糸魚川市の市街地を焼きつくしたあの大火から半年、時計の針を戻すことができたらと誰もが思う半年間でした。被災地の建物は基礎部分を除いてガレキは撤去されましたが、本町通りを通る度に胸が痛くなります。
本日の糸魚川タイム紙1面では3人の被災者の声、「あの時、今、これから」を掲載です。147棟の被害者の思いは微妙に異なり、街なかを歩けば見舞金の分配方法一つとっても不満の声が聞こえます。
そういえば19日の市議会「一般質問」、新人の平澤惣一郎議員は火災発生第一通報者として「糸魚川市駅北大火の初動態勢と復旧・復興について」と、被災者ならではの質問を取り上げました。この質問への米田市長の答弁は、発生時に休憩することなく議会続行で、昼休みにやっと現地入りをしながら「最善を尽くした」と・・・。
これに対して平澤議員は「のんびりした態度が許せない」と厳しく追求ですが、市長は「誠に心外。言われなき中傷で憤りを感じる」と感情的答弁です。市議会HPでも近日中にこの質疑応答を録画で見ることができますが、20日付けタイムス紙5面でも取り上げられ巷での話題です。
夕方5時過ぎの被災地では、まだTV各局の取材が続いています。本町通りの加賀の井酒造さんで唯一焼け残った写真右側の土蔵と、外壁を白く補修した北越銀行、その向こうに頚城の山々が見えます。
上の写真は、第四銀行駐車場のNST(フジTV系列)のクルーで、夕方6時過ぎのローカルニュースでは各局、糸魚川大規模火災を取り上げています。また被災者への市の意向調査では、3割の人が現地での再建を断念しており、共同住宅建設計画でも8割以上の人が入居したくないということで、復興計画の難しさが伝わってきます。
加賀の井酒造さんの敷地北側に鳥居(コンクリート製)があり、その傍に欅と思しき大木2本があります。あの日すべてが炎に包まれた中で焼け残り、一時は枯れ木のようでしたが春先からどんどん葉が茂ってきて、今日は何だか神々しく感じる大規模火災から半年目です。