JOHN COLTRANE 『My Favorite Things : Coltrane at Newport』
ニューポートジャズフェスティバルに於ける63年と65年のライブを一緒にカップリングした安易な企画アルバムも、コルトレーンの1年、2年が凡人の10年、20年に相当すると思えば少しは納得できる。コルトレーンの62年と63年は違う。64年も65年もみな、違う。変化に富む濃密な時間がそこにあり、まるで1ヶ月単位で音楽が変貌するかのようなスピードがコルトレーンにあったようだ。そこで生み出された演奏、作品の量と質は驚異的なものであり、あの短い活動期間によくこれだけのものを残したものだなと後世の私達は驚嘆するのである。
音源は全て既出のもの。音質が向上したが、その事が取り立ててプラス要素になるわけではない。私は65年の「my favorite things」はエルビンジョーンズのドラムがドッカドカの二枚組LP『THE MASTERY OF JOHN COLTRANE VOL 1‘FEELIN’GOOD’』(78)での音源が一番好きだ。音質は海賊録音の域を出ないのだが、最もライブの音に近いと想像できる音源である。正規のソースじゃないとも思われるが。いつかこれをCD化してほしいものだ。
63年から65年へのコルトレーンは一般的にはよりフリーへの傾倒を深める時期と理解されよう。ただ多くのファンは歌の深化こそをこの時期に感じている筈だ。コルトレーンの歌う歌が、即興の激越さと共に深まっていく。それは『クルセ・マ・マ』、『クレッセント』を聴けば明らかであるし、『アセンション』や『オム』にさえその歌の崇高さをコルトレーンミュージックに感じる事ができる。つまりコルトレーンの進化とは感情の深化だった。感情表現の極みへのアプローチが<歌>としか言えないシンプルな営為を感じさせるものになる。後期になるほど、感情表現に振幅性が見られ、サックスの音、その息使いにある種の不完全性、揺れが見られる。感情の量が拡大し、複雑化する事で音楽の外形上では未完的感覚を残しながら、不思議な味わい深さを堪能できるようなものになる。ジャズ音楽の理論やフォーマットからサウンドが逸脱し、新たな理論やスタイルを構築、あるいはフリーというコンセプトの名の下に音楽上の技術転換をしていったのではなく、全てはコルトレーンの思想や感情という人のテーマが音楽に強く反映されるようになったように感じられる。この事は音楽制作の上で失敗も起こりうる。いや、失敗すら許容しながら、もう別の次元での表現活動をコルトレーンが意識していた事を想起させるものだ。
コルトレーンは感情表現をより優先させた。そう自覚させるほど、その感情の量が年代と共に拡大し、深化していったのだと思う。その音楽は一言で言うと主観的な音楽だろう。他者無きパーソナルな自己表現だろう。それが他のどんなミュージシャンよりも多くの人に感動を与えるのだからすごい事だ。
2バージョンの「my favorite things」
63年のロイヘインズと65年のエルビンジョーンズ。ヘインズはコルトレーンをプッシュし、エルビンは自分をプッシュしている。コルトレーンのテーマがドラムの影響で力感を増しているのが63年バージョン。コルトレーンのアドリブがドラムの影響で過激化し、サウンド全体が混濁するのが65年バージョン。いずれも最強記録更新。たった2年間に起きた出来事。その後40年以上、音楽全体が何も更新されていない。
2007.9.18