『放射能汚染、驚愕の1800万人の避難予測』
1960年科学技術庁の原子力産業会議が作成した、『大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算』では熱出力50万kWの小型原子炉1基の過酷事故が起きた場合に、日本国民の安全確保の為には1800万人が疎開しなければならないと計算していた。
『管首相が首都圏3000万人の移住を示唆』
7月15日付け産経新聞によると、『原発に依存しない社会』を打ち出した菅直人首相は14日夜、民主党若手議員らと会食し、
『東京、神奈川から3千万人が移住するような事態も想定して決断しないといけない。だから「脱原発」なんだ』と強調した。
『福島の事故はすごいことだとの印象を受けた。原発について相当基礎知識を持っていたし、研究を重ねた。』
『民主党の描く未来のビジョンを示すことも大事だ。』と管首相は語る。
『滅びて欲しいのは誰か』
この脱原発の管直人首相を真っ向から批判するのが毎日新聞コラムの余禄の記事である。
15日付け余録は『備えのない預言者』と題して、15世紀にフィレンツェのメディチ家の支配を痛烈に批判、追放後に国制改革を掲げて政権を握り神権政治を行ったが、現実の政治には失敗して失脚、火刑となった修道僧サボナローラを紹介。
『君主論』のマキアヴェリが『備えのない預言者は滅びる』と主張して、その直近の実例としてこの失敗した改革者サボナローラを挙げているが、毎日新聞余禄氏はこの修道僧に管首相をなぞらえて、『退任前の預言披露は民主党政権のお家芸か』と罵倒している。
菅直人首相の『原発がなくてもすむ社会を実現する』発言を痛烈批判、
このコラムでは、『「脱原発」と言うのなら、周到な検討にもとづく計画を作成して示し、合意をとりつけて遂行に責任をもつのが指導者の仕事だ。』と断定して、ばっさり切り捨てているのですから恐ろしい。
今の主要なメディアの関係者は2011年3月11日以前で時計が止まって終っていて、それ以後の福島第一原発の事件事故は何も無かったとでも思っているのだろうか。不思議でならない。
今の日本の福島の惨状が見えないのか。
話が丸っきりの正反対である。
何の責任も無い子供ではないのですよ。
『原発の再稼動』と言うのなら、指導者でなくとも誰であれ最低限の条件として、
『原発の安全性』について周到な検討にもとづく計画を作成して示し、合意をとりつけて遂行に責任をもつのが『大人』としての仕事である。
今では原発安全神話は完璧に崩壊しているのに、未だに在りもしない安全神話しがみ付き物事を逆さまに描いて正しい考え方に敵意を抱く毎日余禄氏は、今の福島県民の悲惨極まる現実を何一つも知らないのか。
知らない筈は無い。
単に他人の苦しみに目を瞑り『原発は安全です』と念仏を繰り返すさまは見苦しい。
毎日余禄氏の様な、現実離れした事実を事実と認めない狂気の預言者(マスコミ)には1日でも早く滅んで欲しいものです。
『今現在の一番の争点とは何か』
『脱原発』に『反原発』、滋賀県嘉田知事は『卒原発』で自民党や財界は『減原発』『低原発』を言い出したが原発問題がこれほど口にされたことはかつてない。
ところが使う人によって言葉も違えばその解釈はもっとばらばらでまちまち。
何が一番の優先事項であるかの考えが大混乱である。
では『何が一番大事であるか』の判断基準であるが、ずばり『原発は安全』なのか、それとも『原発は危険』なのかの判断ではないだろうか。
これが今、大混乱をしているのです。
福島第一原発の収束も出来ていないばかりか、事故原因の解明さえ出来ていない段階で、『原発は安全である』と自分勝手に断定して、佐賀県の玄海原発の再稼動を進めようとしていた経産省や海江田大臣の危険性を完全無視する態度は許される限度を超えている。
経産省は、未だに『原発は安全』との大前提のままで物事を進むと考えている。
この原因とは、原発は『安全』なのか『危険』なのかの白黒の決着が着いているようで、実は全く着いていない。
この事実が今の大混乱の全ての原因です。
『理性や経験、良識が邪魔をする場合もある』
誰でも自分を基準にして全ての物事を考えるのですが、そのために、案外経験や良識が優れているインテリの人の方が『自分を基準(物差し)にして』判断しているために、逆に、大失敗してしまうことが有る。
今の時点は、福島第一の事故の真っ最中です。
ですから、今の日本では全員が『原発は危険である』と思っているだろう、と判断して仕舞う。
福島を見れば、『原発は危険である』との原則が誰にでも判るだろうとの判断は、確かに正論では有るが、残念で困ったことですが事実とは違う。
未だに以前の通りの『原発は安全である』との原則(神話)を信じている人々が政府や財界やマスコミなどに大勢いるのですよ。
経団連の米倉会長ですが、ストレステスト実施を机を叩いて非難している。
米倉会長が、『原発は危険である』と理解しているが、しかし、色々な諸般の事情を熟慮した結果、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、最悪の苦渋の選択として再稼動させるべきであるとの結論に達した、と当人が考えている可能性を考えて見よう。
其れは多分間違いで、今でも米倉会長は『原発は安全だ』と心底思っているから、あんな恥ずかしいことが出来るのです。
『今の福島を見れば日本で誰一人の例外も無く原発の危険性に気が付くだろう』との(自分の)当然の良識の範囲で考えるから間違うのです。
今でも財界トップやマスコミ、管直人を除く政府閣僚の大部分など大勢が『原発は安全』と信じていて、少しも疑っていない。
原発安全神話などの破壊的カルト宗教のマインドコントロールの呪縛の力は強靭であり、一度信じると被害者の努力程度では簡単には抜けられない。
目の前にある普通の現実が見えないのです。
恐ろしい話ですね。
反や脱や卒などの今の色々な言葉や分類は些細な違いで、一番肝心な分類で有る神話どうりに『原発は安全』と信じている人々と、現実を見て『原発は危険である』と考える、全く正反対の方向の考え方の人々がいるのです。
『原発は危険』だと判っても、『車は急に止まれない』の安全標語ではないが、巨大なシステムはなかなか止まらないのです。
ですから物事を正しく認識していても、その後の対応は色々有るのは事実ですが、言葉の違いとか技術信奉か反原発か脱原発など、その違いは実は根本的な問題ではありません。
一番大事なのは原子力による発電は『危険か。』『安全か。』、放射能汚染は『危険か。』『安全か。』の根本的な白黒何れかの『正誤の判断』なのです。
>今でも『原発は安全だ』と思っているから、あんな恥ずかしいことが出来るのです。
わたしも、机を叩いて的外れな事を叫んでいた米倉会長のお姿をT.V.で拝見し、お気の毒に思いました。『何も興奮してまでわざわざ、ご自分の醜態を公共の電波に乗せる事はないのに…』と…。しかし、貴殿ご指摘の様に米倉会長さんが「原発は安全だ。」と本気でお考えであれば一連の氏の言動は辻妻が合いますネ。しかし、米倉会長さん程度の貧弱な想像力しか備わっていない方が日本経済界のトップに君臨している事態は、国際的に恥を晒さしている様なものだと思うのは、わたくしだけでありましょうか?
ご指摘の毎日新聞の余録の件も同じで、「安全神話」が崩壊したことが明らかになった今、福島原発の事故が収束どころか被害がまだまだ拡散している最中に発する言動ではないと考えます。麻薬常習者が『体に良い薬が発明されてないから、廃人覚悟で、麻薬を服用し、ぶっ飛びたい。』と叫んでいるのと同レベルだと思います。しかし、放射能汚染の内部被曝程恐ろしいものはないと思います。 特に乳幼児は、4~5年後の甲状せん癌などの発症が専門家の間でも懸念されています。今から4~5年後、誰が政権に就いているかは皆目わかりませんが、癌患者が急増しても、『福島原発との因果関係は不明。』と責任回避するに決まっています。被害者は泣き寝入りという様な事になりかねません。 本当に恐ろしい事です。
命と経済と、 どちらが大切なのか? 最大不幸社会が間近に迫っている様な気がしてなりません…。
アメリカが即時80キロ避難を指示したのは、彼らが核のプロだから。
日本のエダノ君あたりが「ただちに健康被害は・・・」などと呑気なことを言って3キロ10キロ20キロ30キロ・・・とやっていた時に、メルトダウンしていてさ、遥かかなたまで放射線は飛んでいたということ。
これ被爆という。
アメリカは被爆させなかった。
日本は被爆させた。
国民を被爆させたという罪の贖罪として菅が「原発辞めた~!」
というならば、これ以上の説得力はない。
ただしあの嘘つき、思いつきだけの、無責任男は「原発は辞めましょう」といって世間が騒いだら、今度は「あれは私個人の思い。内閣の総意ではありません」とすぐに言葉で逃げる。浜岡なんてお笑いだ。
日本国民は、広義で言うと「世界中が注目する人体実験」のモルモット。そこに君臨する菅直人という内閣は単なるお笑い。
経団連親父など、事故直後の爆発でも「原発は強固だった」とぬかした脳みその無い豚ちゃんかなぁ?
メルトダウンした核物質の収集をどうするのかねぇ?
年間被曝の許容量1mSvという値を正しく守るのなら福島県全体の人々を避難させなければいけない。
これでも米倉が安全などと言えるのは日本など滅んでも海外移転でもすれば良いと考えているノータリン大企業経営者だからです。
阪神淡路大震災ではガス会社経営者が決断できず15時間も都市ガスが止められなかった、電気の復旧を急ぐあまり漏電火災も数多く発生しました。
助かる人を助けられなかった。
東京でこれと同じ首都直下型地震が起きたなら逃げる場所も無ければ逃げる方法も存在しません。
阪神淡路大震災の教訓を生かせず有効な対策が取られていない、東京には何もかもが密集し過ぎています。
福島第一原発の教訓を生かせない、この事態は絶対避けなければいけない日本人一人一人の使命です。
米倉に代表される原発延命論は、戦争犠牲者に対する切り捨て論とおなじでしょう。
「戦争を早く終わらせるため原爆投下はやむを得ない
「お国のために犠牲となった戦死者が出るのは当然で名誉なこと」
「国益のため多少の犠牲者がでるのはやむを得ない」
という発想の方が近いのではないですか。
日本軍がボロ負けしている現実に目を瞑り完全に崩壊した『皇軍無敗神話』のままで突き進んでいた1945年8月15日以前の日本の姿と、今の日本の姿は完全にシンクロします。
同じですよ。
青い鳥さんやその他の多くの日本人は『無敗神話』が真っ赤な嘘だったことが判っている。
ところがですね、
肝心の日本国のマスコミや政府や財界などの指導的立場の人たちが実は無くなっているはずの無敗神話のままなので、今でも少しも変っていない。
無条件降伏の8・15までは表向き全員無敗神話を信じていたのですよ。
日本軍がボロ負けしていたのは本土の日本人の遥か数千キロも離れた地点であり、自分自身は体験していないのですね。だから全員が無敗神話の信者のままです。
日本全土がサイパン陥落後に焼け野原になって、初めて日本人も何となく大本営発表が真実でないことが判り出す。
ただ本当の戦争の恐ろしさは、この時点でもヤッパリ判らない。
この時に地獄の地上戦に巻き込まれた沖縄県民だけが真実の戦争の実体を知るのです。
真実の日本国の戦争の実体を知っているので、嘘八百の『日本軍は悪くなかった』と言う新しい歴史教科書を作る会の教科書など、沖縄県では絶対に採択されないのです。
皇軍無敗神話と原発安全神話とは構造がそっくり同じで、宗教なのでその信者達は『事実』などには影響されないのです。
何しろ宗教ですから。
客観的事実に影響されるのは科学的な思考方法なのですね。
教義と違う事実を目も前にしても『例外であり原則ではない』として、
宗教では何の影響も与えない。
ですから同じ事実を見ても結論は正反対になるのは当然であるのです。
典型的な例は、玄海原発の再稼動の時の、海江田大臣や通産省や電力会社、マスコミの態度ですよ。
彼等は『原発は安全である』と何の迷いも疑問も躊躇いもなく言い切っているのです。
もっと典型的なのはストレステストの話ですね。彼等は『原発は安全なのだが、その上にもう一度安全を確認する』との態度ですよ。
危険性を調べるとの基本中の基本が欠落しているのですから、信じられない話ですね。
ですから福島第一の話は、安全神話の教義に反するので『何かの例外で特殊例』で思考の対象物から排除しているのですね。
吉本ばななの自分にとって不都合なものは『なかったことにする』アムリタの逸話と同じなのです。
いまの福島県で進行しつつある原発事故でも不都合なので『なかったことにする』心算なのです。
これ等の不思議過ぎる言動ですが、病的な現実逃避であり、何かの精神疾患ではないでしょか。
一番大事な事故当初の発表で日本側の政府やマスコミ発表と、アメリカなどの外国の発表の正確さ正しさは、違いすぎてため息しか出ませんね。
昔から、何か危険な問題が勃発したら日本大使館ではなくてアメリカ大使館に逃げ込めと良く言われていたのです。
今回アメリカが自国民を全員原発から半径80キロ以内から退避させて大使館も大阪に移動、250キロ離れている横須賀の原子力空母まで遥か九州沖まで退避させた判断の確かさには関心させれれますね。
欧州諸国では名古屋以西への避難とかチャーター機を用意して自国民の安全確保の目的での国外脱出の支援をしていた。
ところが日本人は自国のマスコミ報道を信じていて、それ以上の行動を取らない。
これとは正反対に、昔の旧ソ連とか東欧の一般市民は情報が一元化されている自国の報道とは政治的なプロパガンダであり宣伝広報程度で、本当の真実が知りたければBBCの海外放送などが外国メディアなどから仕入れるとの原則があったのですが、
これからは日本でも、この大原則は通用しそうですよ。
何しろ日本のメディアとは記者クラブ制度とクロスオナーシップの形骸化で完璧に金太郎飴状態であり、その意味では北朝鮮のピョンヤン放送とどっこいどっこいの代物。
アメリカですが、最初の最初から真実を知っていて行動していた可能性が高い。
爆発した原発はアメリカのGM製であり全電源喪失時の脆弱性も誰よりも良く判っていたのです。
知らなかったのは日本側の斑目原子力安全委員長などの関係者だった。
情けないですね。
日本人は今まで政府や学者など権威あるモノに弱すぎたのです。
これからは東欧や旧ソ連の市民のように、自分命が惜しければ国内情報と外国情報との最低でもダブルチェックする程度の『報道を疑うこと』の必要性に少しは気が付いたでしょう。
今の最大の最重要の現実問題である福島県の惨状は、事実上『無かったことに』されているのです。
あるいは特別の例外として、『棚上げ』されいるのですよ。
これだけの原発事故でも、未だに原発ペンタゴンの極悪構造は微動だにしていません。
『安全です』との念仏の原発安全神話の学者だけが政府やマスコミの中枢に、事故以前の昔と同じように居座り続けている。
体制が前と全く同じで陣容もまったく同じ。
対して、小出助教のような『原発は危険です』と真実を語る学者は一人も政府の責任ある役職に任命されていません。
小出助教ですが以前と違い取材などが忙しくなった程度で立場や権限は以前と少しも変って無いのです。
この意味とは何にか。
日本の極悪破壊的カルト宗教である原発安全神話が、以前と同じ状態であり少しも壊れていないのです。
これはある意味では当たり前であるのです。
極悪カルト宗教のオウム心理教が地下鉄サリン事件を引き起こしても信者達の教祖や教義に対する信頼感や信用度には、いささかの動揺も混乱もなかったのです。
数ヶ月が経過して、とうとう山梨県の教団本部を強制捜査され教祖が逮捕されても信者の多くは以前のままで変化は無い。
オウム真理教程度のお粗末インチキカルトでも、一度出来上がった神話の崩壊には時間がかかるのですよ。
ましてや原発ペンタゴンにより創られた原発安全神話の精密さや強靭さはオウム神話なんかの比ではない。
安全神話は簡単には壊れないでしょう。
小出助教などの安全信者でない誰かが、一人でも政府中枢の何かの委員に任命されていない現状とは・・・・・、
この事実が何を意味しているかを、冷静に考えてみる必要があるのですね。
7月15日付け産経新聞産経新聞の『管首相が首都圏3000万人の移住を示唆』したとの驚愕のビッグニュースは、実は日本のマスコミでは共産党の機関紙赤旗を含めてすべでのメディアでは、例外としての産経以外では一行も報道されていません。
報道したこの産経では、管直人のお笑いトンデモ発言としての印象操作の一環として書いているのですよ。
日本の全てのマスコミの不真面目の極みです。
半世紀前の1000万キュリーの放射能漏洩での1800万人の退避から推測出来る事は、今の管直人首相の3000万人の退避が何ら不思議でも大袈裟でもなくて普通の正常な科学的思考から導き出せる推論ですよ。
20ではなくて以前の年間1ミリシーベルト以内に設定すれば、この数字の近くの避難が考えられるのです。
これは、官民総がかりの極悪犯罪行為である、日本人の大量棄民政策でしょうね。
其の為には小出助教のような、反骨の学者先生には絶対に公的な仕事は任す訳にはいけない。
小出氏なら間違いなく反対するので、政府やマスコミなどは都合が悪い。
>『米倉に代表される原発延命論は・・・
「戦争を早く終わらせるため原爆投下はやむを得ない
「お国のために犠牲となった戦死者が出るのは当然で名誉なこと」
「国益のため多少の犠牲者がでるのはやむを得ない」
という発想の方が近いと言うか、同一の思考方法ですね。
それで、ここで一番問題なのは、
『では今は第二次世界大戦のどの地点か』ではないでしょうか。?
皇軍無敗神話はミッドウエー海戦(福島第一原発)で完膚なきまでに壊れているのですが、
実際に壊れて無くなる8・15には未だ到達していないのではないかとの疑問ですね。
ミッドウエーで連合艦隊が崩壊しても神話が神話で無くなるまでには我が日本国では3年近くかかったのです。
今回も矢張りそれぐらいの時間の経過が必要なのではないでしょうか。?
無条件降伏で敗戦しても半年も政治囚は以前のままの待遇で京都学派を代表する哲学者三木清は獄死しているのですが、連合国軍による戦犯の摘発が行われるまで戦争に反対した正しい主張の方は今までどうり。
戦争を行っていた方もやっぱり今までと同じで、何ら変わっていないのです。
『原発安全神話』が無くなったと言える時代とは、今ではなくて、将来京大原子炉研究所の小出助教が日本の原子力規制委員会の一員に任命され、
斑目など以前の安全宣伝委員会のメンバーが職務怠慢とか何らかの責任追及や訴追が行われた時に初めて、『神話が無くなった』ということができるでしょう。
しかし今はまだであり、多分8・15の1年前のサイパン陥落の少し前程度ではないでしょうか。
このような類の言葉が責任を回避する為の言い訳として使われるというのは奇異なことです。一度コースから外れると復活が極めて困難な社会状況がもたらす奇異さなのではないか、と思います。
責任というのは結果に対して取るもので、実力があれば再度挑戦する機会が沢山あれば、責任者は結果と現実を重視します。
今の日本社会は多くその反対です。
右肩上がりの状況であれば、大学受験、入社試験、公務員試験、など、試験の結果だけを見て判断し、それ以後は問わない(試験に失敗すると復活困難)、というシステムが効率がよかったのでしょう。ただ、それは村社会の閉鎖性を強固にし、現実よりも村の掟という行動を後押ししたのかもしれません。
実際にあった近代の村であれば養える人数が厳然としてあった為に、強い排他性や厳しい産児調整などで持続を可能にしていました。
無限の経済成長というロジックから脱却しなければ、今回の事故は日本資本主義村の崩壊の序章でしかなくなるのではないか? そして放射能の無毒化技術の実現見込みが全くないまま原子力の利用を続け、推進することが地球村にどういう運命をもたらすのか・・・・。
原発の使用というのは、地球全体を、太平洋戦争に突入した日本のような状況にしたのかもしれません。戦争(原発使用)を続ければ負ける(何れ人類社会は崩壊する)のは明白で、なるべく早く戦果を材料にやめるしかないのだと。
京大原子炉実験所の小出助教が『原子力による発電は危険』なので止めるべきだ、現在の技術では安全は確保出来ず大事故が起きると判断したのが40年ほど前。
しかしこの警告は完璧に無視され原発は日本でも世界でも造り続けられ32年前にはとうとうアメリカで原発の過酷事故が現実となる。
1979年の事故当時は、世界中で1年間で200基以上の原発が建設か建設予定で日本でも旧帝大の工学部にはすべて例外なく原子力学科が作られていて原子力には薔薇色の未来があるとみんなに信じられていたのです。
ところが事故後に状況は一変して世界一の原発大国アメリカの原発建設はそれ以降1基も無い。
今は原発の建設は世界中でも1年間で2基程度ですが、それも今の福島第一事故の影響で凍結される可能性は高い。
風向きは完全に反原発に変ってきているのです。
ところがこの世界の趨勢に唯一歯向かう態度なのが今の未曾有の福島第一事故を抱える日本国なのですから情け無い。
なにやら6月8日にドイツが降服した後の、四面楚歌どころが世界中の国々が全部敵国に成ってもそれでも(絶対に避けれない)降服を嫌がって原爆攻撃やソ連軍参戦を招いた大日本帝国のような悲惨な有様ですよ。
原発安全神話の救い難い狂信者達は、これから、どれだけの悲惨を経験したら目が覚めるのでしょうか。