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『蛸と海女』葛飾北斎(1760~1849年)
『東京国際アニメフェア2011』
『ゲーム』はニンテンドーのファミコンの時代から日本のお家芸だったのですが、今では世界シェアが3割に落ち込んで仕舞い、世界最大のゲーム市場のアメリカが技術とプロモーションで圧倒する勢いである。
これに対抗する日本の秘策がアニメとゲームの融合と、善悪二元論に近い単純な正義感の米国とは真逆の、日本独自のエロを含む微妙な心理描写を行う精神世界の広さである。
アニメやゲームなどサブカルチャーの振興策で生き残りを図ろうとしている日本の首都東京で、逆さまの『青少年健全育成条例改正案』の強行可決を行う愚かしさ。傲慢さ。
角川書店や小学館、講談社、集英社など大手出版社で作る『コミック10社会』は今回「青少年条例改正案」に抗議して、『知事は不誠実な発言を繰り返している。行動を共にすることは到底出来ない』との緊急声明を出し、来年3月開催の『東京国際アニメフェア』(実行委員長、慎太郎東京都知事)への参加拒否を発表した。
これに対して石原都知事は『来なくていい』と言い放つ。
『東京国際アニメフェア』は02年から毎年開催されていて今年は244社が参加。
10回目の来年は過去最高の14万人の入場者を見込んでいたが、人気キャラクター不在の寂しいイベントになりそうだ。
『文化を絞め殺す似非文化人』
都知事は『ある意味卑しい仕事をしているんだから、彼らは』とか『訳の分からないやから』などと定例記者会見で漫画家に対する低級な悪罵、暴言をいい続けている。
サブカルチャーに対する認識の浅さと軽薄さは元作家の石原慎太郎都知事だけではなくて、取り巻き連中も同じ水準で何の変わりも無い。
同じく元作家の猪瀬副知事発言も『近親相姦マンガも傑作ならOK』と全く問題点を理解していない意味不明発言を繰り返している。
猪瀬直樹東京都副知事は、どんなマンガの表現が規制にかかるのか質問され、
『傑作であれば、条例なんてないも同然だから、文句があるなら傑作を書いてみろ』と言い放つ無責任ぶり。
『作品がうまく書けないことを条例のせいにするな』として、
漫画家に対して、『自分が作品をうまく書けないことを、条例のせいにしてはいけない。そんなものがあってもなくても傑作ができれば条例なんてすっ飛んでしまう』と論理矛盾の低級発言のいいたい放題。
猪瀬氏は、『マンガの関係が好きな人のなかには人生が行き止まりと感じている人が多い』とまで言い切っている。
手塚治虫の漫画『火の鳥』に都条例が禁止する近親相姦描写があることに何の関心も示さない無責任の極みである。
『ある種の破壊的カルト宗教に近い』
オウムなどカルト問題に詳しい紀藤正樹弁護士は今回の副都知事の『傑作は条例に関係ない』発言について、
『今回の条例改正で、強姦や児童への淫行表現が不健全な図書指定の対象になったが、近親相姦は一応、自主規制の対象だ。
ただし自主規制は出版社側の問題であり、創意工夫によっていくらでも傑作を生み出せる、との意見が出てもおかしくはないが、権力側が自主規制を指示するかは別の次元の問題だろう。
過去の傑作や名作を見る限り、権力や権威は傑作を見抜けない。文化というのは結果論に近く、傑作は市民が決めるもの。
例えば、聖書やギリシャ神話、シェークスピアの傑作の中には近親相姦が出てくる。
自主規制が始まれば、そうした過去の傑作や著名人が書いた作品は許されるが、新しい才能が世に出る機会が失われる可能性が大きい』と語る
『知的退行現象』
慎太郎ですが、みなさんで何かを論じる程の人物であるとは到底思えません。
シナや三国人、ババア発言など超強気に見えるのは必死になって自分の弱点(内気で優柔不断で根性なし)を見せないように頑張っているからで、無理のし過ぎなのです。
そもそも作家から政治家(自民党参議院議員)に転進した時の話ですが、彼を良く知っている同じ作家仲間の意地悪婆さんの青島幸男に過去の発言との矛盾点を指摘されて一言も反論できずに俯いてしまい慎太郎がシュンたろうになっていた。
中身が無く矛盾だらけで『恰好』だけ。だからみっともないのですね。
昨日の定例記者会見で、72年発行の石原慎太郎自身が『真実の性教育』(光文社)に 『いかなる書物も子供を犯罪や非行に教唆することはない。』と書いていたことを指摘され、
『そのころ私は間違っていた』『変態を是認するような本は、 あのころあまりなかった。』などとシドロモドロの意味不明釈明。
『かんながらのみち(惟神の道)』
宗教としての教義を持たない古代神道(かんながらのみち)では、すべての『存在』は善悪を超えていて『この世にあるもの』は森羅万象、ありとあらゆるもの全てが尊い。
どんなことも大切(尊い)と考えれば、一神教的な単純明快な二元論的な善悪感や過酷な断然のヒエラルキーは消滅してしまう。
かんながらのみちでは一神教的な『断絶』はありえず、神も人も動物さえも生きとし生けるものの『存在』は、決して平等ではないが並立的ですべてが等しく『共存』する社会なのです。
美しく善なるものだけではなく荒ぶるもの悪しきものも、生きているものだけでなく死んだものも一定限度評価されて、ただ『あるがままである』ことに最良の価値を置く。
人間と自然の間の微妙なバランスを保つ穏やかで細やかな心配りが大事であると考えられていて、『自然に生きること』こそ大切であるのです。
それならことさら道徳(善悪)を言い募り『性行為』を禁止する一神教的な発想が出て来ないのは当然な話である。
『自由な「性」は日本古来の伝統』
日本書紀を読めば、誰でも知っていることですが都条例で禁止する近親間の性行為どころか近親婚のオンパレードで今古墳が発掘され話題になっている皇極天皇(斉明天皇)は異母兄弟の舒明天皇と結婚して中大兄や間人皇女、大海人皇子の3人も生んでいるし、中大兄の子供の大田皇女や持統天皇は父親の弟の大海人と結婚している。
結婚して子供までが生まれているのですから近親間の性行為を書くことを禁止する東京都の基準では古事記も日本書紀も禁止ですね。
性に対して何でもありで自由で大らかだったのは飛鳥時代だけではなく近世でも事情は同じで少しも変わっていなかった。
ゴッホやゴーギャン、モネ、ルノワール、セザンヌなど19世紀印象派に大きな影響を与えた日本の浮世絵ですが、実は三分の一は男女の交合を描いた春画(ハードポルノ)だった。
西洋にも猥褻画はあったのですが明るく陽気な浮世絵とは大違いで、グロテスクでおどろおどろしい反宗教画なのです。
すべてが宗教に関連する一神教世界の西洋とは大違いの、何のためらいも罪の意識も無い『性』を描いた日本の浮世絵を見た欧米の知識人のカルチャーショックは凄まじかった。
浮世絵春画の世界は全く新しい革命的な世界観で彼等にとってはとんでもなく衝撃的であったらしい。
優れたデッサン力が必要で絵師の技量が歴然と分かる男女交合を描いた春画(ハードポルノ)を北斎や晴信、歌麿など江戸期の著名な浮世絵師は当然描いた。
日本国内の美術館では残念ながら非公開の浮世絵の名作春画ですが大英博物館やルーブル美術館など国外では一般に公開されているので自由に閲覧が可能です。
江戸期の浮世絵師の春画は有名で、世界にも例を見ないほど優れた芸術と評価されているが、それ以前の本阿弥光悦や尾形光琳や狩野探幽などの名立たる大家たちも猥褻画を手がけていて、もっとも古くは9世紀の平安初期にまで遡る千年以上の歴史が日本の『春画』には在る。
表の健全な建前、道徳とは正反対の卑猥で露骨な『ポルノ』とは、隠れたもう一つの日本独自の世界に誇れる遺産であり伝統芸であるのです。
『世界のH・E・N・T・A・I』日本のエロ漫画
歴史的に『性』を忌避しない自由な、この日本の優れた伝統は今でも少しは残っているのか日本のエロアニメは世界的に有名で、ロリコンや強姦など反道徳的な題材を扱ったエロ漫画はローマ字の『ヘンタイ』の日本語の名称で世界中で通用しているのです。
欧米先進国社会ではソフトポルノの日本とは違いハードポルノは解禁されているとの常識は、実は一部が誤解で州により大きく事情が違い、ポルノの出版などはカルフォルニアの極一部の地域だけで作られており深南部のバイブルベルトでは製作どころか販売までが、今日でもすべてが禁止なのです。
そのためにハスラーなどの男性雑誌にはOffer void in AL、AR、MS、UT、KY、TN.などのポルノが禁止されている南部諸州の名前が列挙されているのですが、東京都もこれらのディープサウスの州兵を動員して黒人学生の締め出した人種差別で有名なアラバマ州やKKKが活躍したミシシッピーバーニング並みの人権感覚なのでしょうか。
『人』の体も『社会』も、その中に必ず普通に恥部が存在するものです。恥部の無い人体の方がよほど異常(身体障害者)であるのでしょう。
何処にでも恥部は必ずあるので日本のエロ漫画はそれほど恥ずかしくないが、日本の顔ともいうべき首都東京の時代錯誤の非文化的愚行(恥部)は矢張り恥ずかしい。
大宅壮一に、『人の恥部は股間に付いているが、日本国の恥部は額に付いている』と言わしめた裏社会の頭目で政権与党だった自民党の副総裁大野伴睦の逸話と同じで、みんなに見せられない恥ずかしい『恥部』を世間に向かって露出する『ポルノ』とは何か。
今回のように石原慎太郎都知事が世間に対して暴言を撒き散らす以上に恥ずかしい『恥部』が世の中にあるだろうか。
『21世紀のふんどし政治家』
16世紀ルネッサンス期のフレスコ画の最高傑作といわれているシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』はミケランジェロの代表作であるが製作20年後に世の中が右傾化してしまい、描かれている人物群像が衣服を身に着けていないこと(性器が丸出し)が、大問題とされるようになってしまった。
法王パオロ4世はミケランジェロが製作した『最後の審判』を体の『恥ずかしい部分』を見せているという理由で下半身を布で隠すように命じ、ミケランジェロの死後に弟子の『ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ』がふんどしを描いたが、そのため可哀想にダニエレは後世まで人々から『ふんどし画家』という不名誉な名前で知られることになる。
しかしダニエレが『ふんどし画家』なら、当然ダニエレ以上に命じたパオロ4世の方が責任は重いと考えられ、それなら彼は『ふんどし法王』である。
この話を今の話に例えると、バーミヤンの石仏を破壊したタリバンのように世界遺産の改竄を命令したとんでもなく愚かなふんどし法王のように、必死になってみんなに『恥ずかしい部分』を見せまいとする石原慎太郎都知事は『ふんどし政治家』あるいは『ふんどし都知事』と長らく後世まで人々に呼ばれるでしょう。
これでは水準的に時々当方のブログに訪れる知恵足らずの携帯中毒のネットウヨの発言と瓜二つで話にもなりません。
基本的に理論などと呼べるものは何も無くて単なる言葉の揚げ足取りで、『単語』の解釈をさも大事であるかの如く大騒ぎしているだけです。
社会科学の基本が何も無いのでしょうか。実に不思議な話ですね。
西部邁自身の言葉の、
『多分、氏は自分の幼稚な人生段階での言葉遣いを矯正しないままに老人になっただけなのであろう。つまり「法と力」の関係についての考察をなおざりにしてきたということである。結論だけを言うが、こういう老人が政界のみならず各界でふえてきている。』
とは書いた本人の西部邁が、額にでも入れて自分の頭の上に貼り付けて欲しいものです。
『「法と力」の関係についての考察をなおざりにしてきた』付けが回ってきたのでしょう。
以前に反戦塾への当方のコメントがスパム扱いで如何しても出来なくて苦労したことがあるのですね。
何かの言葉が検閲に引っかかったのです。
色々と書き換えてコメントを繰り返してみて、敗戦時のアメリカの対日支援金『ガリオア・エロア』を『ガリオア基金』に書き換えたらやっと合格になりました。
アホ臭いことに引っかかったのは『エロア』の部分だったのです。
今回のこの記事ですが、実は何回も書き換えているのですよ。
何かが自動検閲に引っかかって記事が掲載できないのです。
やはり最初の露骨に性器が丸出しの男女の交合の浮世絵が影響していると直感して色々と無難なものに差し替えてもやっぱり駄目。
『何が駄目であるか』の表示が何も出ないのですね。
単に機械的に『禁止されている部分がある』と繰りかえすだけなので禁止の内容や解決方法の提示が無いので、ほとほと困りました。
仕方なく記事中の文章を小分けにして少しずつてテスト投稿してやっと分かったことは『HENTAI』の名前が禁止だったのですよ。
これはこのブログではコメンと欄では可能なのですが記事では不掲載の処分らしい。
仕方がないので『・』と入れて『H・E・N・T・A・I』にして無事掲載出切る様になったのですが、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れ果てています。
大阪南の繁華街で40年前から営業していたたこ焼きの屋台の『おお蛸』が道路の不法占拠で強制執行寸前で自主撤去して無くなりましたが、この店は海外の観光ガイド案内にも掲載されるくらいの大阪の名物だったのです。
屋台ですから勿論営業しているのは路上なのですね。
ですから『違法である』とする大阪市の言い分は、それ自体は全く正しいのですよ。
法的には正常化されたのですが、ただ、繁華街の名物の一つが無くなり間違いなくさびしくはなりました。
たかが屋台一つですが、大阪の魅力の一つが永久に無くなったと思えば悲しい話ですね。これでは日本中が金太郎飴のように均一の同じ風景になっていくのでしょうか
今では日本が誇る世界の浮世絵ですが当時の値段ではかけ蕎麦一杯の価格と同じらしいので、今なら写真週刊誌程度でしょうか。
誰にでも手に入る程度の安価な、ごく庶民的な代物であって、当時の一流の文化人や知識階級からは猥雑な価値の低いものと看做されていた。
絵画は山水画など幕府お抱えの狩野派の絵師たちの芸術性とは比べられない下賎で猥褻な『子供には見せられ無い無価値なもの』と思われていて『お上』から何度も『風紀を乱す」として弾圧された歴史がある『浮世絵』が200年後には完全にその地位が逆転するのですから歴史は面白いですね。
今の政治家や知識人から『子供には見せられない』(何の値打ちも無い)と断定されているエロ漫画の『HENTAI』の200年後の姿が如何しても見てみたいですね。
今の若者たちですが私達の思春期とは大分違っていて『性』に対して淡白らしい。
老人ではなくて若いセックスレス夫婦なんていう昔なら考えられない不思議なものも生まれているとか。
200年後に世界に誇る日本文化がお茶や歌舞伎ではなくて、猥雑な『HENTAI』だったら大笑いでこれ以上楽しいことはありません。
……だとさ、なのです。
の上の引用部分がなぜか反映されませんでしたので以下を再録します。
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多分、氏は自分の幼稚な人生段階での言葉遣いを矯正しないままに老人になっただけなのであろう。つまり「法と力」の関係についての考察をなおざりにしてきたということである。結論だけを言うが、こういう老人が政界のみならず各界でふえてきている。
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「のらくろ」「冒険ダン吉」「ふくちゃん」せいぜいで「サザエさん」どまりの僕には、漫画文化には縁なき衆生でよくわかりません。ただしおっしゃることはよくわかります。
都知事・副知事の発言はみっともない。都民はよく長年我慢できるものと感心します。慎タローの「ばばあ」発言で気が付いたのですが、今日の毎日に西部邁の投稿がのっています。仙石長官の「暴力装置」発言についてですが、長官を誹謗して、
<<多分、氏は自分の幼稚な人生段階での言葉遣いを矯正しないままに老人になっただけなのであろう。つまり「法と力」の関係についての考察をなおざりにしてきたということである。結論だけを言うが、こういう老人が政界のみならず各界でふえてきている。>>
……だとさ、なのです。
仙石さんは46年生まれの64歳、39年生まれの西部さんに上の言葉をそのままお返ししても、僕から見れば立派に成り立ちます。彼の戦後論などを見ていて、前からそう思っていました。
いずれにしても、品がない老人というのは醜いものです。
同じような言葉が脈絡無くだらだらと垂れ流されているだけの長い文章で、何らかの意味ある論理が全く見られません。
唯一繰り返されている他に無い特徴とは稀代の悪法、民主主義を根底から否定する悪魔の法案『人権擁護法』の紹介であるようにも見える。
解同の生き残りの最後のよりどころが人権法案なのですが、これを見過ごしたのでは何時まで経っても真実は見えません。
反民主主義の人権擁護法が普通の法案であるとの印象操作であるのかも知れませんが、本人は具体的には語らない、可也手の込んだ解同のやり方とも考えられる。
サイトを紹介した壊れ甕さんのコメントですが、肝心の壊れ甕自身の独自の意見、判断が明確ではなく希薄でコメントにはタイトルも無い。
よって、残念ですがこのコメントは削除します。
悪魔の法案『人権擁護法』と利権漁りの解放同盟
2008年03月07日 | 解放同盟
警察の最大の天下り先はパチンコ業界なのですね。大阪府の橋下知事が『先進国でカジノが無いのは日本だけ』などといってカジノ特区を主張しているのですが、日本ぐらい街中にも賭博施設が林立している賭博天国の国は世界中で何処に無い。
普通のマトモな国では賭博は一定限度の限られて地域に限定、隔離されている。
間違っても日本のように一般社会と混在しているなど正気の沙汰ではありません。
パチンコは、刑法の賭博罪に間違いない行為を行っているのですが絶対に摘発されない。
これに目をつけた、佐川急便など運送業界にも一時天下っていて道路交通法のお目こぼしを行っていたとの噂もあったが、とうとう摘発されずじまいに終わりました。
ポルノ規制も映倫に警察からの天下り人員がゼロになった途端に露骨に摘発する。
警察官僚ですが、他の官庁のように関連団体が少ないので、天下り先が限定さていて困ったいるのでしょうね。
運送業界などに天下られては危なくて仕方がない。ポルノ業界ならその点実害は少ないでしょう。
『こんなものを子供に見せられない』と考えた都知事や議員達ですが、性的に成熟しつつある思春期の子供の時期だから関心があるのですよ。
自分が思春期の少年だった時の気持ちが完璧に脳内からなくなって仕舞い、最早その痕跡すらないのです。
普通、今の自分にはもう無くなって仕舞っても少しは記憶は残っているのですが、彼等のように『何も無い』状態とは老化による痴呆状態なのでしょうか。
それとも三歩以上歩くと過去を忘れるニワトリ並みの頭なのでしょう。
個人的に、近年の言論統制の動きは、昨今の右傾化と関係があるのではと睨んでいます。愛国心がどうとか国民を統制するのに文句を言う奴が居るとやりにくいですから。
あとは、天下り先の利権確保が絡んでるとも言いますね。規制して、審査料取ったり、天下りを受け入れさせたりは常套手段ですから。今回の規制は、天下りの警察官僚が扇動したとの話もあります。