拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  洗脳されちゃった私

2021年04月24日 | 禅修行の思い出

  私の辞書には『洗脳』なんていう言葉はありえない…と思っていた。

  それが35歳、初めて僧堂の接心…といって雲水と一緒に僧堂の禅道場で一週間の集中坐禅会に参加した時

  私は生まれて初めて『洗脳』というものを体験した。

  それまでも居士林で坐禅はしていたものの、老師との師弟関係はなく、ただただ教えられた数息観を一生懸命やっていた時期を経て

  その時、正式に老師の弟子になって、公案を頂き僧堂接心に参加したのだ。

  やはり、同じ接心でも居士林での接心とは違い、プロとアマの違いというのだろうか? 張り詰めた空気の濃度の違いを感じた。

  (だいぶ後に、京都であったろうか、観光で有名な臨済宗のお寺へ行った時、『ここから僧堂で、一般人の立入禁止』の張り紙の前で

  ある中年男性が『拝観料で儲けている観光寺の修行なんて、どうちゅうことないよ〜』と、知ったかぶりなことを言っていたが、

  私はそういったタイプの寺(円覚寺)で修行した経験から言うと、観光客で賑わう外と僧堂の内とでは全く世界が違い… 涙ぐましい

  真剣な修行が行われていることを知っているので、残念な思いでその言葉を聞いていたことを思い出した。)

  で、初めての僧堂接心が終わって、東京の自宅に帰る電車の中での出来事…車内で見る人々が『不潔』でたまらない気持ちになったのだ。

  だいたい普段、私以上に不潔な人間はそういない・・・と自覚している私が、なんと『娑婆の人間ども』が不潔で不浄な者たちに見えて

  嫌悪を感じたのだから・・・驚いた。

  しかし、電車を3回乗り継いて自宅につく頃には、普段の自分に戻っていた。その時初めて『ああ、自分はオート洗脳にかかっていた』…と、

  気が付いた。初めての僧堂接心で全身全霊で打ち込んだ結果、勝手に『自分は清い・・・』と思い込んでいたらしい。

  35歳のオッサンでも『思い込み…という洗脳』が在ることを体験して、その恐ろしさを学んだ。行為が純粋であればあるほど、『洗脳』に

  かかりやすいのだと思う。

  先日、以前Youtubeで働いていた米人青年が、Aiが視聴者の嗜好に従い勝手にその手のテーマの動画をどんどん選択、提供することに

  危機を感じ、辞めて問題提起している話題に出会ったが、Aiが人を洗脳する危険性が大きいというのだ。

  具体例として、今年のアメリカの大統領選挙でアメリカは分断の危機に陥ったが、陰謀論動画を見たYoutube視聴者がどんどん陰謀論に

  ハマっていく…というようなことは、誰かが後ろで手引しているというよりは、Aiが引き起こした分断である…というのだ。   

        

  それが事実であれば、私達はすでに Ai に『洗脳』されているのかもしれない・・・用心!  



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