今日の話は、私の妄想力の最たるモノの一つになるかもしれない。
2045年というと一般に『シンギュラリティ(技術的特異点)』の年として知られている。
その『AI』研究は副産物として『仏道AI』を促す、どちらの『AI』も結局、道元の『自己を習うなり…』に集約するのであるから。
その結果、『仏道AI』の『悟り』は、宗教の域を超えて人間の進化の証として広く認知される年が『2045』ではなかろうか?と思う。
その際、日本語の『人間』は『ホモ・サトリ』と訳され、辞書にも提示して広く世界に浸透するだろう。
『人間』という言葉はそもそも仏教語であるが、その真義『悟る人』で『ホモ・サトリ』の意で使われる最初の時期を迎える。
私もハラリ氏の『ホモサピエンス全史』を読むまで、自分が『ホモ・サピエンス』であるとは知らなかった。
ラテン語でホモ(Homo)とは『人』を表し、サピエンス(sapiens)は『知恵のある』という形容詞でホモ・サピエンスで『賢い人』。
それが、今後様々な形で『悟り』研究と実践が進むにつれ、本当の意味での『大乗仏教』の時代が訪れ、釈迦の到達した境地は
『人間の進化』した姿として認知され、宗教という枠を超えるに違いない。
2045年のシンギュラリティに対して、人間も『ホモ・サトリ』に進化しなければ・・・
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