不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

死刑に反対。死刑廃止論議にも反対

2010年08月19日 | 文化・歴史

『やがて消え行く我が身なれば 』

過去に死刑制度に言及した記事が無い当ブログと、死刑制度には熱心で何度も記事を書いている護憲左派のそれ以外のブログでは、『何か』が大きく違っているのでしょう。
親しくしている護憲派ブログで死刑反対の記事が出た時には、他の人とは違いなるべく話が盛り上がらない様に『微妙に話の方向をずらす』(盛り下がる?)コメントを常に送っています。
何故そんな嫌がらせめいた事をするかと言うと、死刑反対の記事には必ずネットウヨが大勢押しかけてきて、『被害者や家族の気持ちを無視する心算か』との批判を繰り返すのです。
これ、勝てないですよ。
左翼は理論、右翼は情念なので理論闘争なら左翼が勝つのです。
ところが死刑問題では右翼が得意の『情念』で攻めて来る。
勿論死刑問題でも大量にウンカの如く押しかけてくるので理論闘争ではなく感情論で泥仕合になるのです。
論理では絶対に勝てるのですが何しろ多勢に無勢で、こればかりは勝つことは困難です。
必ず勝てる『勝利の秘訣』とは負ける勝負には、最初から出ないことなのです。
防衛問題でネットウヨ氏が『日本が外国軍に占領されたら如何する。?』なる質問が出されて若い護憲左派のブログ主が困っている例が多いが、何とも歯がゆくネットウヨだけでなく護憲派の軍事知識の無さにはがっかりしています。
『外国軍に日本が占領されたら』
なんかの馬鹿馬鹿しすぎる質問ですが日本国が60年前にアメリカ軍に全面軍事占領されていた(今でも沖縄や首都の周辺を占領されている)事実を失念しているのですよ。
戦争に負けて、外国軍に占領されたら『じっと辛抱する』以外、何の方法も残されていないのです。
戦争と死刑は国家による合法的な殺人行為という共通項があるのですが、これを根拠として護憲派が死刑問題を取り上げる。
積極的に反対すべきは死刑ではなく戦争です。
光市事件が騒がれる以前は死刑は年に数件で今は何倍にも増えたがそれでも10人程度ですよ。
日本人は1億2千万人以上の大国です。
どんな原理原則でも例外が生まれるので、数人の例外が出ても仕方がないのです。
語るだけの値打ちが無い。

『千葉法相の記事』

これ死刑制度を語っているようで、実は少しも死刑制度の是非は述べていない。
タイトルにあるように自分の政治信条に反して仕事なので仕方なく、心ならずも処刑を命令した千葉法相の悲劇と、(真の政治家にとっては政治信条とは自分の命以上に大切にするべきものなのです)
自分では登山する気がないのに上司の命令で仕方なく入山して死んだ日テレの二人の悲劇を書いた記事なのです。
千葉法務大臣が山本五十六の悲劇なら日テレの二人はガダルカナル島で玉砕した兵士の悲劇と同じ種類のものですね。
人の命は限りがあり、何時かは死なねばならないのですが、無駄に命が失われるほど腹立たしく口惜しいものはありません。

『裁判官検事弁護士の法曹三者は建前上は同等』

法務大臣に立会い義務があれば、当然死刑の求刑した検事は必ず立会い義務がある。
ただ、反対した弁護側だけは(求めれば)義務ではなく『権利』として矢張り『立会い出来る』とする。
誰であれ、自分の『失敗』(敗北)を噛み締めることが成功を掴むよりも何よりも大事な事柄なのです。
死刑囚側も最後の場面で『自分を信じてくれた人、心を許した人』が一人いるのか一人も居ないのかは天と地ほど意味が大きく違う。

『得々と死刑立ち会いを語る法相は現実にはいない』

何事にも例外はあるので、数百人居る与党議員の中には必ず数人以上が『とくとくと語る』が生まれるのでが、国会議員が人気商売であることに気が付いていない共産党議員以外は、思っていても『奇人変人と思われて』票が減ることが考えられ落選が怖いので世間には公表しません。
口で言うのと自分が行動するのとは全く違う。
光市事件で少年に対して『死刑』を連呼していた橋下徹的なネットウヨ連中も、それなら彼等が本当に首吊り人の足を引っ張れるか。
そう主張するのと、自分がそう現実に実行出来るのとの間には、とんでもなく大きな容易には超えられない深い深い谷がある。
飛び越すことが出来る人は極少数。
ネットで大増殖している怒り狂う嫌韓嫌中や『死刑』『死刑』ですが、所詮脳内のバーチャル空間の話なのです。
口で言うだけで自分では出来ない。
欧米のホンモノのネオナチとは大違いで、誰一人も在日朝鮮人や華僑を襲って殺すなんて出来ないのですよ。

『語るだけの値打ちが無い』

『みんなの党』が今国会で盛んに国会議員歳費の日割り法案を取り上げてりるが、連中の主張では『当選して一週間の議員が1ヶ月分受け取るのは納得行かない』として大問題であるとしているが、
もっと大きな、問題にするべき課題が有る。
何とも情けなさすぎる低レベルな『国会の権威を貶める』話で有る。
政治家は何時から日雇いのパートの臨時雇用になったのか。
そもそも政治家の仕事は国会審議に出ることだけが仕事ではない。
国会審議は最後の仕上げで、それ以前に日々寸暇を惜しんで自分で政策研究するべき大事な勤めがある。
日頃から真面目に政治家の仕事をしたことが無いからこんなアホ話ができるのだ。
彼等の問題にしている金額は1億数千万円。
庶民にとっては大金だが何百兆円単位の天下国家を論じるべき国会審議から見れば端た金以下の些細な金額である。
国会を一日開いて審議すれば、どれだか莫大な税金が使われているか考えて主張しているのだろうか。?
みんなの党の渡辺喜美は小学生程度の算数(損得勘定)も出来ないのです。

『何で死刑問題なんかを取り上げてしまったのか 』

千葉法務大臣の死刑の立会いに対して護憲派のブログでは非難の声が沸きあがる。
誰一人も法務官僚に屈服してしまった千葉氏の悲しさ悔しさを理解しているとは思えないのですね。
自分の判断や信念に背いて真珠湾のアメリカ海軍を攻撃した連合艦隊の山本五十六と千葉法務大臣は似ていると思ったんで、何か一言でも弁護したかった。
死刑問題を取り上げているようで、実は意識的に死刑の是非論は全く論じていない。
日本の護憲派ですが、何故か死刑問題にいたく熱心であるのですが残念ながら私は全く興味が無い。
興味が無いという言うよりも、もう少し積極的に『話すべきでない』との立場なのです。
護憲左派ですが問題にすべきは戦争などの公的に許された超スーパーウルトラ大量殺人であるのです。
人の能力には限りがあり、大事な『力』は大事な問題に振り向けるべきで、死刑は大事な問題とは到底いえない。
日本は1億を越える人口大国で年間100万人が死ぬのですよ。
宝籤3億円当てる人よりも少ない人数でしかない、数人が死刑になる事など例外中の例外です。
そしてどんな素晴らしい原理原則でも矢張り例外は生まれる。
例外など『論じる値打ちが無い』との立場です。
その為に、当方としては死刑に対する態度ですが、死刑制度には反対していますが、『死刑を論じる事』にも反対する態度なのです。
ですから千葉法相の記事の趣旨は、
死刑問題などではなく自分の主義主張を捨てて、法務官僚に嫌々死刑の署名を押し付けられた優柔不断の根性なしの話なのですね。
これは日本テレビの嫌々山に登って死んだ二人と同じ立場だと思えるのですよ。
何とも恥ずかしくみっともなく悲しい話だと思いませんか。

『死刑問題の最良の解決法はモラトリアム』

死刑ですが、お隣の韓国は死刑制度自体は廃止してはいなくて、今でも死刑は維持しているのですが、死刑の執行を廃止しているモラトリアム状態なのです。日本国もこの方式が一番正しい解決方法ではないかと考えています。

みなさんは、これまでの国政選挙で共産党が15万票以上で無いと当選出来ない選挙区で3万程度で落選して供託金を没収されている有様を如何考えておられるのでしょうか。?
共産党ですが、全く勝てないことがわかっている『戦い』に勇敢に挑んで惨めに敗北しているのです。
これには歴史的な経緯があり、大昔の1945年から何年も経っていない時代なら勝てなくても『共産党』という政党が日本に存在している事を宣伝する目的で全選挙区に候補を立てて選挙を戦う重大な目的があったのでしすよ。
ところが今、日本に共産党があることぐらい誰でもが知っているし、政策も知りたければ一般新聞にも載っている。
御存知のように自公の有力候補が民主党系のリベラル候補と一騎打ちしているときに3万票の共産党票の行方は勝敗のキャスチングボードを握っているのですよ。
公明党はこの勝敗のキャスチングボードを最大限に利用することに成功して自民党から比例区の票を得たので実力以上に議席を得ている。
ところが同じように『絶対に勝てないが、誰かを勝たせる力がある』というような微妙な立場は共産党も持ているのですが、完全に無駄使いしてしまっている。
総選挙で田中康夫が民主党推薦で公明党の大幹部冬柴鐵三の刺客として兵庫の尼崎市の兵庫8区に出馬するが共産党も候補を立てるのです。
私は共産党幹部の政治センスの無さ、酷さに涙が出ました。
共産党は2万以上の票得て落選。
田中康夫が公明党冬柴に僅か2千数百票の差で辛勝するのですが、共産党単独では逆立ち視しても悔しいが公明党大幹部の冬柴鐵三には勝て無いのですよ。
そして田中康夫ですが社民党を除けば共産党の政策に一番近い革新的な政治的スタンスなのですよ。
もしも運悪く田中康夫が落選していたら、この場合には反自民の進歩的な有権者から、その戦犯として非難されるのは間違いなく勝った公明党ではなく負けた共産党なのですよ。

『負ける戦いは避けた方がよい』

『正しいものは正しい』との硬直した姿勢ではなく、彼我の力関係を考察して『勝てない』『絶対に負ける』と客観的に判断出来たのであれば、あえて『戦わない』との選択肢も十分に考えられる。
正面からは戦わずに『勝てる』方向に誘導していく政治的な判断が今の護憲派や共産党には求められているのではないでしょうか。?
何しろ共産党とは『何が正しいか』『何が真理であるか』を究明するのが使命の学術研究団体では無いのですよ。
今の世の中を少しでも良くする為の政治組織(政党)であるのです。
それで最初の死刑論議ですが、
これはいくら正しくても今の護憲左派の力量では『勝てない』のですよ。
ですから政治ブログである当ブログでは政治的な損得を一番最初に優先するので死刑論議は基本的にしないのです。

『死刑の論議に反対している 』

今の日本では一日に3000人が必ず死んでいるのですよ。『死刑問題』を此処で取り上げない最大原因は『取り上げるだけの、値打ちが無い』と判断しているからです。
何事にも例外はあるのですよ。
例外的な事例を論じる気が、最初から当人には無いのです。
だから此処では全く死刑の是非には触れていません。
年間一桁の死刑だけでなく日本では殺人事件でさえ年間1000件程度の少なさで例外的な事例である。
まだしも3万人強の自殺の方が多いので、これなら取り上げる気も出て来るが、自殺も殺人も実は内向きか外向きかの違いだけで同じ行為であるのですね、
だから『自殺するだけの勇気が無いので大量殺人で死刑になりたい』何て犯罪まで生まれてくるのですが、このように死刑制度には抑止効果は無く、反対に大量殺人を誘発する危険性まである。

『自分に関係が無い問題は、関心も無い』

まさか死刑反対の皆さんの親族とか友人知人で死刑になった人がいるのでしょうか。?(それなら私は大変無神経なことを言っていたことになりますが)
どんなことでも、誰かが必ず行う必要がある。
例えば、蝿の触角の構造の解明に自分の一生を捧げる研究者はいるだろうし、それはそれで大事な話だと思います。
しかし、日本の科学者の誰も彼もが全員蝿の触角に興味があり研究すれば、とんでもなく可笑しいとは思いませんか。?私は蝿の触角にも死刑にも何の興味もありません。
私の周囲では監獄に放り込まれた者はいても刑死した人物は一人もいないのですよ。だから興味が無い。

『典型的な共産党系論説の悪例』

>『死刑廃止論が勝てないからしない、という政治的な打算で死刑廃止論をしないのであれば、天皇制全体主義の日本国家に対して「勝てない」政治闘争に挑んで特高警察に拷問を受けて殺されかけた宮本顕治さんや日本共産党は自滅した政治センスのない政党なのでしょうか?そのような評価は完全に非科学的ではないでしょうか?』<

とは、『なるほどこれでは共産党は嫌われるだろうなあ』と思わせる、ある種の典型的な共産党系論説の悪例であるのです。
先ず第一に考えられる問題点は、戦前と戦後と、全く価値観が180度変化している事実を軽視して、同列に論じている。
世の中の価値観が正反対になったのですから、敗戦前には正しいことでも戦後は『間違いである』に変化するのです。
日本共産党の88年の歴史を一続きのものであると思っているのでしょうか。
敗戦後の議会制民主主義の合法的活動期の65年と、それと正反対の敗戦前の独裁帝国の非合法の23年間は同じ日本共産の党名でも一括りに出来るほど簡単ではない。
今の共産党幹部ですが、時代により価値観が180度変化している事実に鈍感すぎるのです。
民主主義の価値観が何よりも優先される時代にもかかわらず、何十年も帝国の時代に日本語に訳された用語であるプロレタリア独裁を使い続けて党に大損害を与えたのは共産党幹部自身だったのですよ。
一般市民が無知だったから天安沈没など『反共宣伝』が有効であったのではなく、実は市民の方が賢くて、共産党幹部が(時代の変化に)無知だったから反共宣伝が有効だったのです。

『政治的には敗北した戦争反対の共産党』

戦前と戦後を一部の頑迷な共産党幹部は『正しいものは正しい』と変化をしている事実を認めようとはしないのですよ。
戦前に共産党は『戦争反対』を主張したのは事実ですが、残念ながら何の政治的成果もあげれ無かったのです。
唯一の成果は『共産党は過去に戦争に反対していた』との『名誉』だけなのです。
政治的な成果も実績もゼロです。
共産党は全敗北してしまい、その主張は何一つも成功しなかったのは『厳しい歴史的事実』なのです。
ですが、この実質的な形としては何も残らなかった侵略戦争に反対した『宮本顕治など投獄されたが共産党幹部』の名誉は敗戦後に別の形で『党』の為には大貢献する。
敗戦後に、『帝国が敗北することを事前に知っていた共産党』との評価が市民の間に広まって共産党は党組織がほとんど無い状態でも35議席もの当選者が出た。
支持された理由はただ一つ、
共産党以外は、帝国の崩壊を誰も他の市民たちは『気付いていなかった』のです。
1945年の敗戦以前に『共産党は未来を知っていた』驚異的な事実に、焼け出された市民が感動したのですよ。
共産党の勝利は『共産党は戦争に日本が負けると正確に予測していた』ことに尽きるでしょう。

『相反する共産党の名誉と天皇の権威』

今の共産党は大きな勘違いをしていますが、『戦前の戦争反対の歴史』は、自分達自身(論理の世界)は大変『正しいことをした』と考えているのですが、現実の日本社会では、これは未だ正論にも原則にもなっていないのですよ。
それどころか日本市民の民主主義のレベルに精通している日本の保守勢力は『逆』(不名誉)だと思っているのです。
そしてその保守の考えは悲しいかな『正しい』のです。
あの千葉のヤーさん浜コーが自民党議員時代予算委員長の要職にあるときに『宮沢賢治は人殺し』など御馬鹿極まる発言をして職を棒にふる事件や宮本身分帳不正持ち出しの鬼頭判事補事件、立花 隆の治安維持法事件での共産党への反共宣伝など思い起こせば、日本人の多くはその程度の民度であることを熟知しているのですよ。
西欧世界の政治常識であるファシズムに抵抗して戦った左翼の『栄光』や『名誉』は、唯一の最高権力者天皇ヒロヒトを敗戦後もそのまま象徴として残し、戦争犯罪人と断罪したはずのA級戦犯を顕彰して恥じる事を知らない日本では、残念ながら認められてはいないのです。
そもそも戦争に反対した共産党の『名誉』は、戦争を指導した天皇ヒロヒトの『権威』とは真っ向から相反する性格のもので決して両立しない。
共産党の『名誉』が正しければ戦争を指導した側の天皇の『権威』は自動的に傷つく。
今のように天皇の『権威』が高まれば、共産党『名誉』は正反対に地に落ちるシーソーのような関係にあるのです。
今でも日本では一部市民レベルでは戦前の価値観の残滓が色濃く残っており『戦争反対』の共産党は『国賊扱いの非国民』で、これで保守は一定の票が期待出来るのです。
共産党は過去の戦前の歴史が『名誉である』(共産党の票が増える)と考えているが、自民党などは今でも正反対に『恥である』(共産党の票が減る)と考えているのですよ。
戦争責任を曖昧にした日本では、この自民党の考えが、恐ろしいことに(嘆かわしいことに)決して間違いではないのです。

共産党の35人の当選は、『共産党の考えや政策が支持された』訳でも、
ましてや『共産党が戦争に反対していた』からで無いことは次回総選挙で35がゼロになることを思えば明らかです。
戦前の歴史や共産党の主張が支持されたのであれば『ゼロ』にならない。(勝っていた)
何故なら35人当選の前回と、議席がゼロの今回がそれでは置かれている政治条件が同じなのだから。

共産党支持者の多くは戦前の共産党の実体を誤解していますが獄中にあったのは幹部で、党は完全に崩壊してしまっていた。
帝国の攻撃で共産党丸という船は完全に沈没して宮本顕治など船長機関長などは責任上沈む船と運命を共にしたが乗員全員は海に沈んだ訳ではなくて身を守る為に自分の主義主張を封印して生き延びたのです。
当時の共産党の政治活動は完璧な負け戦だったのですよ。
そして政党とは、矢張り政治的な勝敗を一番大切にしなければならないのです。
勝てない戦いは自分自身を守る為に、避けなければならないのですよ。
当時『正しいことは勝敗に関係無く主張する』が正しい考え方なら、一般党員や支持者も全員が憲兵隊に捕まって監獄送りで命が危ないのですよ。
例えは悪いが、それでは東条英樹の戦陣訓の『生きて虜囚の辱めを受けず』に近い思想で、一般の将兵に戦争を指導した軍幹部と同じ責任を押し付けるようなものです。

『何が一番重要であるか』価値観の狂い

ご自分のブログで死刑廃止問題を熱心に取り上げている護憲左派のみなさん。
ご自身の周辺で死刑になった方が居られるのでしょうか。?あるいは何か死刑廃止運動の関係者なのでしょうか。?
当方のブログで死刑問題を取り上げないのは『価値観』の問題であるのです。
死刑は年間一桁多くても二桁に届くか届かないかの極少数で社会全体から見れば些細な問題なのです。
取り上げない最大の理由は『語るだけの値打ちが無い』なのです。
(勿論、勝てないもあるが)
今の日本社会ですが、全てに拉致問題が優先する政治や外交が、何かとんでもなく病的だと思いませんか。?
あるいは9・11事件を口実にした対テロ戦争に狂奔するアメリカが病的だと思いませんか。?
拉致問題ですが、確かに関係する当時者なら大問題中の大問題なのですよ。

ところが日本全体から見れば30年前の十数人の関係した事件など、他の一般市民にとっては小事のうちの小事の些細な問題であるのですよ。
事実韓国では日本の数百倍の北朝鮮による拉致事件が起きているのですが、日本とは大違いなのですね。
韓国では拉致事件よりも、もっと大きな大切な目の前の政治的な事件があるとの国民の意思なのです。
日本と韓国と、これだけ大きく『正反対である』ともいえるほど違っているが、さてどちらが正しいのであろうか。?
日韓の、どちらかが正しくどちらかが間違っている。
この拉致問題に対する対照的な日韓の相違ですが今回の私と、死刑問題に対し熱心に取り上げる護憲派の見解の相違と全く同じ種類のものですね。
韓国が拉致被害者の救出を全く無視しているのではないのですよ。
ただ政治的な優先順位として日本のように一番ではない。
それ以外が上位に在り、拉致問題は可也下の方なのですよ。
何故、韓国で拉致問題が政治的順位が下になったかの理由は、『政治的な価値観』の問題(判断)であるのです。

アムネスティの機関紙が死刑問題を連日記事の全てを割いてもあたり前ですが、もしも政治経済を書くべき赤旗が本来の仕事を放り出して死刑問題ばかり書いていたら駄目ですが、
いくら少数の例外的なことでも死刑は日本に存在しているのですから、日本の刑法制度の問題点の一つとしてとり上げるのは良いでしょう。
ただし、ここでも価値観の問題として例外的な死刑制度などよりも、
より沢山な人が関係している、より切実な明治時代に出来た非民主的で非人道的な監獄法の抜本改正の方が早急に求められる。
今の日本の監獄制度がどれ程問題であるかご存知ですか。?
警察の代用監獄も大問題ですが、ホンモノの監獄も大問題であるのですよ。
護憲派での死刑問題を取り上げる人は多くいるが、
何故より大きな問題である『監獄』の問題点を取り上げないのでしょうか。?
名古屋刑務所での拘束具の不正使用により受刑者のリンチ死を如何思っているのですか。
監獄は一般社会から隔絶した位置にあり発覚した看守によるリンチ死は少数ですが虐待による広い意味でのリンチ死は死刑の執行数よりも間違いなく多いのですよ。
何故みなさんは死刑には関心があるがより切実な問題である監獄問題には何の関心もないのか。?
私にはその理由が一向に理解できません。
基本的に価値観が狂っているのですよ。
だからその掲げる理想論や主張がいくら正しくとも死刑問題で、普通の一般の国民の支持が得られないのです。
一番大事なのは『物事の其々の正誤や善悪』(戦術的な判断)ではなくて、『それぞれの物事の優先順番(価値観の順位)』(戦略的な判断)なのです。

コメント (19)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大日本帝国敗北65周年と日... | トップ | 共産党の歴史的敗北を分析す... »

19 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
共産主義思想の内容、中身が問題です。 (東西南北)
2010-08-19 00:38:20
 戦前も戦後も日本共産党の敗北原因は支配勢力の暴力にあるのですが、問題は日本共産党の側、主体的力量の側にも弱点がある点です。

 つまり、現状分析、いわゆる客観分析は正しいのですが、ではどうするのか?どのように対処していくのか、という主体的な力量の側面で弱点があるのではないでしょうか?

 これは戦後も戦前も一続きで一貫していると思います。

 つまり、支配勢力の搾取と暴力に対する原因究明、責任追及をしながらも、同時に、自らの主体に存在する自己分析、自己批判が必要ということです。

 その点で、死刑に対する日本共産党の態度表明もそろそろ明確にした方がいいと東西は述べているのです。憎悪の哲学が共産主義である、という思想攻撃に攻勢的に思想反撃するには死刑廃止を明確に打ち出し、刑罰についても徹底的に教育刑論の立脚するとし、監獄の実態を教育・医療の方向へ改善する刑事政策を打ち出せばいいのです。

 国民感情からすれば党名変更を求める声はあります。事実です。しかし、その事実の背後にある本質、市民の共産主義思想に対する疑問に明確に回答しない限り、党名変更のような小細工をしても共産主義思想の中身、共産主義思想そのものの内容について必ず問題にされます。ここに共産党が戦前戦後と伸び悩み、「敗北」と評価される客観的な原因があります。

 共産主義思想、共産主義理論そのものの批判と克服、発展。いわば新しい日本の共産主義思想を明確に打ち出す時と思います。

 例えば、国民が主人公の大企業の国有化論など、これこそ科学から空想なのであって、空想から科学でもなんでもないのです。

 農地は誰のものか?そこで働く農民のものであり、国民全体のものではない。中小企業は誰のものか?そこで働く勤労者のものであり、国民全体のものではない。大企業は誰のものか?そこで働く勤労者のものであって、国民全体のものではない。国家は誰のものか?公務員や支配者のものではなく、国で生活する国民一人ひとりのものである。

 こうした経済学上の所有論を基礎とした明確で科学的な認識が必要であり、大企業が国民全体のものか、それとも、そこで働く勤労者のものかを誤魔化しているような経済学は所有論の基礎から破綻しているので市民から非科学的な雑炊、裏がある、二枚舌、大企業敵視など様々な疑問が根深く沈殿するのです。

  
返信する
共産主義については語っていない ( 逝きし世の面影)
2010-08-19 11:09:40
東西南北さん、此処では共産主義については一言も語っていないんですよ。
死刑問題に対する共産党系の護憲派の中にある問題点を指摘しているだけであるのです。
ネット空間で出会う共産党員ですが、これが不思議すぎるのですが、
実生活で出会う知識や経験や常識を人一倍持っている党員とは大違いで、共産主義に対する根本的な誤解があるのです。
共産主義とは社会科学の重要な一分野であるので、それなら共産主義者とは科学的な思考が出来る人(科学者)のはずなのですよ。
ところが大違いで、およそ科学とは縁遠いカルト信者もどきばかりで心底驚いています。

この記事の主題ですが、一言でいうと『価値観』の話なのです。
カルト宗教であるとかマルチ商法であるとか色々な詐欺商法に共通する要素は、この『価値観の錯誤』を利用しているのですよ。
人々が其々持っている知識や経験は、簡単には間違うことは無く安定しているのですが、知識や経験以上に大事な、何が一番大事であるかというような『価値観』は案外簡単に操作できるのですよ。
何が正しいか間違っているかの知識や経験による判断と利用(逆用)して、(価値観の間違いに)『間違い』に誘導するのですね。
返信する
TB不通につき (dr.stonefly)
2010-08-19 13:58:05
いつもコメとTBありがとうございます。
珍しくTBを送ってみようとトライしましたが通りませんでした。TB不通はブログでは有りがちですね。不通なので、これまた珍しくコメントをしてみようと思った次第です。

言われてみて、護憲派の似非サヨブロガーとして自らの「死刑制度」のエントリーを振り返ってみましたが、やっぱりいくつか書いてましたよ。が、最初に書いたもの(http://dr-stonefly.at.webry.info/200604/article_19.html←TBに失敗したもの)の焼き直しで、いずれも正統派左派護憲ブロガーには無視される始末でした(笑)。

とはいえ、せっかくコメントをするので少し書きますと、「死刑で死ぬ数が少なく」とも「例外的であろう」とも、やはり何かを感じたなら思索するべきだし、書いてもいいのではないか、と思っています。さらに「周囲に死刑囚」がいるかまた「ワタシ自身が死刑制度の渦中」にあるか、という点についても(本当はこういう言い方はどうかと思うのですが)いざそういう立場になってしまえば冷静な思索ができなくなるわけで、なるまえ、というか普段から考えとくのはいいのではないかとも思っています。

ワタシ自身が少数派の視線で居たい、と思っているからかもしれませんが、、、
返信する
3億円当たったら ( 逝きし世の面影)
2010-08-19 17:45:26
dr.stoneflyさんコメント有難うございます。

テレビのコマーシャルで宝籤が当たってキリンを飼うとの話が放映されていますが、間違いなく自分が死刑に当たる確立よりも、まだしも3億円の宝籤に当たる確立(当たりくじの本数)のほうが遥かに高いのですよ。
ですから、これは確率論ではないのですね。
ですから益々理由が判らなくなるのですよ。
まだしも3億円あったとしたらの方が、我々庶民レベルでは間違いなく人生が変わるのですよ。
愚樵さんは間違いなく樵は辞めて何か別のことをやりだすだろうし、dr.stoneflyさんも仕事は判らないが辞めるか変える可能性が高いのです。
死刑ですが、これみんなが思っているほど、それ程人生は変わりませんよ。
それより莫大な追徴金とか監獄行きの方が大きく変わります。
『死』ですが基本的に『無』なのです。
その時だけは大騒ぎするが、済んでしまえばそれで終わりです。後には何も無しです。
『死』は悲惨で醜く残酷で汚らしいだけで他には何も無い。
語るほどの感動的なものは何もありません。全く無いのですよ
それよりも余程どれ程意味の無い『生』でも『生』の方が意味がある。生きているとは、それだけで何ものにも変えられない『意味』があるのです。
『死』は常に汚らしく、『生』はそれだけでも美しいのですから何故みんなが喜んで、自分からわざわざ『死』を語ろうとするのかの『意味』がさっぱり理解出来無いのですよ。
それが『戦争』であれ『死刑』であれ『死』そのものには何の意味も無いのですよ。
ただ戦争は死刑とは大違いで、確率的にとんでもなく『戦争』が高いので好きとか嫌いとかに関係なく、『戦争』は誰でも嫌でも仕方無しに避けれないだけなのですよ。
生も死も、昔なら誰でもが家庭で生まれて家族に見守られながら家庭のなかで死ぬのが一般的だった時代には今のように人前で『死』であれ『死刑』であれ、誰も語らなかったように思うのですよ。
ところが今は病院で生まれて病院で死ぬ。
生も死もリアル感が無くなり何か遠いものになっているのですが、実は誰しも避けれないので必ず死ぬのです。
昔とは大きく違い、みんなが『死』を良く知らなくなったから、人前で『死』を語るようになったのかもしれませんね。
dr.stoneflyさん、良く知らないのですが、ホームレスの『死』に見飽きるほど沢山立ち会ったのではないのですか。
それともあまり無かったのか。どちらなのでしょうか。?
返信する
千葉景子に法相の資格なし (左巻き菅)
2010-08-19 20:04:15
民主党を象徴する外国人参政権及び夫婦別姓を推進する極左翼・千葉景子は、幸い落選した。
これは、死刑反対の千葉景子法相が神奈川県民から受けた“死刑判決”。
菅直人総理は死刑囚を法相として政権内に温存する。
死刑反対の法相が2人だけ処刑したが、まだ100人以上が未処刑のまま。
独身の変人・千葉景子の個人的な判断を裁判所の判決よりも優先させてはならない。
返信する
面影さんへ。 (東西南北)
2010-08-20 00:02:33
 どうも面影さんは「最大多数の最大幸福」のような非科学的な政治哲学を価値観として政治課題の優先性を強調しているようにしか理解できません。焦りすぎて真実の社会科学の哲学である人命最優先を最大限に追及する唯物論を忘れていませんか?

 人間一個の生命は地球より重い、ということだし、人間一個の生命を最大限に擁護する政党政治が民主主義の科学の基本なのですよ。

 刑事政策は日本国民全体にすさまじい影響を与える政治政策であり、科学的な刑事政策を打ち出そうとすれば政策の大前提としての科学的な思想・理論が必要になるのです。非科学的な政策事実の本質は、非科学的な思想・理論を本質としています。

 したがって、憎悪の哲学の共産主義、という反共イデオロギーが巨大な敗北原因になっている日本の特殊情勢の下で、応報刑・憎悪の哲学ではない教育刑論を一貫させた死刑廃止、監獄実態の改善を打ち出す刑事政策を打ち出し、憎悪の哲学なる反共攻撃に対し正しく科学的な死刑廃止と教育刑論の刑事政策を対置し反撃する必要があるということです。

 もっとも優先しなければならない政治上の価値観は思想上の反共攻撃に対する反撃です。この内容、中身が問題です。

 当面する政策課題だけを面影さんのいう優先順位で強引にねじ込んむようなやり方が限界に来ているという教訓を出す必要があります。

 敗北原因は政策の優先順位をつけ間違ったからではありません。反共主義を基本とする思想・理論の弱点を突かれ続けて反共主義が沈殿していることが土台で特徴は韓国軍艦沈没事故でした。

 したがって、対処法は今すぐにでも思想・理論のレベルで東西の言うように変える必要がある、ということですが、これは共産党の党員と幹部が決めることであり、日本共産党と政治上の共闘をするような東西には決定権がありませんし、また、人権と民主主義を不徹底にして非科学的な共産主義思想を容認し、公式に認めているような日本共産党とは基本思想が違うので党員にもなれないのです。

 人権と民主主義では政治闘争で協力しながらも日本共産党の思想上の敗北原因であるドグマに対する言論での批判を党外で行うには党外協力しかできないということになります。

 共産主義のドグマについては面影さんに述べてきましたが、本当に良識ある市民は辛い思いをしています。その精神的な疲労が遂に瓦解し始めたというのが敗北原因だと思います。

 思想・良心が違っても一致する点で協力、思想差別は違法だと人権・民主主義を擁護し、日本共産党と協力するような良識ある市民にしても、日本共産党の思想・理論の中身、内容そのものには、ため息をついて「まだか。まだか」と思っているのですよ。

 ここを理解しなけばならない。日本共産党が誕生し、思想・理論研究を始めて、もう約90年です。

 今、ではないでしょうか?

 
返信する
左巻き菅さん、東西南北さん、コメント有難う御座います ( 逝きし世の面影)
2010-08-20 09:03:13
この記事ですが、以前の『奥秩父4重遭難の残酷、千葉法相の無残』の当方のコメントの『死刑関連』だけ整理して記事にしたもので、
記事の趣旨は『死刑論議の是非論』、『護憲左派ブログの死刑論議』』なのです。
ですから『千葉法相の記事』なるサブタイトルも有るにはあるが、たった10行で、しかも卑しくも政治家なら自分の命より大事な筈の『自分の主義』を法務官僚に言い負かされて貫けなかった情けなさすぎる根性なしの無残を指摘したのです。

南北さんも困った人ですね。
以前の記事は全く『死刑の是非論議』はしていないのに当方が死刑論議は『嫌だ嫌だ』と何べんも何べんも言っているのに『死刑の是非論議』のコメントを送ってくる。
そして今回わざわざ『死刑論議が大好き』らしい南北さん用に、前の記事に対する死刑関連コメントだけを抜き出して『死刑に反対。死刑廃止論議にも反対』とのタイトルの『死刑論議』に特化した記事をわざわざ立ち上げたのですよ。

そしたら今度はやっぱり記事の趣旨とは違うコメント群を送ってくる。
しかも長い。
しかも当方のコメントを曲解しいるとしか思えないつまみ食いコメントですよ。(コメントはほとんど前のままですよ)
何故南北さんはそんな不思議なことが出来るのですか。?(良く知っている親しい南北さんで無かったら嫌がらせかと思うところですよ。)

文字数は10000次近くて膨大だが、この記事の私の主張は単純です。
様は、『一番大事なのは価値観である』(物事の正誤や善悪よりも優先順位こそ価値がある)との主張であるのですよ。
「最大多数の最大幸福」何ぞは誰も此処では論じていないと思いますよ。
3500000人が死ぬ戦争には好き嫌いに関係なく全ての人にとって普遍的な問題なので論じる価値があるが、それとは対照的に2~3人の死刑など超特殊な少数な例外的な問題は、やりたい人が論じればよいのであって当方には何の興味も無いと主張しているのですよ。
それが何故突然に「最大多数の最大幸福」になるのでしょか。
もう少し下世話な例で言えば、末期がんとか瀕死の重症の人の水虫の治療とか歯痛は些細な問題で有り『価値観の優先順位』が下の方にあり今取り上げるべきで無いと主張しているのですよ。これが何故「最大多数の最大幸福」になるのでしょうか。?理解できません。

南北さんは、どうも『記事の趣旨(メインテーマ)に何が書いてあるか』にはそれ程関心は無く、『自分が何を感じたか』が優先しているようですね。

コメントの後半部分の共産党の敗北原因とその克服にかんする判断は全く正しくほとんど付け加える部分は有りません。全く同意見です。
返信する
面影さんへ。 (東西南北)
2010-08-20 09:10:21
 以下の面影さんの主張は、もろに「最大多数の最大幸福」ですよ。

 「3500000人が死ぬ戦争には好き嫌いに関係なく全ての人にとって普遍的な問題なので論じる価値があるが、それとは対照的に2~3人の死刑など超特殊な少数な例外的な問題は、やりたい人が論じればよいのであって当方には何の興味も無いと主張しているのですよ。」

 これは駄目です。いくら面影さんでもまさか日本共産党がこのようなことを「しんぶん赤旗」で報じたらどうすのでしょうか?そりゃそうだ、と思うのでしょうか?これこそ狂っていますよ。価値観が。駄目です。

 正当防衛・緊急避難の特殊性で問題ないと面影産は思っているようですが、それは唯物論を根本にしない観念論の弁証法で詭弁です。

 普遍性というなら人間一個の生命は地球よりも重いという根本を全面的に日本共産党は大キャンペーンする必要があるのですよ。人命最優先で一貫するからヒューマニズムなんです。

優先性ではなく、この場合、反共の思想攻撃に反撃する場合、一貫性、根本性、全面性が必要です。
返信する
無茶苦茶です ( 逝きし世の面影)
2010-08-20 10:38:13
東西南北さん。
それ。まるっきりマルチ商法やねずみ講、あるいは数々の詐欺商法の手法ですよ。あるいは宗教そのものです。
価値観が完璧に狂っています
『人間一個の生命は地球よりも重い』が、何か普遍的な真理だと主張するなど・・・・
自分が、どれ程無茶苦茶を主張しているかの自覚が無いのですよ。
その言葉は真理でもなんでもなくて単なるコマーシャルのキャッチコピーですよ。最大限贔屓目に見ても人道主義とか宗教的なスローガン(標語)程度です。
本当に信じているとしたら・・・・絶句する以外・・・言葉も有りません。
良く考えてください。
数式に置き換えたら、『人間一個の生命>地球』になるのですよ。
地球上には60億人以上の人命が付随しているしそれ以外の全ての生命も含まれるのですよ。
これは、ですから普遍的でも根本でもなく単なる、『心構え』程度の話であるのですよ。
『人間一個の生命は地球よりも重い』という言葉が『真理である』とか『原理原則』などと少しでも思っているとしたらそれは完璧な『カルト宗教』で科学とは正反対の考え方です。
東西南北さんは政党機関紙である赤旗には、所謂護憲派ブログのようには『死刑廃止論議』が取り上げていない現状にも、同じ考えなのでしょうか。?
赤旗の今までの長い歴史の中で、私の記憶している限りにおいては赤旗の死刑問題にたいする態度は、政治ブログである当方のブログ記事と同じであるのですよ。
死刑には反対していても当方のブログと同じで、基本的に今まで積極的には死刑廃止キャンペーンなどは赤旗紙上では行っていないのですよ。
その理由は政治的優先順位(価値観)でもっと大事なことがあると考えているからですね。紙面には限りがあるのです。
ですから南北さんの考えが正しいと仮定すると、共産党機関紙赤旗は、『観念論の詭弁』となります。

dr.stoneflyさんにも聞いたのですが、東西南北さんは周囲に死刑囚がいるか、または御自身が死刑制度の渦中に有るのでしょうか。?
今の態度は冷静な判断が出来るはずの、到底関係ない第三者の態度ではないのですよ。
返信する
何故コメントしたのか (dr.stonefly)
2010-08-20 11:34:23
敢えて再コメしなくてもいいのかもしれませんが、なんとなく締りが悪いので(笑)。
死刑制度の議論に反対、そうした議論があれば話を逸らせていく、と言っている逝きし世の面影さんのエントリーに何故コメントしたかというと、ひとつはTBを頂いたからだと思います。そして頂いたTBを読んでも、ワタシ自身はやはりまた書くかもしれない、と思ったからです。

逝きし世の面影さんに(というか、誰に対しても)、「死刑制度の議論はすべきだ」と言うつもりはありませんのでこれでコメントは終わりにしますが、死刑制度は「死」について語るものではなく、「生」について、もしくは「生の断絶」、「システムによる生の断絶」、「システムによる殺す行為」だと考えています。
返信する

コメントを投稿

文化・歴史」カテゴリの最新記事