはエルビンの歌の顕れであり、リズムキープを超える全体音楽を打楽器単体でなし得ているように感じられる。
ジョーザウィヌルは以前、「ドラムを音楽的に鳴らす事ができるドラマーがいなくなった」と語っていたが、そうゆう事なのだろう。エルビンジョーンズはシンガーが歌うように打楽器を鳴らした。リズムキープを超え、固有のグルーブ=歌を至上命題とした。コルトレーンカルテットは二人のボーカリストがいた。魂の歌を歌える二人の歌手が。

*************

『The Supreme Sessions』はジョンコルトレーンの映像集である。しかし全て既出のもの。マイルスのクインテットやコルトレーン自身は殆ど映ってないギルエヴァンスオーケストラでのものも含んでおり、数少ない映像を全部、一緒にカップリングした苦肉の企画DVDだ。映像に関してはもうニューアイテムは無いんだろう。苦しい商売だ。ファンはまず買うが。

*************

エリックドルフィーのたんこぶが膨らむ。
指先とブレスを一極集中させる時、彼の顔が真っ赤になり、力がみなぎる。気合いが、精神が統一され、聴いたこともないようなフレーズが空中に発せられる。演奏が一期一会の磁力である限り、そこにエネルギーが凝縮される。全部出し切る演奏。表現力もテクニックも循環呼吸も肺の力も、指の力も、立つ力さえも。後には何も残らない。全てを出し切れずには終われない演奏。彼のおでこの異様なたんこぶは音楽表現の力こぶなのだろう。

エリックドルフィー(sax,fl)を加えたドイツのスタジオでの映像は私にとって1985年、上京したての頃、渋谷スウィングで初めて観た思い出深いものだ。演目は「my favorite things」と『impressions』。いつ観てもすごい演奏だ。異次元の音楽。あまりの凄さに笑えてくる。何がすごいのか。分からない。とにかくすごい。それしか言えない。
色んなバージョンで飽きるほど聴いてきたコルトレーンの「my favorite things」が常に鮮度を保つのは何故か。あの聴き慣れたテーマを吹くコルトレーンのソプラノの音色、濁り具合がいつも違う事。そしてソロのアドリブがいつも違う事だ。マッコイタイナー(p)のフレーズは大体いっしょだが、それでいい。コルトレーンは定格的なフォーマットでも違う世界を作り出せる。しかもここにはドルフィーという異物がいる。凧の糸が切れてはるか彼方へ飛んでいってしまうかのような、自由奔放な演奏、その精神性とは。こんな天才が現在はいない。フリーキーでアウトを演出する即興演奏は山ほどあるが、ドルフィーのように一音のシンプルな響きでアウトする事ができる者はそうはいまい。
ソロとは何か。集団の中で自分に与えられた自由の場、逸脱の場か。ドルフィーほどソロらしいソロを演奏するプレイヤーはいない。いや、彼の音楽とはそもそも全てがソロだ。私は拙著「満月に聴く音楽」の中で少しだけドルフィーに触れ、<個我のかたまり>と記述した。ソロとは彼にとって生き様だろう。ソロでしかあり得ない存在なのだろう。
「死んでも妥協しない」というドルフィーの言葉がある。その言葉は突然変異のような彼の演奏世界を表しているではないか。素っ頓狂のような叫び、叙情的な囁き、正攻法なテナーブルース、その全てがドルフィーとすぐ分かる音の顔を持っている。
コルトレーンカルテットは二人のソロ演奏家がいた。妥協を知らない真のソロを表現できるソリストが。

2007.9.9


 










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする