逝きし世の面影

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破壊的カルトのネガティブキャンペーン(資料)

2008年05月20日 | 宗教

創価学会が矢野絢也、竹入義勝を攻撃する本当の理由

『竹入義勝元委員長』の場合

「聖教新聞」2006年六月一日付「創立八十周年へ 前進と勝利の座談会」で、公明党竹入義勝元委員長(80歳)への個人攻撃。
「横領容疑の竹入またもや新事実が発覚」
「三大紙でも学歴詐称」
「四十年前から航空仕官学校出身と大ウソ」
 座談会に加わった秋谷栄之助会長は、
「竹入のやつが五百万もの党の資金を横領していた…」
「本当は尋常小学校高等科卒業の経歴を竹入のやつは平然と詐称している」
、と創価学会・公明が、元公明党委員長竹入義勝氏を口汚なく罵っている。
 


竹入氏は『朝日新聞』紙上に、「秘話 55年体制のはざまで」と題する政界回顧録を連載する。
その中で、昭和四十四年末に明らかとなった創価学会・公明党による言論出版妨害事件の真相や、創価学会・自民党の蜜月関係、日中国交正常化の裏話、さらには創価学会・公明党の政教一致の実態や、創価学会を守るために行なってきた検察や警察に対する不正工作などの事実を明らかにした。
 
この竹入氏の回顧録に対し、創価学会のドン池田大作氏は、回顧録連載開始翌日に行なわれた本部幹部会の席上で、
「恩知らずに成功者はいない。」「創価学会のおかげで偉くなったにもかかわらず学会に感謝しないヤツは人間じゃない。」「馬か鹿だ。畜生!」
と、竹入氏を激しく罵倒する。
以後、創価学会は、この池田氏の意を受けて、「竹入義勝は裏切り者・反逆者」と、公然と名前を挙げて竹入氏攻撃を開始する。
 

『聖教新聞』一面掲載のコラム「寸鉄」から。
 
「天下の変節男・竹入某。欺瞞の天才、嘘とごまかしと、権力欲の代表男」
「元幹部、元議員、元弁護士……大恩裏切った〝元族〟に、元委員長も仲間入り」
「自分の罪を正当化するのは悪魔の所業」
「保身タヌキのなれの果て」
 『党の私物化とは、お前のことだ』と公明長老。
「自分勝手で撹乱の証言続々。」
「金と女と出世欲だけは人一倍。」
「これ反逆者の性根。庶民が嘲笑、庶民が撃破。」(9・28付)
「庶民の献身に仇で報いた元委員長。支持者への裏切りで、己の人生全否定。」
「大物ぶって嘘八百の自慢話。これ反逆者の共通点。小物、エセ者、食わせ者。」
「日顕と竹入はウリ二つ。」
「本人も女房も、よく似ていると陰口。全く全く。」(9・29付)
「訪中で寝込んだ竹入『日中は俺がやった』。盗人竹竹しいと党幹部の言。」
「手柄は自分、失敗は他人。」
『とんだタヌキだな』と自民山の面々も軽蔑。」(9・30付)
「権勢に眼がくらみ、勲章に眼がくらみ、支持者に唾して晩年は『くらやみ』(10・1付)



それにしても、「欺瞞の天才」に「保身のタヌキ」、「嘘八百」に「小物、エセ者、食わせ者」と、その悪口の下劣さ、下品さは驚くばかり。
周知のように、竹入氏は公明党の委員長を二十年にわたって務め、言論出版妨害事件をはじめとする数々の難局で、体を張って創価学会なかんづく池田氏を守った人物。
いわば創価学会・公明党にとっては大功労者であるにもかかわらず、創価学会は竹入氏を口汚なく罵り続ける。
 

 

『聖教新聞』に掲載された読者の「声」の見出し。
 
「元政治家の忘恩、ペテンは許さぬ! 反逆者の末路は目に見えている」(9・29付)
「畜生以下の人間か 恩知らずの最低男」(9・30付)
「貧乏のどん底だった竹入 恩知らずのクズ男 二度と故郷に来るな!」(10・2付)


一人の政治家にあらん限りの罵倒、中傷の十字砲火が浴びせかけられている。
「天下の変節男」「欺瞞の転載」「畜生以下の非道」「泥棒野郎」「銭ゲバ」「ヘビ」-こうしたおどろおどろしい文字が、
「公明新聞」(公明党機関誌)や「聖教新聞」(創価学会機関誌)に踊ってる。
双方とも、「ヒューマニズム」を標榜し、「人権と平和」を守ることを自らの立脚点だと公言して憚らない組織の機関誌である。
それも尋常ではない執拗さである。
数百万の部数を誇る新聞で、これほど大量の個人攻撃がなされたことはかつてなかった。

その攻撃の主たる原因は、竹入が朝日新聞紙上で十二回にわたって発表した「秘話・55年体制のはざまで」と題する回顧録にある。
彼らがなぜ血道を上げて竹入バッシングに走ったのか。?
理由は極めて単純だ。
回顧録の内で、竹入氏が日中国交に尽力し、その功績で勲一等を田中角栄と受賞したことを記述したことが、創価学会の池田大作名誉会長の逆鱗に触れたためである。
(池田氏は国交回復の最大の功労者は自分であるとしている)
因みに池田氏は勲一等を受賞していない。


[資料]
2008年04月04日
党資金流用裁判で竹入氏が全面勝訴! 公明党の主張を全て斥けた東京地裁判決。
 
この裁判は、公明党の内部調査の結果、竹入氏が党の資金五百万円で妻に指輪を購入していたことが判明したとして、竹入氏に対し五百五十万円の賠償を求め、平成十八年七月に訴えていたもの。
 
この裁判では、百貨店の女性店員が「昭和六十一年六月か七月に、竹入氏が来店して妻のために五百万円で指輪を買った」と証言していた。
 
だが裁判長は、「購入したとされる時期は委員長在任時だが、当時は衆参同日選の最中で、百貨店で妻を伴って買い物をする精神的、時間的余裕があったか疑わしい」と指摘。さらに、「指輪の種類や形が特定されておらず、妻が持っていたと認められる証拠もない。元委員長が購入したと述べた店員の証言も、具体性がなく信用性に疑問がある」などとして、公明党の要求を退けた。

この「事件」は、今から二十年以上も前の出来事。
しかも、竹入氏が公明党委員長在任中はおろか、引退後も問題は全く表面化することはなかった。
それが、平成十年、竹入氏が『朝日新聞』に「秘話 五十五年体制のはざまで」と題した手記を発表、公明党と創価学会の裏面史の一端を明かすや、公明党と創価学会は、総掛かりで竹入氏に対する誹謗(ひぼう)を展開。
 
この「事件」も、一連の竹入氏誹謗ネタの一つととして、突然、世に出てきたもの。
そして、公明党・創価学会はこれまで、この訴訟自体を竹入氏攻撃の格好の材料として、最大限活用してきたのである。
 
提訴した時においては、『公明新聞』が四段見出しで大きく報じたのに加え、『聖教新聞』までが、本来は社会欄、ないしは政治欄に掲載すべき内容であるところ(一般紙は全てそうした扱い)、体験談などが載る四面(熱心な学会員が良く目を通す面)に、三段見出しという大きな扱いで掲載していた。
 
さらにその後、『公明新聞』も『聖教新聞』も、紙上座談会の形で、提訴の件を盛んに取り上げ、竹入氏を徹底的に誹謗してきた。
 ところが、今回の敗訴については『公明新聞』がベタ記事で小さく控訴を報じたのみ。













『矢野絢也元公明党委員長』の場合

『元公明党委員長が創価学会を提訴』[TBS News-i 2008年5月12日20:34]

政治評論家で公明党元委員長の矢野絢也氏が創価学会側から評論活動を止めるよう強要されたとして、創価学会側を相手取り、5500万円の賠償を求め提訴。
 
矢野氏は3年前に創価学会の施設で複数の幹部に囲まれ、政治評論家としての活動を中止するよう要求されたり、多額の寄付も要求され、人権を侵害されたとして、創価学会と幹部7人に慰謝料など5500万円を求めています。
 
矢野氏は1993年から94年にかけて月刊誌に連載された手記で、「政教一致と言われても仕方がない部分があった」と指摘したところ、3年前から創価学会側から機関誌で誹謗中傷されたり、激しい批判を受けた。
 




『矢野絢也に政治評論活動をやめさせた創価学会』

公明党の書記長、委員長を務め、政界引退後、政治評論家となった矢野絢也氏が、2005年に創価学会から激しい非難を浴び、謝罪し、評論・執筆活動を自粛している。
夕刊紙「日刊ゲンダイ」に連載していたコラム「永田町一刀両断」も中止となった。
 学会が問題にしたのは矢野が「文芸春秋」(九三~九四年)に掲載した手記の中で「学会と公明党は政教一致といわれても致し方ない部分がある」と書いたこと。
正しい主張と思われるが、矢野は学会の攻撃に、「書いたこと自体が間違いだった」と全面降伏。





集団リンチを思わせる「矢野叩き」

2005年からは創価学会が矢野絢也・公明党元委員長を袋叩きにしている。
矢野氏は89年5月明電工事件にからんで委員長を辞任し、党最高顧問に移ったが、93年6月に政界を引退、その後は創価学会・公明党と一般世界にふたまたをかける両棲類的、ヌエ的な政治評論家として所帯を張っていた。
 
矢野氏は月刊「文藝春秋」の93年10月号~12月号、94年5月号~8月号に回想録を連載し、それを『二重権力・闇の流れ――平成動乱を読む、政界仕掛人・矢野絢也回想録』として94年9月に刊行している。
また前後して、94年3月には『乱か変か――細川連立政権は何処へ行く』を毎日新聞社から出した。
いわば10年も前に、政治的にも社会的にも生命を終え、付録だけで生きているような矢野氏をなぜ唐突に今、叩かなければならないのか。
世間の常識からは唖然とするばかりだが「聖教新聞」の矢野氏攻撃は執拗をきわめている。
初っぱなは同紙の4月28日付。4面全面をつぶして「常勝関西が正義の大前進」「戸田先生“支持者を裏切る者は叩き出せ”」「議員は引退後が勝負だ」「公明党元委員長の矢野氏が謝罪 “私の間違いでした”“当時は心理的におかしかった”」と何本も大見出しを立て、青年部の座談会を掲載している。
〈杉山(青年部長)関西出身の議員OBといえば、元公明党委員長の矢野絢也氏がいる。
矢野氏が改めて支持者に「深くお詫びいたします」とお詫びた。
 


弓谷(男子部長)僕も西口総関西長、藤原関西長から聞いた。
10年以上も前のことだけれども、矢野氏は「文藝春秋」に手記を書いた。
この中に、われわれ青年部としては断じて見すごせない間違いが、いくつもあった。
森井(関西青年部長)その通りだ。
たとえば矢野氏は、これまで“公明党と学会は政教一致でも何でもない”と明言してきた。
ところがこの手記には“学会と公明党は政教一致といわれても致し方ない部分がある”等とあった。
竹村(関西男子部書記長)なぜだ! 矛盾しているじゃないか。
塩田(関西総合青年部長)結局、この文言が引き金となって、何人もの国会議員が国会で学会を誹謗し、あろうことか「喚問、喚問」と大騒ぎする事態になった〉
 
以下、省略するが、同じような悪口雑言が延々と続く。
矢野氏を円形に取り囲み、罵声を浴びせ、小突いたり、殴ったり、蹴ったり。さながら集団リンチを思わせる。
リンチに加わらなければ、その者も新しくリンチの対象になるといった恐れからか、競って矢野氏をののしり、誹謗する。青年部はKKK団かと、思わせるほど不気味な光景である。






『10年前に謝っていた矢野氏』

座談会の最後の段落で矢野氏が謝ったことが伝えられる。
〈弓谷 西口副理事長、藤原副会長によると、今回、矢野氏は、手記の内容と、それが及ぼした影響について「結果的には私の責任です」「ご迷惑をおかけしたのは事実ですから、深く深くお詫びします」と改めて謝った。
 
杉山 さらにまた“私の間違いでした”“当時は心理的におかしかった”と猛省していた、とのことだ。
塩田 当然だ。
弓谷 ただし、この手記の内容は、その後、単行本化されたときに、かなり問題個所が修正された。
また矢野氏によれば、単行本自体も、すでに絶版になっているという話だ〉
矢野氏が謝り、かつ単行本で修正され、まして絶版になっているのであれば、現在に影響を及ぼさないと見るのがふつうだろう。
常識的には、このようなときは穏便にすませ、こと改めて非難を加えないはずだが、創価学会はちがう。改めて衆を頼み、矢野氏に石を投げろというのだ。
たしかに単行本『二重権力・闇の流れ』を見ると、関係者のやりとりの羅列にとどまり、政教一致などと総括する文言はない。端的には造反した大橋敏雄議員に触れた次のくだりがある程度である。
〈秋谷「こんな形で来るとは思わなかった。公然と批判されて黙っているわけにもいかん。
毅然とやるしかない」
矢野「同感です。党がなんらかの形で処分をしなければならないとは思う。
それは当然だが、言いにくいが私は慎重だ。
『信教の自由を保障する』が党の方針だ。彼の趣旨は学会批判だ。信仰の問題で党は処分できない。
あえてやれば『党の名誉を傷つけた』とか『党の結束を乱した』とかが理由にできる。
が、もし、大橋が不当処分だ、政教一致だ、と訴訟してきたら裁判は処分理由を巡って学会や名誉会長を巻き込み迷惑をかける。
頭の痛い点だ。
矢野氏はしごく当然の判断をしている。
しかも秋谷会長とのやりとり自体が政教一致を語っている。
謝る理由はないはずだが、彼は修正し、謝る。
同じ10年前刊行した矢野『乱か変か』の冒頭近くでもすでに矢野氏は自身の“誤り・を認めている。
〈鳴動(敏腕の元政治部記者とされる)黙阿弥さんが、とりわけ「政教一致というご批判をいただいているが、確かに状況をみてみると、そう言われても致し方ない面はある」って書いているのが誤解を招いたようだよ。
黙阿弥(矢野氏本人を指す)(ますます憮然として)うん。
あれの真意は政教一致って見方もあるようだってことです。私が「政教一致だ」と言っていると受け取られることは本意ではない。
世間に誤解を与えましたね。恐縮しています。
私は(創価学会と公明党は)政教分離されていると思っています〉
 
手記の直後に頭を下げていた。
あらためて事実の経過をたどっておこう。
 
矢野氏は93年から94年にかけて「文藝春秋」に手記を書いた。直後に「政教一致云々はけしからん、改めよ、謝れ」といった圧力を創価学会側から受けた。
矢野氏は党を離れ、自由人になったはずだが、直後の94年、意気地なく単行本『二重権力・闇の流れ』で指摘された部分の記述を改めた上、ほぼ同時期に出した単行本『乱か変か』で誤りを認め、遺憾の意を表した。





『生け贄・反面教師か、池田氏のねたみ・そねみか』

だが、問題はこれで済まず、10年後の今になって再燃、矢野氏はまたしても同じ問題で「謝れ、改めよ」と袋叩きにされ、またしても意気地なく謝り、改めると言わされた。
 
現在の一線を退いた矢野氏なら、突っ張ることも、無視することもできるはずだが、矢野氏はそうしない。創価学会と公明党の「政教一致」は常識にかなった指摘のはずだが、創価学会のムリに矢野氏は弱みがあるのだろう、あっさり道理を引っ込めている。
 
矢野氏は付録の人生とはいえ、現在は「雑文を記す」言論人であるはずだが、創価学会の圧力にやすやすと屈し、言論を曲げている。政治家時代からその程度の人物ではあるのだが、みっともない老後にちがいない。引退後、同じく回顧録を発表し


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3 コメント

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実は創価学会員の子供たちで (kaetzchen)
2008-05-20 16:29:46
就職にあぶれたり,仕事を覚えられなかった連中が,ネットゴキの正体だったりして.(^^;)

# 読むだけで疲れました.
返信する
TB有り難うございます (早雲)
2008-05-20 23:49:15
全体主義と個人主義について
sun.ap.teacup.com/souun/1099.html
返信する
似ているがネットゴキに成らない (ブログ主)
2008-05-21 10:07:00
普通、破壊的カルト信者は、マスコミやインターネットには接触しないように指導されています。囲い込みをしているんですね。
ブログ主催者でもこの傾向は有るようで、信者数から判断しても創価学会系ブログは極少数で、組織が意識的に避けているのか、それとも疎の他の原因が有るのか。?
反創価学会の方が多いぐらいですよ。
普段から、マスコミ等は嘘つきで組織の新聞や出版物しか読まないように訓練されているので、テレビのワイドショウは見てもインターネットは見ているかどうか疑わしい。
創価幹部の水準がネットウヨ程度だとしても、ネットウヨとの共通点は案外少ない。
もしも誰かが『ネットウヨ=創価』と書いたら、ネットウヨと創価の、どちらが怒るのでしょうか。? 難しい問題ですね。
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