すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

原発再稼動への“敷かれたレール”

2016年01月10日 | 地震・原発

9日土曜朝、庭一面が白くなったものの束の間で雪も少しず融けてしまいました。昼過ぎには隣りの孫たちが能生小学校でのサッカー練習から戻り、その後はヤマハやプール教室への送迎担当のあわただしさです。夕方には一段落で、百人一首を覚え始めた上の孫のおつきあいで久しぶりに3人で遊びました。「来年のお正月までにはたくさん覚えてまたやろうね」と、鬼が笑いそうな会話です。

 

鬼といえば、小正月を前にして早くもスーパーの店頭には節分の豆が並んでおり、中国産の落花生と国産の価格差に改めて驚きです。またバレンタインのチョコレートも陳列され、お店のたくましさが伝わってきます。日本人って、クリスマスを楽しんだ直ぐ後には神仏に手を合わせ、節分バレンタインと続き一年中“商戦”に振り回されている民族ですが、これが戦後築き上げてきた豊かさの象徴なのでしょうか。

ところで新潟日報では新年になって一面にシリーズ『敷かれたレール~原発は必要か』を掲載中です。8日付け第6回「原子力広報」で「リスクのないエネルギーなどはない」と、英国の大学教授、ジェリー・トーマス(55)の言葉に驚きました。これは経産省資源エネルギー庁主催で昨年11月に柏崎市で開催された発言で、この女性はチェルノブイリ原発事故による住民被ばく影響を長年、研究してきた分子病理学の権威ということです。

同庁は原発立地地域の住民に「正しい知識」を得てもらおうと広報事業の一環として開いたそうですが、少なくとも「リスクのないエネルギーなどはない」とはいっても、CO2から人が始末できない放射性廃棄物まで多岐にわたり、信用ならぬ国の原子力広報には呆れるばかりです。

そういえば年暮れに、新潟日報「窓」欄へ「始末ができない核のゴミ」のタイトルで投稿、大量の放射性廃棄物は未解決のままで、福島を忘れたかの再稼動ありきの動きに子どもたちの未来を案じると綴り送りましたが、どうやらボツになったようです。「敷かれたレール」の完結後に、もう一度書き直して投稿しょうと思います。


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