浅草寺・菊祭りから(東京都台東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
一般的に、恐れは人間を狂わせます。
綱渡りや平均台がいい例でしょうか。
どちらも、足取りをしっかりと、バランスさえ取って一歩ずつでも踏み出していればいいだけの話ですよね。
でも、下を向いたり、足元の心許なさ(こころもとなさ)に気を取られた途端に、
一歩ずつ着実に踏み出すだけのことが、できなくなってしまうんですよね。
そう、普通にやっていればいいのに、恐怖心が人を萎縮させ、
その人本来の実力や人間性が出せなくなってしまうのです。
ということは。
この「恐怖心」に打ち勝つ方法さえ知っていれば、
判断を誤ることが減り、安定して自由な自分を発揮することができる、
こんなことが、言えると思うんです。
では、どうするか。
それは、「自分の方針を決めてしまうこと」に尽きます。
これは私の実体験なんですが、
自宅でお味噌汁を作る時、「絶対に成功させるぞ!」という思いがあるほど出来がよく、
いい加減にやっていたり、ビクビクするほど不出来になるんです。
まあ、私のことなので冷やかしていたただいても構いません(笑)
でもこれ、真面目に考えると、不安がる気持ちが、現実に調理する勢いを削ぐからだと考えられはしませんか!?
「攻撃は最大の防御」と昔から言われていますが、
「成功」に向けて手筈を整えるということは、失敗の種を潰すことの裏返しでもあるんですよね。
だから。
たとえば、「人に優しくできるかなあ…」と言うよりは、「人に優しくするんだ!」と決めてしまったほうが、
恐れも消え、全力を挙げて優しさを注げますから、
結果的に不安も減り、臨機応変さや信念が強くなり、
現実に、より優しくいられたりするのです。
恐れはあらゆるもの打ち消します。
どんな前向きさや意欲、優しさ、愛情も、恐怖心が働いただけ、後ずさりさせてしまう
だから、その時その時で、自分で、「守るんだ!」と心を決めていけば、前へと全力を挙げられるのです。
恐怖心があれば、謙虚に慎重になれるのも事実ですが、
その半面、守りたいものを守れなくなる面もあるのです。
せっかくの心の熱、自分で大切にできるなら、守って大きく育ててみませんか。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
一般的に、恐れは人間を狂わせます。
綱渡りや平均台がいい例でしょうか。
どちらも、足取りをしっかりと、バランスさえ取って一歩ずつでも踏み出していればいいだけの話ですよね。
でも、下を向いたり、足元の心許なさ(こころもとなさ)に気を取られた途端に、
一歩ずつ着実に踏み出すだけのことが、できなくなってしまうんですよね。
そう、普通にやっていればいいのに、恐怖心が人を萎縮させ、
その人本来の実力や人間性が出せなくなってしまうのです。
ということは。
この「恐怖心」に打ち勝つ方法さえ知っていれば、
判断を誤ることが減り、安定して自由な自分を発揮することができる、
こんなことが、言えると思うんです。
では、どうするか。
それは、「自分の方針を決めてしまうこと」に尽きます。
これは私の実体験なんですが、
自宅でお味噌汁を作る時、「絶対に成功させるぞ!」という思いがあるほど出来がよく、
いい加減にやっていたり、ビクビクするほど不出来になるんです。
まあ、私のことなので冷やかしていたただいても構いません(笑)
でもこれ、真面目に考えると、不安がる気持ちが、現実に調理する勢いを削ぐからだと考えられはしませんか!?
「攻撃は最大の防御」と昔から言われていますが、
「成功」に向けて手筈を整えるということは、失敗の種を潰すことの裏返しでもあるんですよね。
だから。
たとえば、「人に優しくできるかなあ…」と言うよりは、「人に優しくするんだ!」と決めてしまったほうが、
恐れも消え、全力を挙げて優しさを注げますから、
結果的に不安も減り、臨機応変さや信念が強くなり、
現実に、より優しくいられたりするのです。
恐れはあらゆるもの打ち消します。
どんな前向きさや意欲、優しさ、愛情も、恐怖心が働いただけ、後ずさりさせてしまう
だから、その時その時で、自分で、「守るんだ!」と心を決めていけば、前へと全力を挙げられるのです。
恐怖心があれば、謙虚に慎重になれるのも事実ですが、
その半面、守りたいものを守れなくなる面もあるのです。
せっかくの心の熱、自分で大切にできるなら、守って大きく育ててみませんか。
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