『聖書で読むアメリカ』=石黒マリーローズ著(PHP新書・735円)
石黒 マリーローズ
1943年、レバノン・ベイルート生まれ。社会学と言語学の研究者で、大阪大学で教鞭をとりはじめ、現在、英知大学教授、大阪教育大学講師。1989年、神戸市の「国際交流賞」を受賞
中東諸国でのイスラム主義運動の伸長に懸念を深める米国。
しかし、当の米国こそ政治、経済、文化などあらゆる分野でキリスト教の価値観を体現しようとする国だ。
著者は、そうした宗教色の強い米国像を具体例を挙げながら無批判に褒め称える
大統領が就任式で、聖書を前に「以上、神に誓います」と宣誓し、ハリウッド・スターはアカデミー賞授賞式などでイエスの言葉を引く。
米国人がさまざまな局面でみせる信仰心は、この国が「神の国」であることを実感させる。
政治・経済からスポーツ・娯楽まで、世界をリードする国アメリカの実像は、キリスト教の価値観を体現しようとする「神の国」に他ならない。
『神ゆえに戦争もするアメリカ 』
キリスト教国家のアメリカは、聖書にまつわる会話やキリスト教的視点がないと、真実(隠された本質)を読めないのは事実である。
しかし、著者はそういう一神教的風土にない日本人を非難し、宗教国家アメリカを疑うことなく称賛する。
日本人も「もっとキリスト教や聖書を理解せよ」そうなればよいと言う論調で書かれています。 この本の目的はキリスト教の布教のようにも読める。
あたかもキリスト教を信仰しない日本人を哀れんでいるかのような記述もあって腹が立つ。(特に阪神大震災について書かれている部分)
『アメリカのdiversity(多様性)』の意味
アメリカでは、一部の州でダーウィンの進化論を教えることが禁止されていることや、現ブッシュ政権心なキリスト教団体に支えられていることは公然の秘密?である。
アメリカの企業がキリスト教団体から『ロボットという人間まがいのものを作ることは神に背く』と攻撃されることを恐れ、ロボット分野への進出を躊躇らったから、結果的に日本はロボット製作の分野で最先端国に成れたという話もあります。
しかし、アメリカのキリスト教会派は、多くはプロテスタントの流れを汲んでいますが、主として日常生活の道徳性に重点をおき、現代科学技術の進歩に妥協的な会派から、現代文明に否定的な会派まで実に様々で、ひとくくりにできません。
『聖書根本主義』(原理主義)ファンダメンタリズム (Fundamentalism)
しかし、聖書を文字通り一字一句が真実で、誤謬・矛盾はないものと考え、たとえ話や抽象的な表現だとは考えない、聖書根本主義といわれる人達がいる。
創世記の物語も、そのまま世界の歴史そのものと捉えるため、創世記の記述と直接一致しない科学、特に進化論を認めない立場です。
私たち日本人の、一般的常識とかけ離れすぎて、理解しがたいが、月にまで人間を送り込む科学力のあるアメリカで、こうした信仰を持つ人もいる、という事実には大変興味深い。
アメリカでは見えない色々な場面で「キリスト教」が隠れたキーワードになっている。
『宗教国家アメリカ』
アメリカの若者で信仰が大切と答える人は、およそ八割で、イスラム諸国の3割を遥かに越えている。
アメリカ国民および国家が、いかなる場合においても、いかに『聖書』のことばと考えに規定されて行動しているかは驚くほどである。
国民的規模であろうと、個人の問題としてであろうと、重大な災難に遭遇したとき、「ヨブ記」の経験と信仰は、依然として「いま」の試練として出現する。
『詩編のことば』
『主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。』
ハリケーン・カトリーナの災害のとき、牧師が生存の会衆と共に「あなたが頂いた多くの恵みを数えなさい」と説く。
テレビ番組ではこの男の人を“man of God”(神の人)と呼び、彼の行為を多くの人の心と生活に違いをつくり出すものだと言った。
『神の味方にならない者、神のチームに加わることを選ばない者は、悪魔と一緒になってあらゆる誘惑とたくらみを選ぶ者に等しい』
まさに「死の陰の谷を行くとき」であったハリケーン、カトリーナや、9・11事件と、9・11事件を引き金としたアフガン戦争とイラク戦争
イラクとの戦争の開戦時に、ブッシュ大統領が詩編を引用した演説をする。
「神の味方にならない者、神のチームに加わることを選ばない者」の側に追いやられた場合、イラクやパレスティナの民衆のようにひどい仕打ちを受けても自業自得ということになるのか。?
大統領は聖書を前に神に誓い、キリストの受難を描いた映画『パッション』や、聖書をテーマとした『ナルニア国物語』が大ヒットしたりするアメリカ。
政治・経済からスポーツ・娯楽まで、世界のありとあらゆるモノをリードしているアメリカの実像は、実はキリスト教の価値観を体現しようとする“神の国”に他ならない。
イエスの教えを唱える人気歌手やハリウッドスターたち。
9・11やハリケーンの災難の中での聖書の教え。
アメリカ社会の礎としての聖書。
議会や裁判での宣誓は神への誓い。
無神論者は政府には入れない。
聖書が読めなければ議会運営にも支障がでる。
大統領選挙で候補者が余りに多く聖書やイエス・キリストについて語るので『政治家か説教者か識別し難い者がいる』(the politician from the preacher)
見えざる国教、基督教が社会の隅々まで厳然と存在する、超大国アメリカ合衆国の真実の姿を、殆どの日本人は知らない。
もう一つの福音教会カルトが用いているのが NKJV New King Jame's Version であり,これは日本の福音教会でも用いられている.最近,Power for Living という統一協会系右翼過激派が福音教会への浸透を謀っていて,ドイツではネオナチとして国外追放された.アメリカで「聖書」というとこれを指すのが普通で,ブッシュ大統領の宣言もこの「聖書」からの引用が秘書によって作成されている.
また「慈愛に満ちたヒューマニズム」と「科学」とは相対するものです.この辺を間違えると困ります.実際に「科学」の活動に関わってきた私が言うのだから本当です.「科学」を「人間中心主義」とまぜこぜにしたのが米国の福音主義過激派なんですよ.だから,人間を材料にした細胞や遺伝子の操作なんかも簡単に行われる.「神がそれを望んでいる」とうそぶけば,何でもアリなんですよ.
それと,日本人に宗教心がないというのはウソですね.あれはマスコミの質問の仕方が悪い.例えば,冠婚葬祭の時に宗教が関わっていると思うか,という質問にすれば,全んどの人が○をつけるでしょう.私が以前ブログで提起した「日本イデオロギー」が根底にあるということを自覚させないためにマスコミの調査が存在するわけです.
この著者は同様な趣旨の本を何冊も書いていて、私も何冊も懲りずに読んでいる。私も物好きですね。
日本で「無神論者」といっても、「へえ、そうですか」で終わるけれども、キリスト教圏(例えばアメリカ)では無神論者というと、「悪魔の手先」なんですよ。
キリスト教圏にせよイスラム教圏にせよ、宗教は人々の思考をがっちりと規定していて疑問に感じる事自体がタブーになっている。
しかし宗教が人の世の平和や、真の心の平安に役に立った試しはない。
特定の宗教(カルト)が有害無益だというのではなく、そもそも宗教そのものが、人間にとって有害無益ですよ。
特に一神教の罪は深い。
仏教でもラマ教や創価学会のように政教一致の一神教モドキは特に悪い。
「キリスト教によって平和がもたらされた歴史的事例」と、逆に「キリスト教などというものがあったばかりに発生した悲惨な事例」とを比較してみて欲しい。
前者は思いつかないが、後者なら幾等でも指摘できる。
どんな馬鹿げたことでも、
『宗教上の信念は、それが宗教上の信念であるというだけの理由で尊重されねばならない』
という不思議な原則が、今の世の中では認められている。
解同が疑似科学だと言って『水からの伝言』を理由にして御馬鹿な水騒動を起こしたが、疑似科学より『宗教』の方が1万倍は世界に害毒を垂れ流していますよ。
科学的思考方法を擁護したいなら、疑似科学批判ではなく宗教批判が、特にアメリカの福音派や日本の創価学会のような原理主義(ファンダメンタリズム)批判こそ必要でしょう。
宗教とは超自然的、超人類的な妄想、観念を抱き、その観念、妄想を実現させようとする行為のこと。その行為は加持祈祷、瞑想、念仏、礼拝など平和的なものもあるが、創価学会、オウム真理教、統一教会のように反人類的、反社会的な人権侵害行為に及ぶものもある。
どうでしょうか?笑。
慈愛に満ちたヒューニズムは人権の実現ですから、科学ですよ。kaetzchenさんが専門にしてきたのは自然科学でしょう?社会科学と混同していませんか?自然科学と社会科学は同列ではないというのは猿社会の法則を人類社会の法則へ当てはめるカルトと同じになります。
日本人は天皇制という国家神道を持っているということですが、確かにそれはありますね。要するに、自らの力で自らの国家、企業を管理、運営していくという主権者意識、社会科学の力が弱いんですね。では、社会科学の力が弱いのは何故か?まさに、戦前、戦争中、戦後も社会科学は弾圧対象となった点に原因があるのでしょう。誰が弾圧したか?といえば国家神道を信奉する右翼と経団連の結合でしょうね。それと政教一体のアメリカ政府という所でしょうか?
私自身がプロテスタント (但し,アンチ原理主義) なので余計に頭が痛いのですけど,特に関西地方の方は熱心な仏教徒が多いので,キリスト教に対する誤解や偏見もまた多い.前のブログ主さんのコメントは何だかそういう部分もあるんじゃ,と思ったりしますね.私も洗礼を受ける前は親戚からずいぶん嫌味を言われました.
以前から指摘しているように,日本人は宗教を信じていないように見えて,実は熱心な「日本イデオロギー」の信者です.極右の山本七平が生前に「日本教」という言葉を遺していましたけど,あれは半分当たっているなと政治的に反対を向いている私も素直に受け取れます.
聖書やコラーンを読んで「一神教」と名付けられた宗教概念を研究するほど,実はそれは反対で神という抽象的なものを仮定して,複数の人間が神掛っているだけではないかと思うのです.でないとキリスト教やイスラム教の国々が細かく分かれるはずがない.政教一致なら統一国家になってもおかしくない.でも実際には神掛った王や皇帝たちが政治的に争っているんですよ.
それでは日本は「多神教」でしょうか.違います.「祖霊」と呼ばれる一つのカミだけを信仰する「一神教」なんです.その「祖霊」に観音やら天皇制やら様々な宗教が乗っかっているために,それが宗教だという自覚ができないのです.これは堀一郎『民間信仰』(岩波全書)に詳しいので,そちらをお読み下さい.
さらに、「日本は「多神教」でしょうか.違います.「祖霊」と呼ばれる一つのカミだけを信仰する「一神教」なんです.その「祖霊」に観音やら天皇制やら様々な宗教が乗っかっているために,それが宗教だという自覚ができないのです.これは堀一郎『民間信仰』(岩波全書)に詳しいので,そちらをお読み下さい.」
とありますが、これも時間の無駄というか、そんなことより先に日本の雇用失業問題、低賃金、低社会保障、教育問題、労働問題をどう解決するかに切り込んだ書籍を読むほうが先決じゃないですか?
さらに、日本人に次の質問したら簡単にわかると思いますが、「祖霊を信仰するし、祖霊に祈り、拝む行為をしたら自分の生活が向上したり、戦争、犯罪が消滅したりするというのは宗教ですか?」と。9割以上の人は宗教と回答するでしょうね。すなわち、祖霊信仰は宗教である、と自覚していますし、信仰にとどまる限り「どうでもいい」と考えているんじゃないですか?
日本人が宗教から離脱できず、縮こまっているのは正しい社会科学の普及が弾圧されているからですよ。マスコミ、教育現場でも職場でも、社会教育でも。
| 科学的社会主義でも宗教の定義はあるんじゃないですかね?
困った人ですね(笑) ドイツ・イデオロギーだとかを読み直して下さいな.
旧ソ連では「記号学」という形で宗教学研究が続けられていました.有名な人だとИ.トポローフなんて学者がモスクワ科学アカデミーにいましたけど.
| 宗教団体を帰納法的に普遍化すると次のように定義できませんか?
あ,その段階で東西南北さんは科学的論理がお分かりになっていない.帰納法は必ずジャミングが入って,結論を間違った方向へ導かれます.反対に演繹法で正しい結論が出たかどうかを確認しなければ,少なくともその定義は仮説のままで検証されません.これは疑似科学が陥りやすいポケットですので,気をつけましょう.
結論から言うと,宗教というのは人間の世界観そのものである.のみです.だからオウムや創価学会や統一協会(!)のようなカルトも宗教だし,日常的に行われている年中行事,例えばホタルまつりだとか花火大会なんかも宗教に当てはまります.
| 慈愛に満ちたヒューニズムは人権の実現ですから、科学ですよ。
そう思うでしょ.ところが,humanism =人権の実現じゃないんです.humanism というのは単純に「人間の好き勝手にすることができる」という意味で,その結果自然が壊されようと公害で環境が壊されようと知ったことではないんですよ(笑)
社会科学はそういう意味では自然科学に追い付いていません.私はここでは環境科学という生物学や化学を中心とした複合科学の視点で見ていますから,気をつけないといけません.実際,日本の文化人類学者や社会人類学者のほとんどが理学部動物学科の出身です.つまり,サル学研究室の出身者なのです.サルの行動が人間の行動とイコールであるまたは近似しているという前提がないと,社会人類学という社会科学は存在し得ません.私も自然人類学を学ぶうちに,他の人類学をかじるはめになりました.
そういう意味では,マルクス再生のためには,マルクスの時代に戻って,もう一度自然科学を学び直し,計量経済学を学んで新自由主義に勝てる思想を作り直さないといけないと私は考えています.
| 猿社会の法則を人類社会の法則へ当てはめるカルトと同じになります。
果たしてこれはカルトでしょうか? 既に自然科学の方で実証されたことに楯突くということは,それこそアメリカの進化論反対論者と同列にされますよ.
| 誰が弾圧したか?といえば国家神道を信奉する右翼と経団連の結合でしょうね。それと政教一体のアメリカ政府という所でしょうか?
そういうことです.そして経団連からさらに飛び出た連中が,例の日本会議な訳です.日本会議は統一協会という受け皿があったため,組織がすぐにできたという事実も抑えておくと良いでしょう.東西南北さんには悪いですけど,学生時代にサークルから民青を追い出しても,彼らには共産党という行き場があった,というのと似ています.
| 不十分な点を補足する可能性は考えられますが基本的には正しいのではないですか?
そうでもないんですよ.下に出てくる「祖霊」概念がもっとも基本的な「日本イデオロギー」の出発点です.
| とありますが、これも時間の無駄というか
それは東西南北さんの体調やお仕事や休暇や読書時間など,環境の問題じゃないでしょうか.文科系の人の悪い所は,結論だけ急いで取りたがる所です.私は子供の頃から,途中経過が楽しくて,結末なんてどうでも良い派でした.その辺は教育環境や労働環境など,お互いの経験の違いのせいだと思いますよ.私だって視力が落ちて,いま入力は6点点字でテンキーから行っています.本を読むにしたって,読書器という新品で買ったら24万もする機械を同じクリスチャンで失明した方から無料で譲ってもらってPCの画面一杯に本を拡大して読んでいます.
現実の問題は他人が切り込んだ本を読むより,まず一次情報を自分で咀嚼できる社会科学の方法論を身につけた方が速いと思います.私のように失明が近くなってからでは遅すぎるのです.だからこそ,私は他の社会科学の分野の本を紹介したのです.人文・社会・自然にせよ,科学というものは方法論を抜きにしては語ることはできません.結論だけが欲しいという甘ったれた根性は既に子供の時に捨てたのではないでしょうか.これは大人の会話です.
| すなわち、祖霊信仰は宗教である、と自覚していますし、信仰にとどまる限り「どうでもいい」と考えているんじゃないですか?
ようやく,東西南北さんも私の言わんところがお分かりになりましたね(笑) つまり,宗教概念をどのような「ことば」で捉えているかを言語化できないんです.
そんな宗教臭さがイヤで日本に逃げてきている米国人は多くいますね。かのデイブ・スペクターさんもユダヤ系のわりにはその口らしいです。
しかし、アーミッシュのように反戦非暴力を貫いている宗派はともかくとして、米国のキリスト教は本当にキリスト教と呼べるのでしょうか?
妊娠中絶には反対しておきながら、生まれた人間を殺すことには賛成する。
日本に落とされた原爆も「神の兵器」として教会に崇められていた。
本来のキリスト教なら、非暴力だけでなく、死刑反対、そして、経済的には共産主義のはずです。
結局、宗教信者というのはオカルト面にしか興味がなく、哲学面の教義などどうでもいいということでしょうか。