『拈華微笑』の仏教的解明は、『東洋自分なり研究所』の最大の研究テーマの一つである。
釈尊が華を拈じ示し、一人の弟子がそれに対して微笑んだ・・・という伝説的な故事の仏教的解明。
私はこの『以心伝心』と後世に称される不思議な現象、『非言語による会話』を総じて単に『仏語(不立文字)』とか
『観音(意思の疎通を可能にする波動)』などと捉えたりしているが、
最近では、仏教経典が『如是我聞』で始まる原型は
この『拈華微笑』の釈尊と弟子の摩訶迦葉の無言の交流にあるのではないかと考えたりしている。
こういったやり取りを娑婆では『空気を読む』・・・というかもしれないが、釈尊の思いは読めない。
釈尊の思いは『空気』ではなく『空』を読まなければ解らないのであるから、『空読』であろう。
2500年の『般若の智慧』の集大成である『仏教』は『悟学』によって『空読』が可能となるであろうか。
今夕、撮りたてのモンブラン。 ゆっくりと2022年が暮れてゆく・・・
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