杉森神社の物語(東広島市河内町)癒しのある風景

人生は、実験の連続。愛される神社を目指して頑張っています。祭りとは奉ること。ご祈願毎に神饌をかえ丁重なお祭りをします。

平成23年8月の日記1

2011-08-08 16:24:17 | 日記

杉森神社と田園風景

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月次祭8人参拝。直会では、愛知の知人がくれたお菓子「ゆかり」を食べながら神社本庁広報誌「まほろば」を配布して中身について説明。

http://www.jinjahoncho.or.jp/news/2011/000035.html

 

さらには神宮式年遷宮イメージソングの藤井ふみやの歌を流す。

http://www.sengu.info/song.html

 

さらには宇治橋渡り始め式のイメージソングCDをプレゼント。

http://www.yoitokose.jp/special/ujibashi/event.php

 

こじんまり、なごやかに終えて片付けをしていたところ、参拝者から「宮司さんお弁当つくってきたから食べよう」と声をかけられ、神楽殿で昼食タイム。日陰で風が通り抜けていく神楽殿で食べるおにぎりは格別でした。

 

そして昼寝 お(^o^-) や(o^O^) す(^。^o) みぃ(o^-^)ヾ

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叔母とデオデオで安く売っているクーラーを買いに行くが、あいにく売れ切れ。仕方ないので、普通のクーラーを買う。

これで我が家の客間にも冷房完備。

みなさ~~ん。泊まりにこれますよ~~」「いつきますかあ?~~」

 

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昼から近所の人と温泉。

昼間の露天風呂もいいもんだ~

 

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叔母宅草刈にいく。

空がきれいです。

 

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神社の障子張替え。

またまたホタルさんのご奉仕。感謝感謝。

 夜半から雨

 

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原爆投下日 8:15、境内の掃き掃除をしていたら、サイレンが鳴り始めた。

広島県内では、こうしてみんなでこの日は黙祷を捧げる。

東京では3月10日の東京大空襲があったにもかわかわらず、みんなで黙祷をすることがない。

 

ホタルさん高圧洗浄機をもってきてくれて、参道を磨いてくれる。感謝感謝!

しかし自分は近所の方を病院に連れて行くことになっていたため、一旦場を離れる。(このあと、病院帰りに空港近くで食事をし、帰宅途中、空港と竹林寺の間の道のグレーチングが何箇所かないことを発見。

その後、神社に戻り作業を手伝い、警察に連絡したところ、「現場まで同行せよ」との事で、ホタルさんと現場を案内しにく。

夜、ホタルさん夫婦と広島県のへそと言われる豊栄町のへそまつりにいく。

 

ここでも花火が目の前でみられた。

 

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安産祈願

昨日の参道掃除あとの安産祈願故、参道がきれいになり、きっと産道は安く、嬰児のご誕生となるでしょうと、お話をする。

 

 

 


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7 コメント

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Unknown (すぎもりくん)
2011-08-11 12:21:32
幼年学校ですか!それかなあ!
父の兄に聞くのがいいですね
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今のうちに聞いておくべし。 (丁稚ようかん。)
2011-08-10 21:53:59
今日も暑かったですね。

原爆で亡くなったおじさんの話はできるだけ正確に記録してあげたいね。

爆心地近くには
陸軍幼年学校、済美学校、偕行社などいろいろと軍の機関はあったようですから。
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Unknown (すぎもりくん)
2011-08-10 14:06:22
さくらさん 生まれた子には山道も待っています。人生_山あり_/ ̄\_/ ̄\__/ ̄\_谷あり
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Unknown (すぎもりくん)
2011-08-10 14:04:39
私の父の兄は、あの日、ドームのそばの陸軍学校?にいたそうです。3日後、父と父の兄が広島に入ったそうですが、跡形もない情況でした。
なくなった父の兄は軍曹。今は靖国の神となって国を守ってくださっています。
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参道の話に賛同 (さくら)
2011-08-09 00:49:57
なかなかうまいですねb
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浪速節は勘弁 (丁稚ようかん。)
2011-08-08 19:51:05
「ヒロシマ日記」蜂谷道彦著
http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te201108060085.html

これもよかった。
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高圧洗浄機 (丁稚ようかん。)
2011-08-08 19:42:37
丁稚ようかん。も高圧洗浄機が欲しいのですが、一度洗い始めたら最後まで終われない。
その位洗浄力が強いね。コレは。

広島原爆の日
「広島第二県女二年西組」という本を母に勧めた。
http://www.chikumashobo.co.jp/blog/pr_chikuma/entry/456/

丁稚ようかん。は親がどこの学校をでたのかも知らない。
とはいえ今さら聞けない。
「原爆」の話を避けて通れないから。

「おかん、履歴書書いてくれ」と言ってみたが意味がわからないようだった。

根掘り葉掘り聞いて「第二県女」なる学校に行ってたことを聞く。

インターネットで「第二県女」を検索したら書物が出ていたので購入。
右翼か左翼か反戦かわからないがおかんに読ませた(まだ途中)

友達も先生も登場していたようで懐かしいと言ってた。

でも原爆のことは思い出したくないだろな。

今年の原爆の日はテレビ局に捕まりそうになったが逃げたらしい。

ハイ、まだ平和公園に行ってるウチのおかんです。

あ、長くなってごめんなさい。

河内の人にも原爆経験の話を聞いておいてください。

広島原爆を浪速節にしては絶対にいかーん。
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