『カルト国家』
下記★の記述を読んだ皆さんは、どの様な感想を持たれただろうか。?
極端な反米左翼の悪質な『アメリカに対する誹謗中傷の類い』と思わなかっただろうか。?
日本人的な常識なら、その様な解釈も、ありうるであろう。
しかし、事実は逆で、石黒マリーローズ氏が、いかにアメリカとキリスト教が素晴らしいかを繰り返し主張している『聖書で読むアメリカ』に書かれている記述の一部に過ぎない。
聖書の素晴らしさ、キリスト教が社会の隅々まで支配している素晴らしさ、アメリカが神の国である素晴らしさが、繰り返し繰り返し何回も何回も述べられている。
この本の読後の感想は、創価学会系の出版社 第三文明社(名前からして怖い)の本を読んだ後に良く似ている。
一神教に近い創価学会では、日蓮大上人は刺身のツマで、池田大先生が唯一神で、悪僧なんてのはホメ言葉みたいで極悪とか、鬼畜とか地獄がひっきりなしに出てくる。
しかも恐ろしいのは、口汚くののしりながら「言葉」の最期に(笑い)となっていて発言者の品性や道徳が透けて見えて寒気がする。
『聖書で読むアメリカ』の著者は、その記述が事実であるなら、近代国家や民主主義社会なら身の毛もよだつ恐ろしい事柄を、嬉しそうに平然と『こんなり素晴らしいんですよ』と嬉々として書き連ねている。これほど恐ろしい事があるだろうか。?
★「神の国」アメリカを支えるキリスト教文化
アメリカの歴史(正史)は17世紀のピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)から始めるとされている。
かれらはイギリスの国教の迫害を逃れて来た(清教徒)が信仰の自由を求めて新大陸に移住してきたことになっている。
アメリカは世界で最初の、憲法で政教分離(信教の自由)が書かれた国家だととされている。
しかし、現実のアメリカの歴史とは、「神の国」をこの世に実現する為の偉大な歴史だった、ともいえるのです。
★「書物の中の書物」と呼ばれる聖書
日本の学校では、英語の授業で聖書は”the Bible"と教えられていますが、クリスチャンは”the Book of Books"(書物の中の書物)といっている。
アメリカ中央情報局(CIA)本部正面の扉の内側には、”Andye shall know the truth, and the truthshall set you free"(貴方たちは真理を知り、真理は貴方たちを自由にする)という聖書のヨハネによる福音書第8章32節の聖句が刻まれている。
聖書には、大きく旧約聖書と新約聖書の二つがある。
旧約聖書は、ユダヤの民が神と交わした契約の意味です。
そしてアメリカで最も使われている一ドル紙幣には、旧約聖書の詩篇(Psalms)の作者との伝説があるダビデ王のシンボル(スターオブ・デービット)鷹の上の星が印刷されている。
元々聖書の原典はヘブライ語、アラマイ語、ギリシャ語で書かれているので、数多い翻訳者の意見が違う事は良くある。
聖書の物語は、善、悪、奇跡、裏切り、売春、殺人、誕生、結婚、儀式など、この世で起こるさまざまなことが記されている。
リンカーン大統領『其れ(聖書)は神が人間に与えられた最善の贈り物です。』
『其れがなかったら、私達は善悪の識別が出来ないでしょう』
★『アメリカ社会と聖書の関係』
アメリカでは聖書信者(Bible Christian)と自称する人がおり、中西部の南部は、聖書地帯(Bible Belt)と呼ばれている。
アメリカでの大統領や議会の議員や市長は聖書に手を置いて『神のご加護が有りますように』So help you(me)God等と言って締めくくり、宣誓する事によってその職務を初める。
大統領就任式での演説は、多くの聖書からの引用を含んでいる。
アメリカ合衆国憲法制定者たち(founding fathers)は、聖書の原則に則って建国しています。
★『聖書が国の基礎の重要部分を占めている』
多くの学校では聖書を教科書にして、歴史や文学などを教えている。多くのアメリカ人は、聖書のカリキュラムがある事を非常に重要な事だと信じている。
アメリカ上院の議場には『我われは神を信ずる』(In God We Trust)という言葉が刻印されている。
議会や法定では、
『真実、全部真実で、真実以外の何ものでも有りません』と誓って下さい。『神に誓いますか』と確かめる。
そしてその宣誓下での(under oath)議会に対する虚言に対しては、少なくとも一年間刑務所入りする事を意味する。
宣誓の(So help you God)『神に誓いますか』の部分は、日本のマスコミでは報道される事は少ない。大概は省略される。
★『アメリカの総ての通貨に刻まれている言葉』IN GOD WE YRUST
紙幣は財務省(本当はFRB)が発行し、アメリカ政府と国民が認めているものだが、此処に『神に信じる』と書かれている
アメリカの法廷では執行吏達が言う言葉は『神よ、国とその尊敬しべき法廷を守りたまえ』と唱える。
アメリカではボーイスカウトまでが『神に対する義務』の宣誓がある。『神と国に対する私の義務をはたすように最善を尽くします』
★『無神論者は政府に入れない』
総ての公式な宣誓には聖書を前にして右手を挙げながら『・・・・以上神に誓います』で終わるので、ジェファーソン大統領の『無神論者(atheists)は、神に対する誓いをしないから、政府に入れない』の言葉は今でも生きている。
公式な場所でも宣誓時には、アメリカが『神の下にある一つの国家』(One Nation Under God)だという事を何時も思い出される。
『アメリカの国境を守ってくださって有難うございます』『ああ神様、あなたが領土を守ってくださされなければ、私達の努力は無駄です』という旧約聖書の中の詩篇の一節が唱えられる。
建国の父祖たちが合衆国憲法を制定した時、子供は文字を読む事が出来る様にと、スーツが一着3ドルだった時代に子供が文字を読めなければ100ドルの罰金としていた。
この途方も無い金額の背景にある理由は、『人々が文字を読めなければ、聖書を読む事が出来ない』と議会で言ったからだとしている。
★『アメリカの法は、聖書を基礎にして定められている』
アメリカのモットーはOne Nation Under God(神の下にある一つの国家)である。
統領選挙で候補者が余りに多く聖書やイエス・キリストについて語るので『政治家か説教者か識別し難い者がいる』(the politician from the preacher)
ワシントンポスト紙は『大統領選挙に出るためには、イエス・キリストに対する何らかの信仰を表明しなければなら無いようです』と書いています。
欧州人からアメリカを見れば『アメリカ人が大統領に期待するのは、”聖人である”ということです。』
『アメリカ人は、実際には自分達に欲しいのは民主主義なのに、神権政治(theosracy)を夢見るという錯覚をしている。彼等は、神とかキリストとか聖人が一国を運営することを夢見ている』
アメリカは『我々は神を信じる』(In God we trust) 『神の下にある一つの国家』
(One Nation Under God)をモットーとする国家である。
★『目には目を、歯には歯を』
旧約聖書の有名な言葉『目には目を、歯には歯を』は『レビ記』(Leviticus)の聖句(仕返しの掟)を皆に吟唱する判事。
レビ記はモーゼ第3の書です。この書はレビ族の司祭によって規定された生贄、その他の祭式の掟からなっています。
しかし旧約聖書の民イスラエルのシャロン首相は右翼紙のニューズウィークからさえ『一つの目に対して二つの目』がシャロンのモットーと評されている。
新約聖書のマタイの福音書第26章
「イエスは言われた。『剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる』
新約聖書、マタイによる福音書第5章
『あなた方も聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。』
★『無神論者であることのタブー』
「今日では無神論者だと公言する人で、大統領になろうとする人はいないでしょう」
「アメリカでは大抵のところで、無神論者であることは今でもタブーです」
このタブーは、「最も親密な間柄の中に炎症を生じさせるようなタブー」
「関係者だけにわかるタブー」「最も浸し意者と一緒にいても孤独を感じさせるようなタブー」
「結婚の深刻な苦痛の一つで、親密になればなるほど、兄弟姉妹、両親と子供、親しい友人さえも苦しめる」
英語の「神」はGodですが、「さようなら」の”Good-by”は元々「神とともにあられますように」(God be with you)で、其れの簡略化された表現です。
フランス語の「さようなら」は(adieu)で「神」は(Dieu)日常的には(au revoir)です。
スペイン語の「さようなら」は(Adios)とか(Vaya con Dios)で「神」は(Dios)です。
イタリア語では「さようなら」は(Addio)で「神」は(Dio)です。
ポルトガル語では「さようなら」は(Adeus)で神は(Deus)です。
kaetzchenさんたちの、旧約聖書の問題点を批判する勉強会などを、アメリカ国内で行えば、リンチの危険性や銃撃などを覚悟しなければならない。
そう考えると日本は実に良い国ですね。
法務省のトップに原理主義が座るアメリカは、統一協会が法務大臣など閣僚を占めるようなもの。
日本でも創価学会の大臣が何人も居ると突っ込まれそうですが、カルトは規模が大きいほど穏健化する。創価学会は統一協会よりは、幾等かはましでしょう。
私の上のコメントの趣旨の核心部分は、
『現在は、アメリカのキリスト教福音派のように、戦前のようにユダヤ人を異教徒と呼ばず『神に選ばれた民』と考える『ユダヤ・キリスト教』とも言うべき宗派までが生まれてしまった。
違った二つの宗教の無原則的な融合も、時には恐ろしい結果を生む。
現在の『ユダヤ・キリスト教』は、世界に対して大きな禍をもたらしています。』
ユダヤ教とキリスト教の、教義上の違いを明らかにして、違った二つの宗教の無原則的な融合を止めるべきだ。です。
| 今こそ、旧約聖書の問題点を明らかにして、ユダヤ教の危険性を指摘するべきです。
| キリスト教徒は、キリスト教の教義に反する、非人道的で反道徳的な旧約の一部分は絶対に認めるべきではない。
について,説教や勉強会などで十分に批判していますよ.新約聖書はあくまで旧約聖書を反面教師にして編纂されたイエスの弟子たちの書き残したものであるというのが基本的な立場です.カトリックも革新的な前のヨハネ・パウロ2世の頃にはやはり,同様に旧約を見直そうと教皇が言い出して大問題になったことがあります.
ブログ主さんが批判されているキチガイ沙汰はあくまでカルトの福音教会や Power for Living=統一協会,つまりアメリカ独自のものです.そこまで比較している暇はない,と言われるのでしたら別ですけど.
キリスト教は、ユダヤ教の一異端(一派閥)改革運動?として出発し、先祖(ユダヤ教)よりも数百倍大きい世界宗教に発展した歴史的経過がある。
それで昔の先祖宗教の悪い(古い)部分も若干残っている。
ユダヤ教の経典の旧約聖書を破棄せず未だに使い続けているので、それで教義上な一貫性が、幾等かは、可笑しい部分が出来てしまった。
そして旧約聖書の神ヤハウェと新約聖書の神イエス・キリストが全くの別人である事実が、現在のキリスト教信者たちには曖昧に解釈されている。
その大きな原因はキリスト教聖職者が、ユダヤ教徒を異教徒とみなさなくなった、あるいは異教徒と非難しなくなったからですよ。
こんな事になったのは1945年以降の事です。
それ以前のキリスト教聖職者の説教の大部分は、イエスを殺したユダヤ人批判に集中していた。
其れからですよ。キリスト教とユダヤ教の融合が始まったのは。
そして現在は、アメリカのキリスト教福音派のように、戦前のようにユダヤ人を異教徒と呼ばず『神に選ばれた民』と考える『ユダヤ・キリスト教』とも言うべき宗派までが生まれてしまった。
違った二つの宗教の対立は、大概は恐ろしい結果を生む。
しかし、違った二つの宗教の無原則的な融合も、時には恐ろしい結果を生む。
現在の『ユダヤ・キリスト教』は、世界に対して大きな禍をもたらしています。
今こそ、旧約聖書の問題点を明らかにして、ユダヤ教の危険性を指摘するべきです。
キリスト教徒は、キリスト教の教義に反する、非人道的で反道徳的な旧約の一部分は絶対に認めるべきではない。
旧約聖書を読んでいくと,「一神教では完全な善でなければならない。」とは,どこにも書いていません.
やはり旧約で出てくる神は荒ぶる神で,人間が悪をなせば成敗したり,飢饉に陥らせて絶滅の危機に立たせたりします.決して「善」ではないのです.神に対して祈って祈って,献げ物を大量に積み上げて焼肉の臭いをかがせて,ようやく人間の願いを聞き入れてくれる,傲慢な神がユダヤ教の神です.だから「多重人格者」に見えるんだと思います.
イエスによる宗教改革は結局の所,傲慢な神の右に座す「半分人間」になることで,人間に対する「善」の部分を増やしたことです.しかし,イエスは神そのものではない.言ってみれば,イエスにしてもムハマッドにしても,人間が神の地位に出世したからこそ,ブログ主さんの言われる「一神教」の弊害が出て来たのではないかと思います.
| 旧約聖書のゴット(神)ヤハゥエイは単数になっているが本当はゴットs(複数の神々)では無いのか。
残念ながら,もともと男性名詞単数形主格(1格)です.例えばラテン語の場合,それは deus となります.2格が dei,3格が deo~,4格が deum,7格(奪格)が deo~,8格(呼格)が dee です.また複数形は主格(1格)が dei~ または di~ または dii~ となります(以下省略).アラビア語やヘブライ語はフォントの関係上ここでは書けないので省略させて下さい.
| 私の一神教の定義は『神が一つ』であるか如何かではなく、
| 『一つの物差し』で総ての判断するような教義を持つ宗教の事を指しています。
| この定義なら創価学会もアメリカの福音派も統一協会も、すべて一神教です。
それは十分に今までの対話で理解しているのですけど,テクニカルタームを別のものに置き換えた方が誤解を招かずに済むような気もします.例えば「一つの物差し教」だとかのように具体的に書いた方が良いんじゃないかなぁ.私も近日中に Power for Living の悪口を書く予定なので,実はブログ主さんと同じようなことを考えていたところです.
この感覚(考え方)が、日本人には希薄です。
宗教を自覚していないから宗教と道徳の密接な関連も自覚していない。
一神教の定義についてですが、
完全な一神教は、論理矛盾で、絶対に現実社会には存在できないはずです。
有るとしたら、世界も人間も何も無いところに「神」だけが一つ有る状態だけが完全なる一神教世界ですよ。
現実問題としては「一神教とは」常に一神教を目指している「宗教」と解釈すべきでしょう。
しかし理想と現実は違っていて、本来一つであるべき神の摂理は、実は幾つ存在する。
だから常に異端審問や派閥の分裂、抗争、破門なんかが起こる。
今ある一神教で、悪魔なんかと言った瞬間に一神教ではなく善悪二元論で、ブッシュ政権の原理主義なんかはこの類いです。
悪魔や地獄や死や恐怖が無くて、神と天国と愛と平安だけの社会、其れが完全な(完璧な)一神教社会です。
ただ此れだと誰も教会(教団)に金を払わない。
いや逆か。?そんな社会を宗教が、もしも創ってくれたら、私も無神論を投げ捨てて教会でも何にでもお金ぐらい払います。
多神教では悪神や荒ぶる神間違いを犯す神の存在は当たり前ですが、一神教では完全な善でなければならない。
多神教では、神の力にも限界が有りますが、一神教では万能で能力は無限大で、しかも無謬です。
→多神教と違って神が一つでも間に合う。
→一神教の神は完全な善で、万能で無限で無謬です。
→万能で無謬の神が創ったはずの今の世界や人間も完全な善で無謬の筈です。
すべてのものは神が創った。(一神教ではそうなっている)
→完全な万能力を持った無謬の神が、飢餓や病気や死や戦争も創った。ことになる。
→だから悪い部分は、悪魔とか人間の罪とかを主張する。
→それなら、神以外の創った部分が有る事を認めなければならなくなる。
→二元論に陥る。
一神教の教義が正しいなら、すべてもものは神の創造物です。
→それなら製造者責任が発生する。
製造物責任法(PL法)を参照してください。
どんな無責任な企業でも自分の製造物には責任を取ります。
当然、神が万物の創造主を主張するなら、当然な事に製造主として、欠陥品を創って広く世に出した責任が追求されるのは当然です。
旧約聖書の神ヤハウェは、ホントに不思議な神です。
あれ、本当に神でしょうか。?
実は悪魔が神の真似事をしている可能性は如何でしょうか。?
神を偽装している悪党の話。神様の性格をもう一度思い出してください。
親に子供を殺すように命令する極悪非道。街を焼き払ったり民族を全滅させたり悪逆非道の限りを尽くす。
しかも裏切った者には容赦しない執念深さや、嫉妬深さ。
小さな過ちも見逃さない寛容の精神の無さ。
現代なら007の悪の組織のボスのキャラクターそっくりですよ。
旧約聖書の神は自分で自分を神だと名乗っているが本当でしょうか。?
旧約聖書の神ヤハウェの実体は、実は悪の化身悪魔の偽装ではないでしょうか。?
『自分だけが唯一だ』は自分以外の神の存在を、神自身が認めた上での発言と解釈できる。
何故なら、神が最初から一つなら、神であれ誰であれ、『神は一つ』何て言う必要がない。
「太陽は一つ」なんて、みんなが知っている事を言う人は誰もいない。
しかし自称神は何度も『自分だけが神』と主張する。
そういえば、福田首相も所信表明演説で、何十回と『国民の為』を繰り返し何度も言っていた。
自称神の、何度も繰り返す『唯一神』発言も、福田首相の何度も繰り返した『国民の為』発言も、どちらも、真実である可能性よりも、現在は違うが『私は、その様で有りたい』という希望、願望、理想の類いでしょう。
私のような疑り深い性格なら、
自称神や福田首相が、真実はその反対だが『国民(信者)に、その様に信じさせたい』というペテン発言と捉える。
『アホな信者(国民)に判るはずが無い』『嘘でも100言えば真実になる』などと考える、ナチのゲッペルス宣伝相の考えに近い悪質な宣伝広報の類いです。
旧約聖書の、「唯一神」は「一人」なのか。?
一神教や「唯一神」以前に「自称神のヤハウェ」が一人だと考えるのは間違っているかも知れません。
旧約聖書の神は、ホントに不思議です。
神様の性格をもう一度思い出してください。
残忍で冷酷非常でありながら愛を説く。
強欲でありながら無欲を要求する。
「無闇に神の名を言うな」と欝の引きこもり状態のようでありながら、自己顕示欲は無限大。
相反する正反対の性格を同時に一人の「人格神ヤハウェ」が持っています。
彼(自称神)は自分が唯一神だと言うが、明らかに違う。
しかも彼(自称唯一神)は、自分を、一人の人格(神格?)だとみんなに思わせていますが、此れも怪しい。
旧約聖書のゴット(神)ヤハゥエイは単数になっているが本当はゴットs(複数の神々)では無いのか。
そう考える方が、ゴットが多重人格の性格破綻者と見るよりも、合理的判断ではないだろうか。?
本当は何人もいたユダヤ教の先祖神達を、昔昔に無理やり一人に統一した為に、今では神が多重人格の性格異常者のように見えるだけではないだろうか。?
私の一神教の定義は『神が一つ』であるか如何かではなく、
『一つの物差し』で総ての判断するような教義を持つ宗教の事を指しています。
この定義なら創価学会もアメリカの福音派も統一協会も、すべて一神教です。
なぜかというと,日本社会で祀られているカミの原型は祖霊であって,それは具体的には鎮守の神さまだとか路傍の野のホトケという形に表れている.だから,祖霊という形にまとめ上げれば,実は日本人が信じている神々は「一神教」であるという批判を宮田登さんが厳しく突いています.
そういう意味では「一神教」「多神教」という説は,そろそろやめた方が良いのでは,と思いますよ.
ちなみに,キリスト教やイスラム教を産んだ言語であるセム語を学ぶと分かるのですけど,アラビア語やヘブライ語や,ギリシア語やラテン語やウクライナ語や白ロシア語やロシア語には1つの共通点があります.これらの言語(特に古語)の名詞や形容詞には単数形・双数形・複数形という変化があり,単数形が1つのみ,双数形が2~4つ,複数形が5以上という区分になっているのです.私たちが中1の英語で many と some (any) の区別を学ぶとき,混乱するのは many が複数形のなごりで,some (any) が双数形のなごりだからなんです.
# 上の方でブログ主さんが比較したフランス語・スペイン語・イタリア語・ポルトガル語の「さようなら」が似ているのは,これらがみんなラテン語の派生語に過ぎなくて,ad-(~の方向へ・~のために)+ deus (神,男性名詞主格) から来ているからです.古典語を齧っておくと,こういうことも分かるから不思議です.
一神教世界(西洋文明)では、宗教がモラルを規定していた、あるいは、宗教的価値観によってモラルの判断材料にしていた。
梅原猛の、廃仏毀釈で古代からの日本の神々が殺され、アメリカによって最期の国家神道の神も殺され、無道徳無節操の日本が出来たとする「神殺しの日本」の説とも一致する考え方です。(梅原猛の話は確かに真理の一部分をついているが、私は完全には賛成していません。)
『モラル的に腐敗したロシア正教』は事実でしょうが、だからといって共産党が、教会が今まで座っていた位置にそのまま座るのは大問題です。
しかし座ってしまった。
政治経済を受け持つのが政党で、その政党の責任範囲を逸脱して、共産党であれ、その他の政党であれ『一政党』が、個人個人のモラル(個人の内心)にまで介入した。
共産党自体が自分からロシア正教の位置に座った時点で、科学的社会主義から、一種の一神教に変質してしまった、とも言えるでしょう。
本来無神論であるべき共産党自身が、一神教化していけば、破滅は避けられません。
1991年のソ連崩壊は、当然な結果だったともいえます。
これはドイツ語版の TEV (Das Neue Testament in heutigem Deutsch) を参照するとよく分かります.ヨハネ福音書8-32 にはこうあります."Dann werdet ihr die Wahrheit verstehen, und die Wahrheit wird euch frei machen." つまり「自由にする」ことを werden (未来形で「~だろう」)となっています.日本語訳は「する」と簡潔に訳してますけど,英語版もドイツ語版も共に「未来形」で訳していることに特徴があります.
それに対して米語版は shall を使って命令口調の言い方をしている.あくまで神によって自由にさせてやってるんだ,とでも言いたげな書き方です.神権政治の最たるものですね(笑)
東欧の共産圏の国々はまず何をしたか,戦前の石づくりの街の再建だったんですね.共産党の主張する「近代化」ではなかった.近代化の果てに戦争が起こったことを東欧の人々はよく分かっていたから,経済は社会主義にしても,建物などはあくまで再建にこだわった.そして,共産党政権の崩壊によって,この20年間,もと共産国のモラルは堕ち,伝統的な建物がどんどん鉄とガラスの塊へと変化しつつある.
# ただ,ソ連やユーゴのように少数民族が多い共産国では幼児洗礼など,各民族の個人的な宗教習俗を認めていたのは事実です.実際,ゴルバチョフ氏もロシア正教の信者として幼児洗礼を受けてます.ソ連やユーゴは特にイスラームを抱えていたので,妥協せざるを得なかった部分が多く,民法のかなりの部分はイスラーム法から取り入れています.これが東ドイツのように単一民族国家だと,ブログ主さんの言われる「反発」は起こりやすいでしょうね.
初めまして。良い記事を書いておられますね。コメントだけでなく此れからはTBなども、よろしく御願いいたします。
kaetzchenさん。
後で読み返すとスペルのタイプミスが多いですね。
気が付いた分は直しておきましたが、アメリカ中央情報局(CIA)本部正面の話とかその他は、この本の著者の解釈ですから、・・・・・・幾等間違いでも訂正しようが無いですね。
>如何に米国がキチガイの集団か,分かりますね<
アメリカ人の半分は(多分)正気だが、残りの半分は可也危険な状態ですね。
東西南北さん。
アメリカと言う国は実に不思議な国家ですね。
世界最初の近代的共和国である側面と、全く違う前近代的な宗教国家の側面が同時に存在している。
日米同盟の大切さを言う諸君が、この事実を弁えた上で論じているなら問題が無いが、宗教戦争の側面があるイラク進攻を即座に支持した小泉純一郎を見ていると、決してそのようには見えない。
多分全く知らないで論じているんですよ。
早雲さん。
良い記事の紹介。有難う御座います。
「教会から解放された文明:第三章 西洋文明史の常識:西洋文明の常識」の、『西洋文明は、宗教(宗派)でモラルが決まると思っていい』は、重要な指摘です。
長年にわたってヨーロッパは、この伝統、習慣があった。
そのため東欧や旧ソ連諸国での社会主義革命後には、教会(宗教)に替わって共産党が、政治や経済だけでなくモラルにまで口を出していた。
政党が自分自身モラルを守るのは当然であるが、共産党であれ、その他の政党であれ『一政党』が、個人個人のモラルにまで介入すれば、当然反発が起こるのは自明の理です。
経済政策の失費よりも、この事実の方が東欧の政変の原因としては大きいかもしれません。
sun.ap.teacup.com/souun/1760.html
| アメリカ中央情報局(CIA)本部正面の扉の内側には、”Andye shall know the truth, and the truthshall set you free"(貴方たちは真理を知り、真理は貴方たちを自由にする)という
これは NKJV という福音教会の英語聖書の文句で,正しくは「"And you shall know the truth, and the truth shall make you free."」となり,またこの日本語訳もやはり福音教会が使ってる「新改訳」聖書の「8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ですね.さすがに石黒さんはカルトの福音教会の記述です.日本語訳自体,あの世に翔んでいます(笑)
# ちなみにカトリックや反福音系プロテスタントが使ってる「新共同訳」聖書では「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」,また国際英語版の TEV では「you will know the truth, and the truth will set you free."」です.
如何に米国がキチガイの集団か,分かりますね.
# つづりミスとか,聖書文句や知識のミスなんかは,あえて突っ込みません.皆さんが怖がるから(笑)
いろいろと勉強になります。また改めて読ませてもらいます。