逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

オウム真理教のヘッドギア  (^_^;)  

2019年10月03日 | 宗教

東急不動産ホールディングス・東急不動産の新本社オフィス。従業員が頭部に脳波測定キットを装着している

『東急不動産の新本社、従業員は脳波セセンサー装着』     2019/10/1 14:01 日本経済新聞

東急不動産は9月30日、東京・渋谷の新築オフィスビル「渋谷ソラスタ」で8月に稼働した新本社オフィスの報道陣向け内覧会を開催した。最新のIT(情報技術)を駆使したスマートオフィスを標榜。10月1日から顧客企業向けの内覧も受け付けて、自社のオフィス物件を売り込むためのショールームとしても活用する方針だ。
今回の実証実験で新本社の従業員は頭部に脳波測定キットを着用し、測定データを基に「ストレス度」「集中度」「興味度」「快適度」「わくわく度」の5つの指標を可視化する。
新本社はフリーアドレスデスクを採用し、デスクのレイアウトを柔軟に変更できるのが特徴だ。ストレス度などの指標を見ながらレイアウトを変更したり、リラックス効果のある植栽を追加したりして勤務環境の改善を図る。
新本社の一画には運動機器を設置した「フィットネスエリア」がある。従業員が気軽に運動できるようにし、健康増進を図る。ウエアラブル心拍センサーも活用し、運動の効果を定量化したり、気分転換できたかどうかを可視化したりする取り組みも進める。
9月30日 日経 xTECH

     山崎 雅弘 @mas__yamazaki         

東急不動産の新本社、従業員は脳波センサー装着(日経) 「従業員は頭部に脳波測定キットを着用し、測定データを基に『ストレス度』『集中度』『興味度』『快適度』『わくわく度』の5つの指標を可視化」
人権を侵害する憲法違反の労働環境と思うが、日経は何も感じないのか?

『日本人の最大で最強の宗教とは神道でも仏教でもなく、摩訶不思議な「科学教」だった』

確かに、従業員の脳波測定で『ストレス度』『集中度』『興味度』『快適度』『わくわく度』の5つを可視化できれば、→人権侵害(憲法違反)に当たると思うが、・・・・
これは限りなく『オウム真理教』のヘッドギアの二番煎じであろう。また最悪の破壊的カルト宗教(オウム)のソックリさんではないとすれば小保方春子(理研)のSTAP細胞と同じ類の詐欺話。丸々事実だとして論じる方が如何かしている。(科学力を駆使したオウムの麻原彰晃と同じで、日本人は『科学的』色彩に一番騙されやすい)
科学とは『間違いの自己修正過程である』ことを忘れ、盲目的に信じた瞬間に禍々しい新興宗教の『科学教』になって仕舞うのですから怖ろしい。代表的な『科学教』が世界に吹き荒れる破壊的カルト宗教『人為的CO2温暖化説』(極悪利権集団『原発ムラ』が仕組んだ詐欺)である。
★注、
科学する心で一番大事なのは『信じる』ことでは無くて『疑う』ことだった。
フェルミのパラドックス 2018年10月02日 | 社会
ノーベル賞学者本庶佑(ほんじょ たすく)のパラドクス『教科書を信じるな!科学論文の9割はウソ』、「学問とは常識を変えること」  高校では「教科書が正しい」と思って身につけるが、大学では「教科書を疑うこと」

     飯山陽 @IiyamaAkari       2018年3月10日           

2018/03/19       読売新聞    
11日付書評B面大評2『イスラム教の論理』(5日午後9時44分、東京都千代田区で)=守谷遼平撮影

西洋と相容れない思想

イスラム教圏の社会や歴史を研究する人はたいてい、「イスラーム」という呼称を好んで使う。内面での信仰にとどまらず、生活の全体を規律する教えだからというのがその理由であるが、そうした特徴をもつのはキリスト教や儒教も同じはずである。また、アラビア語の原音に忠実に「イスラーム」と記せと言うのなら、キリスト教もクリスティアーニスムス(ラテン語であれば)とでも呼ばないといけない。

本書の著者、飯山陽はアカデミックな訓練を受けたイスラム思想研究者であるが、日本語で広く定着し、文部科学省も学習指導要領で採用している「イスラム教」という言葉を使って論じている。それは、イスラム教が特権的なすぐれた宗教であるかのように語る態度に対する、深い疑念の表われなのだろう。

しかも重大な問題は、研究者の独りよがりな発言の調子が、イスラム教そのものと堅く結びついている点である。唯一神をひたすら讃(たた)えるべき存在として人間をとらえ、イスラム法による統治を全世界に広めるべく戦うことを、絶対的な正義と見なす。それは「穏健」なイスラム教徒も、アルカイダや「イスラム国」のような過激派も、広く共有する思想にほかならない。

したがって異教徒が「イスラームは平和の教えだ」などと説き、民主主義への賛意を示す人々のみを真のイスラム教徒と呼んで歓迎するならば、過激派をますます憤激させるだけである。それどころか「穏健」とされる指導者たちもまた、自由や人権や民主主義といった西洋由来の思想と、イスラム教とが相容(あいい)れないものであることを公然と認めている。

こうした本書の指摘は、専門家の手になるものだけに、衝撃力をもっている。いまやインターネットの普及を支えとして世界のどこでも起こりうるジハードの脅威に対し、あくまでも自由と人権に根ざした秩序を守りきる覚悟はあるか。その問いをまざまざと突きつけてくる。
いいやま・あかり=1976年東京生まれ。イスラム思想研究者。アラビア語通訳。 

★注、
イスラム研究者、飯山陽の著書『イスラム教の倫理』によれば、アメリカ軍やイスラエルの傭兵組織のアルカイダやISIS(イスラム国)だけではなく『イスラム教』自体が破壊的カルト宗教(オウム真理教)そのものである。
ただし、勘違いしている人が多いが、アブラハム一神教のユダヤ教もキリスト教もイスラム教も『宗教』としてみれば同一宗教だった。教義的に見れば、少しも違いが無いのである。(違いは極々小さい)
仏教に例えれば弘法大師の真言宗と親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗などの『宗派』の違い程度だった。(特に2000年も殺し合ったユダヤ教とキリスト教の違いはメシアのイエスを認めるかか認めないかの違いだけで全く同一の宗教だった。これはメシアの池田大作を認めない宗門「日蓮正宗」と、池田大作を唯一神として崇める創価学会の見苦しい30年間の大喧嘩と同じ『近親憎悪』。中身が『同じ』だから余計に許せないのである)

『日本の無神論者は最も「超自然を信じない」──6カ国での大規模調査』2019年6月7日(金)Newsweek

世界6カ国で、日本の無神論者は「超自然」を信じる人が群を抜いて少なかった

「無神論者」と神は証明できないとする「不可知論者」について世界6カ国(ブラジル、中国、デンマーク、日本、英国、米国)調査で、現代科学では証明できない「超自然」を信じる人が意外と多いことが分かった。ただし、日本の無神論者の場合はこうした「超自然」を信じる人が群を抜いて少なかった。
無神論者・不可知論者で特定の宗教に属している人は、キリスト教がデンマーク28%、ブラジル18%、英国15%。日本人は仏教が8%。
どの宗教で育てられたかは、ブラジル79%、米国63%、デンマーク60%でキリスト教。日本では無宗教70%、不明14%、仏教13%。無宗教で育てられた人が最も高かったのは中国82%。

超自然を信じない日本、信じる中国

興味深いのが、死後の世界や生まれ変わり、カルマや占星術などを、無神論者で「信じる」割合が、日本は他の5カ国と比べかなり少なかった。なかでも、日本の文化に深く浸透している仏教的な「生まれ変わり」、「カルマ」について信じる日本の無神論者の割合は、ブラジルやデンマーク、米国といったキリスト教国よりも少なかった。無神論者のうち「超自然的なこと」を最も信じないのは日本人、最も信じるのはブラジル人と中国人。中国では、占星術を信じる無神論者は半数以上に達した。
日本の無神論者・不可知論者が最も多く「信じる」と答えた、『起こるべくして起こる』、『理由があって起こる』は、「人生における重要な出来事は出来事は、『起こるべくして起こる』、『理由があって起こる』だった(無神論者20%強、不可知論者30%強)。
(抜粋)

★注、
人生の重要な出来事であれ、小さな出来事であれ同じで、すべて、原因があるから結果がある。(原因が無くて、『結果』だけが起きれば間違いなく『奇跡』である)
「超自然的」であれ普通の出来事であれ同じで(人々の考えとは無関係に)全てが『起こるべくして起こる』し、『理由があって起こる』とするのが近代科学の大原則である。このニューズウイークの大規模調査なる代物ですが、奇跡を信じる非科学的な一神教(キリスト教)の根本原理そのもの。

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4 コメント

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イスラムヘイト本の著者 飯山陽 (ムハンマド)
2019-10-05 18:21:44
クルアーンの章句は、それぞれ特定の状況下に下されたアッラーからの啓示であり、他にも関連する章句があり、イスラーム学者という専門家たちによって総合的に教義解釈がなされている。 
特定の章句を文脈抜きに、また前後の章句も無視して、テロリストらによって行われている殺人などの行為と短絡的に結びつける著者の軽率な行為は、まさに著者がイスラム法学やクルアーン解釈学の伝統などを一切無視したテロリストたちと同じ教義理解に陥っていることを示しているといわざるをえない。
 例えば「異教徒に会えば、殺せ」と書いてあるからテロリストたちは殺していると書かれているが、その前後の章句には「侵略的であってはならない」とか、迫害がなくなったら戦いをやめるように、そして「彼らが戦いを止めたらならば、悪を行うもの意外に対し、敵意を持つべきではない」などの章句がある。
飯山はこれらを一切無視して、テロリストたちの行為がクルアーンの章句があるから起きているかのような説明をしている。
テロリストをテロに駆り立てる社会的要因について思いを馳せることもなく。
 
以下クルアーンから

雌牛章第190節 あなたがたに戦いを挑む者があれば,アッラーの道のために戦え。
だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは,侵略者を愛さない。
雌牛章第192節 だがかれらが(戦いを)止めたならば,本当にアッラーは,寛容にして慈悲深くあられる。
雌牛章第193節 迫害がなくなって,この教義がアッラーのため(最も有力なもの)になるまでかれらに対して戦え。
だがもしかれらが(戦いを)止めたならば,悪を行う者以外に対し,敵意を持つべきではない。
 

飯山(第二の三浦瑠璃)の本質を表す動画
 
世界某所でなぜかAKの実弾射撃をする年の瀬  2018年12月27日
 
https://twitter.com/iiyamaakari/status/1078299558516482056


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神は妄想である (宗純)
2019-10-06 08:49:19
『ある一人の人物が妄想にとりつかれているとき、それは精神異常と呼ばれる。』
しかし 『多くの人間が妄想にとりつかれているとき、それは宗教と呼ばれる。』
『何をどう考えていっても、神などというものがこの世を見守っていると信じる合理的理由はない。』
『宗教が人の世の平和や、真の心の平安に役に立った試しはない。』
『特定の宗教が有害無益だというのではない。そもそも宗教というものが、人間にとって有害無益だと言うのである。』

利己的遺伝子論の進化生物学者ドーキンスの言葉ですが今回にピッタリ

『神は妄想である』 宗教との決別 2009年11月20日 | 宗教
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/c9a1b06a4122f499e05cf5b3de13f08b

それにしても今回の『逝きし世の面影』記事を少しも読んでいないらしい。

ただし、勘違いしている人が多いが、アブラハム一神教のユダヤ教もキリスト教もイスラム教も『宗教』としてみれば同一宗教だった。
(ユダヤとキリスト、イスラムの関係とは)
仏教に例えれば弘法大師の真言宗と親鸞の浄土真宗、日蓮の日蓮宗などの『宗派』の違い程度だった。(特に2000年も殺し合ったユダヤ教とキリスト教の違いはメシアのイエスを認めるかか認めないかの違いだけで全く同一の宗教だった。これはメシアの池田大作を認めない宗門「日蓮正宗」と、池田大作を唯一神として崇める創価学会の見苦しい30年間の大喧嘩と同じ『近親憎悪』。中身が『同じ』だから余計に許せないのである)
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宗教と科学 (マックス・プランク)
2019-10-18 18:55:36
20世紀の科学革命の始祖のマックス・プランクの言葉
 
著書『科学はどこへ行くのか』より

宗教と科学には真の対立はありえず、人間がその力を完全なバランスと調和を伴って発揮しようとすれば、自らの宗教的な部分を認識して伸ばさねばならず、このことは真面目で思慮深い人なら経験のあることだろう。
 理性だけではない直接的な認識の重要性を説明し、本質的には信仰に類似しているとし、科学には未知なるものへの探究心があり、真実への愛と、畏敬の念を深めるものであるが、形而上学的な欲求をかきたてることにおいて科学は宗教の代わりとはなりえない。
 
 
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150年前のダーウィンの進化論 (宗純)
2019-10-19 15:00:22
近代科学の生みの親が、実は偏狭な一神教(キリスト教)であることは間違いない事実で、
宗教改革での深刻な、宗教全般の危機から、世の中が『聖書の通りだ』と証明しようとした。ところが、その偶然の結果として、近代科学が驚異的に発達する。いわゆる西欧の3大発明なるものですが、中国なら1000年も前に実用化したものばかり。西欧とは、最も文明の果ての野蛮な後進地域だったのです。それが科学の力で世界征服に成功する。

150年前のダーウィンの進化論以前では、ガリレオ・ガリレイの地動説のように、圧倒的に宗教が科学を支配していたのですよ。
ガリレイは宗教裁判で全面的に敗北を認めて謝罪した。
だから生き残って、密かに書いて地動説の学説が現在まで残ったが、あくまで宗教の間違いを言い続けたらガリレオ・ガリレイは火あぶりになっている。
そもそも、宗教は善悪を論じる。
ところが、科学では個人の主観や個人の集合体の社会の『善悪』とは無間系。
科学は物事の善悪(主観)では無くて、正誤(客観的事実)だけを問題とすることで、唯一の普遍性を獲得した。

宗教と科学には、真っ向から対立していた。
150年程前には宗教が勝っていたが、それ以降は科学が宗教に勝っている。
ただし、
『近代科学』は西欧一神教的世界観から出発しているのですが『宗教』というアプリオリ(議論以前の既に正しい絶対命題)を疑う姿勢から科学が分離して行く。
この事は何やら600万年前の人類の直立二足歩行をはじめて類人猿との分離が起こったような話です。
二足歩行が類人猿と人類の分岐点であったように、『疑いないことを疑う』とは科学と宗教の分岐点で、『全ての物は疑いうる』というような科学的な懐疑心のないもの人為的CO2温暖化説のように、何時でも先祖の『宗教』モドキに変質していきます。
ふつうの自然科学にも絶対命題アプリオリとしての『原則』はある。しかしその出発点は『論理的に先立つ、すでに正しい事が証明されている絶対的な命題』ではない。
科学のアプリオリとは宗教哲学とは180度逆で、元々は一般的に個々の事物の検証作業の積み重ねから帰納法的に導き出された推論(仮説)だったものなのです。沢山の『論』や『仮説』のうちで、演繹的に正しさが証明されたものだけが『原理』(アプリオリ)と呼ばれ現在まで残っているのです。
議論も検証も無しの、『最初から決まっている絶対命題』的な発想は科学には存在しない。
600万年前に分離したチンパンジーやボノボと人類のDNAの相違点は数パーセントの少なさなのです。DNAレベルなら98%は共通なのです。
それなら、近代科学と宗教が完全に分離したのは僅か150年前なのですから、やっぱり両者には共通のDNAを持っているので、すこしでも油断すると、何時でも宗教的なアプリオリが復活する危険があるでしょう
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