だいたい、資本主義の概念、世界地図が頭に入っていないと、米国を標的にすることすら出来ないではないか。米国やら打倒すべきイデオロギーの存在自体がわからないし、問題意識を抱きようがないからだ。
しかし、こうした問題を解決し、問題意識を生みだすのは教育である。教育が貧困を自覚させ、格差に対する認識とルサンチマンを育て、テロリストになる契機となるのである。しかも、得てして学校建設や教育に熱心なNGO関係者は、親米ではなく、むしろ逆の人間が多く、自由主義経済に好意的な人間は少ないと来ている。
かくして教育はテロの動機を生みだすのである。
第二の教育がテロを生みだす理由は、能力である。テロ攻撃をするにも、社会的知識がないと出来ないからである。要するに、インフラや治安体制を熟知していなければ効果的なテロは出来ないからである。とくに爆弾テロは誘導型であれ自爆型であれ、タイミングが全てであり、検問などを突破しなければならず、高い知識を必要とする。
しかし、教育がこうした課題を解決してテロリスト予備軍にするのである。
第三の教育がテロを生みだす理由は、教育はプライドを育てるということである。大学や大学院を出て、パン工場のライン労働者になりたい人間は稀有だということだ。
例えば、911同時多発テロで実行部隊を率い、世界貿易ビルに特攻したモハメド・アタは、その典型例である。彼は、弁護士を父親とする裕福な家庭で育ち、1990年カイロ大学工学部建築学科を優秀な成績で卒業した。
が、短期の仕事しか出来ず、就職できなかった。人格に問題があったわけではない。当時の関係者は一様に、「穏やかで礼儀正しく、意欲的だが謙虚な優等生」と評する。
要するに、モハメド・アタには権威主義体制下のエジプトで就職に必要なコネがなかったのである。言い換えれば、彼の自己評価に見合う仕事がエジプトにはなかったのである。
アタは結局留学することにする。1992年にはドイツのハンブルク工科大学へ都市計画を学びに留学するがなんと8年も在籍することになる。そして、彼はその優秀な頭脳で、西側への憎しみを募らせ、ついにはアルカイダに入り、911テロを実行することになる。彼は自らのメモに「米国は自由の国だ。自分はこの自由が憎い」と書いたとされるが、これは無教養な人間には無理だろう。
まさにモハメド・アタは高等教育が生んだテロリストの代表格なのである。これだけではない。911に参画したザカリア・ムサウイは高卒で満足できず、ロンドンにまで大学進学を夢見て行った。モハメド・ムハニは、スラム出身者としては異例といえる地元一の大学合格を果たしたが、カサブランカで自爆した。
国末憲人氏は『自爆テロリストの正体(新潮社)』で、こう指摘する
モハメド・ムハニをカサブランカで自爆させたのは、スラムの貧困や彼の周囲にあった不平等ではなく、それを不平等だと受け止め、現実からの逃避に追い込んだ彼自身の感性ではなかったか。
マララ氏はテロ支援者―教育先行はテロを生みだすという投稿を站谷さんがされていて、少しTwitterでも意見交換させていただきました。非常に面白いし、考えさせられるエントリーだと思います。マララさんがテロ支援者かという話は置いておいて、私もNPO系の人たちの話をよく聞いていて、エントリーの本筋に理解する部分があります。それは途上国支援において教育よりも雇用が先、という結論を出しているNPOが多いということです。もちろん、教育に力を入れている団体も多いですが、教育から雇用に切り替える団体が多いように思います。
例えば教育から雇用に切り替えた例として、かものはしプロジェクトと言う団体があります。社会起業家界隈では非常に有名な団体ですが、ここはそもそも児童買春を防止しようというミッションを持って立ち上げられた団体です。大学生だった創立者メンバーが最初はカンボジアの児童買春を防止するために、児童買春にあった少女たちに教育を与えることで、よりよい生活をしてもらおうと考えていたそうです。
しかしそこから現在では農村支援に移ったと聞いています。これは江戸時代に日本で自分の娘を遊郭に売り渡していた農家が多かったのと同じ構図です。農村で働く人たちが貧困だから児童買春は起こるものだという結論に至ったそうです。そこから農村部で児童買春をしなくても食べていけるように、農村支援をするようになったといいます。つまり教育から雇用に切り替えた例だといえるでしょう(かものはしプロジェクト)。
マララさんの教育が必要という理念自体には問題はないと思いますが、その教育を施すためにも地盤がしっかりしていないといけないということではないかと思います。
教育が全くダメというわけではなく、優先順位の問題です。昔の日本も戦後焼け野原から立ち上がっていくとき、多くの人達は教育を優先して受けたわけではなく、ひたすら働いて高度経済成長を果たしました。中卒の若い男子は金の卵と言われてもてはやされていたくらいで、「教育が大事」と言って進学を進める人はいなかったでしょう。
そもそも教育を受けるために進学するお金がなかった家庭が多かったのですから。その後、雇用が安定して多くの人が高度経済成長に乗る形で中流層となり、多くの家庭でより良い教育を受けさせるためのお金を得ることが出来ました。そして大学進学率も上昇し高度な教育を受ける事ができるようになり、現在のように望めば誰だって高度な教育を受ける事ができる社会になっています。アメリカでは
ティーチ・フォー・アメリカという団体がアメリカ国内での教育格差是正のために教育困難地域に大学を卒業した人たちを送り込む活動をしています。これも豊かだからこそ出来ることでしょう(日本にも
ティーチ・フォー・ジャパンが近年設立されています)。
NPOの活動などを見てもやはり教育というのは豊かな雇用と経済があってこそ成り立つ、と私も考えているので站谷さんの意見の根幹には賛成です。ただ、雇用より教育と言っても簡単ではないということは注意しておかねばなりません。
ある農村支援をされていたフェアトレード商品を扱う団体から聞いた話ですが、違う農村から襲撃を受けたことがあると話していました。農村支援に入っていた村は生産性も上がり豊かになったけれども、そのとなりの村は貧しいままだったのです。
ある夜、となり村が武器を持って襲撃し略奪していったそうです。命の危険も感じたとおっしゃっていました。
NPO系の活動はどうしても草の根活動なので、経済的な豊かさや雇用を生み出すことで色々と歪みを生むこともあるようですから、雇用を生むことが教育より先だと言っても、簡単なことではないでしょう。しかしそれでも発展途上の国々では教育よりも雇用を優先するほうが先であると私は思います。最低限、初等教育を受けることすら出来ない子どもも世界中にはたくさんいます。そういった子どもたちに教育を届けるためにも、落下傘的に教育を施すのではなく、教育を施せる経済・雇用という基盤を作らないと行けないのではないでしょうか。
松本 孝行2014年10月19日
『露骨に生臭い欧米基準で選ばれた2014年のノーベル平和賞受賞者』
2013年の名目的なノーベル平和賞の授賞者は毒ガスなど『化学兵器禁止機関』だったが、シリアの反政府武装勢力(実質はISIS「イスラム国』)を支援する目的で毒ガスを口実に空爆を主張していたアメリカやNATOの暴走を寸前で止めた功労者は(兵器禁止機関では無く)、ロシアのプーチンである。(真の授賞者は『化学兵器禁止機関』では無くはプーチン大統領だった)
(去年のノーベル平和賞授賞と、今年に起きたウクライナ紛争での対ロ経済制裁は連動している可能性が高い。
折角綿密に計画していたのに、寸前で戦争を止めたロシアに対するアメリカとかEUの逆恨みによる意趣返しである)
今年2014年はパキスタンの少女とインドの人権活動家の共同受賞なので、3度も全面戦争を繰り返した核保有国であるインドとパキスタン両国の和解を演出するとの政治的な思惑が考えられる。
しかし国民の大部分が1日1ドル以下で生活しているパキスタンの、現地の教育事情から見ればマララは異質すぎる(政治的過ぎる)のである、
パキスタン少女のノーベル賞受賞も怪しいが、インド人人権家の『児童労働禁止』も、欧米目線なら何の問題も無いがパキスタンやインドでは違和感が有る。
日本映画『おしん』に描かれているように、児童労働によって両親や兄弟姉妹が辛うじて飢え死にせずに済んでいるとしたら、安易な一律禁止はより大きな悲劇を生むだけなのです。(正義でも慈善でもなくて、最後の命綱を切断する極悪である)
その立占谷氏の発言を、なにを言っているんだかと疑いながら読みはじめ、その説得力に納得させられました。
そして、某居酒屋チェーン社長のまったく善意のない言動を思いました。ブラック企業での業務に心身を病んだ社員が自殺した直後、「ミャンマーで学校を作ります。そのことは亡くなった彼女も応援してくれていると信じています」と発言した、あの現参議院議員のことです。面識もなかったであろうに。介護事業に参入したのも、国会議員になるためのイメージ戦略でしかありません。介護事業においても入居者を過失により事故死させ、警察の調べに虚偽の申告をしてもみ消そうとしました。
現在の日本は、貧困の時代を過ぎた後の再貧困にさしかかっているように思います。雇用の創出といっても、原発依存や昔ながらの公共事業ではいけませんし、兵器産業でも自殺者数を加算するブラック企業でもいけません。そう考えると、安倍政権が示す「この道」は間違っています。
私は、政治がいらんことをしなければ自然とバランスが取れていくように思うのですが・・。
珍しい『站谷』さんですが、たしかに何と読むのでしょう。兵站との言葉が有るのでタンタニさんなのでしょうか。
今回の記事では站谷さんの記事よりも後の松本孝行さんの主張の方が完成度は高い。
以前にアフガニスタンでの人道援助をしていたペシャワール会の日本人スタッフが殺された事件がありましたが、『オバハンからの気まぐれブログ』では、このようなことは十分に起きることだと指摘していた。
ボランティアでは、助けれるのは極小数であり社会の根本の解決には結びつかない。
日本人ボランティアに助けられた1人は自分の幸運を神に感謝する。
ところが逆に助けてもらえなかった残りの99人は、助けなかった日本人ボランティアを恨むのです。
話は少し変わるが誰か一人にバレンタインデーに豪華チョコを贈れば、此方に何の思い入れが無くても当然、豪華チョコをもらった相手は、自分が本命だと勘違いする。
このような場合には広く薄く配るのが無難なのです。
何事によらず格差の存在は、揉め事の元なのです。
今日の毎日新聞のオピニオン欄『政治と向き合う』では高村薫が長文の意見を述べているのですが・・
何と、『同一労働、同一賃金の原則を確立すること。具体的には正規の既得権である福利厚生などのメリットを、非正規と同様に無くすことです。
非正規と正規の差が無くなれば一気に労働市場の流動化が進みます。女性の社会進出も一気に加速するでしょう。』
には、思わず引っくり返った。
高村大先生ですが、すべてを非正規にして格差を無くせよと主張しているのですよ。
日本国全体がブラックになれば、確かに格差もなくなるし、女性も安閑と専業主婦などと家庭にいられないので、全員が必死で働くでしょう。
まさに、『24時間365日死ぬまで働け』のワタミのスローガンの通りの素晴らしい社会になります。
作家とは非正規雇用どころかアイデアが尽きれば即失業者なのですが、高村薫も傲慢な特権階級丸出しの石原慎太郎症候群になったのでしょうか。なんとも恐ろしいはなしです。
非正規社員の待遇を改善する方向の規制緩和なら、私は歓迎したいです。しかし、現政権が進めているのはそうじゃないんですよね。大企業の利益しか考えていないのですから。
言うまでもないことですけれど、トリクル・ダウンなんて嘘ですよね。
それにしても味覚が分からない料理人とか音痴の歌手と同じ意味で、想像力の欠如した作家とは、存在するだけでも犯罪に近い悪行ですよ。SINEばよいのに。
この売れっ子作家には自分に無関係なビンボウの恐ろしさが少しも判らないのです。
(日本人ボランティアも有る意味では本物のビンボウが分からないから勘違いする)
高村薫ですが、作品の中で公安警察(政治警察)をほんの少しですが扱っていたので、私としてはファンだったのですよ。サスペンスものの作家は多いが絶対に公安は恐ろしいので言及しない決まりなのです。そのタブー中のタブーに1行ではあるが言及した勇気に拍手喝采していたのですが、とんだ食わせもの。
NHKで尼崎連続不審死事件を扱った1時間ものの『スペシャル』を放送していた時の特別ゲストと言うか、狂言回しがこの高村薫だったのですが、丸っきりの駄作。
最初に、『葬式のやり方が悪い』との因縁をつけて、連日連夜家族会議を開かせて、疲労困憊させて家族全員を支配しい行く手順を懇切丁寧に描いているのですが、そもそも『葬式のやり方が悪い』と因縁がつけれるのは同一の宗派だからですよ。
宗派が違えば、葬儀の手順が別々で有る程度は常識中の常識。ところが、NKHも高村薫も摩訶不思議な犯罪が宗教がらみだとの真実を絶対に語らない。
全員で尼崎連続不審死の揉み消しに狂奔しているのですから滑稽である。破壊的カルト宗教が関係したと言うか、原因だった。一番の問題点は警察なのです。
逃亡していた姉娘は免許の更新での警察署にいくことを恐れていたのですよ。友人の付き添いで交通センターに出かけて、警察に居場所を通報されそのまま拉致され殺される。警察とつるんで悪事を働いているカルトは日本では創価学会以外には無いのです。