逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

不思議な安倍晋三!あなたは何もの?積極平和主義ってなに?

2015年04月20日 | 政治
『3年ぶりの日中首脳のツーショット写真を撮る為に一人しょんぼりと習さんを待つ可哀想な晋ちゃん』(日本国内のメディアが誰一人報道しなかった英ファイナンシャル・タイムスが配信した失礼極まる映像)

『ナチスのヒットラー総統の「言葉」に似ている安倍晋三首相の言動』

経済学者の金子勝( @masaru_kaneko)は、
『安倍首相の言葉はヒトラーの言葉と重なる。安倍政権の「積極的平和主義」は、ヒトラーが言った「平和は剣によってのみ守られる」と同じ。集団的自衛権について閣議で解釈改憲した際の国会答弁で「最高責任者は私だ」と言ったが、ヒトラーの「私の意思こそが全てを決定する」と同じだ。気をつけよう。』と言う。
金子勝が指摘するように、確かに安倍晋三がヒットラーに似ている部分が多いことは紛れもない事実だが、ただ、もっと似ているのは(知性も経験も判断力も無い)わがままで無力な子供の姿なのである。
(子供が可愛いと思う人は多いがまったくの勘違いで、もしも自分より力が強い身長2メートルで体重150キロのボブ・サップのような子供を想像すれば可愛いどころか、頑是無い子供がどれ程恐ろしい存在であるかが判る)
GDP値が日本を抜き世界第二位の経済大国にのし上がった中国。2014年11月10日~11日中国北京でAPEC(アジア太平洋経済協力会議)が開催された。
中国の習国家主席は、ホストとして各国首脳との満面の笑顔のツーショットが新聞に掲載される。ところが、日本の首相とは笑顔一つ無い仏頂面だった。
本当はアホ極右の安倍とは握手したくない。ところがホスト国なので、嫌々、仕方が無いので応じたとの見え見えのポースなのです。
しかし、この日中首脳会談は日本が何年も前から中国に頼んでいたので相手の習さんはホスト国の義務として仕方なく応じた経緯がある。
中国の習さんが嫌々でも、日本は『してやったり』と満面の笑みの筈だが習さん以上にむっつり顔だった晋ちゃん。
晋三君のむっつり顔のわけは、中国側から会談条件として『靖国参拝は絶対に許しまへんで!!』と強硬にねじ込まれたのでしょう。

『弱いのに強く見せざるをえないタカ、勇ましいことを口にしても、ピーピーひなどりみたいに鳴いているようにしか聞こえない。』

またまたアメリカのメディアが選ぶ『世界で影響力がある人物』のトップはロシアのプーチンだったが、今後は中国の習さんが世界のトップになるかも知れません。
メキシコ大統領のポルフィリオ・ディアスは『哀れな メキシコ、神にあまりにも遠く、アメリカにあまりにも近い』との有名な言葉を残している。
世界一大きい太平洋の向こう側で、日本からは遠い位置にあるアメリカでも鬱陶しい。ましてや、日本の直ぐ隣りにアメリカ並の超大国がもう一つ出現すれば日本にとってこれ以上に鬱陶しいことはない。
膨張する中国に対して、安倍晋三を筆頭にして『今にこける、今にこける』と、それだけを楽しみにしている日本人が大勢いるが、本当に巨大な中国がこけたら日本もえらいことになる。中国を大きくした責任は日本でありアメリカである。今の世界経済は一国だけで成り立っておらず不可分に結びついている運命共同体なのです。
決して成功する見込みが無い『中国封じ込め』の価値観外交(地球儀を俯瞰する外交)を進め、自衛隊の海外派兵を目指す一方で、決して第二次世界大戦の反省を口にしない表面的には超強気の安倍晋三。
ところが最近強気一辺倒で暴走する安倍晋三の本質は、見かけ上の幻想とは180度反対の『致命的な弱さだった』。自分の弱さを隠すために無理やり『強者を演じているのだ』との重要な指摘をする有識者が相次いでいる。
ポピュリズムと反知性主義が同時進行する今の日本の極右ナショナリズムは、表面的にはドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニ等の『ファシズム』に限りなく同一に見えることは間違いない事実である。
ところが安倍晋三はヒトラーやムッソリーニとは大違いで、語るべき政治や哲学が空洞で中身は何もない。頭は空っぽで目は節穴のピーピーひな鳥病。大人なのに子供の状態で成長が止まって死に至る恐ろしい安倍晋三症候群である


(シリーズ 安倍晋三の問題は政治性でなく人間性だ!)
『安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ』
LITERA 2015年3月22日

「(賞を)もらっといてやる」──『共喰い』(集英社)で第146回芥川賞を受賞した際にこんな発言をして注目された作家の田中慎弥。そんな田中の新作が、いま、話題を呼んでいる。
 というのも、話題の小説の題名は『宰相A』(新潮社)。タイトルから想像がつくかと思うが、このなかで描かれる“宰相A”のモデルが安倍首相ではないか、と見られているからだ。
『宰相A』は、ジョージ・オーウェルの『1984年』のような全体主義国家を描いた、いわゆるディストピア小説。物語は、小説が書けないでいる主人公の作家が電車に乗り、母の墓参りに向かうところから始まるのだが、作家が辿り着いたのはアングロサクソン系の人間たちが「日本人」だと主張する世界。

──第二次世界大戦後、敗戦国となった日本をアメリカが占領・統治を行い、アメリカ人たちが入植し、日本人は「旧日本人」と呼ばれ、監視された居住区で押さえ込まれるように生活をしている……そんなパラレルワールドのような“もうひとつの”日本を描いている。
 その世界で、旧日本人の反発を封じるために選ばれた首相こそが、旧日本人の「A」である。
〈緑の服を着た六十くらいの男が現れる。いわゆる旧日本人、つまり日本人だ。中央から分けた髪を生え際から上へはね上げて固めている。白髪は数えられるくらい。眉は濃く、やや下がっている目許は鼻とともにくっきりとしているが、下を見ているので、濃い睫に遮られて眼球は見えない。俯いているためだけでなく恐らくもともとの皮膚が全体的にたるんでいるために、見た目は陰惨だ。何か果たさねばならない役割があるのに能力が届かず、そのことが反って懸命な態度となって表れている感じで、健気な印象がある〉
 
顔立ちといい、態度といい、どう考えても安倍首相を描写したとしか思えないAという人物。しかし、げに恐ろしいのは、Aが口にする演説内容だ。
『我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。』
『我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。・・・・平和を搔き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。・・・・最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。』
 
現実の安倍首相は、ことあるごとに『積極的平和主義』という言葉を持ち出しては日本を交戦国にしようと働きかけるが、宰相Aはその未来の姿にも見えてくる。
本来、平和学では、戦争がなく、差別や貧困による暴力のない状態を指し示す『積極的平和主義』という言葉を、いま、安倍首相はアメリカと協調し、軍事的に他国に介入する意味として使用している。
現実の安倍首相が言う『積極的平和主義』とは、小説内のAが口にする「戦争主義的世界的平和主義」そのものではないか。
このように、決して笑えない世界の姿を叩きつける『宰相A』。作品は文芸評論家からも高い評価を受けているが、一方で読者からは「話題づくりで安倍首相をモデルにしたのでは」という声も上がっている。
 だが、田中が安倍首相を小説のモデルにした理由は、話題づくりではないはずだ。それは、田中は以前より安倍首相に対して関心を寄せ、その強気の姿勢に危惧を表明しているからだ。
 
田中が「週刊新潮」(13年1月17日号/新潮社)に寄稿した、『再起した同郷の宰相へ 弱き者 汝の名は「安倍晋三」』という原稿がある。
題名にある通り、田中は安倍首相の選挙区である山口県下関市に生まれ育ち、現在も在住している。この寄稿文によれば、田中は地元のイベントで、一度、安倍と顔を合わせたことがあるらしく、そのとき安倍は田中に向かって本の感想を述べたのだという。
『(安倍は)田中さんの本は読んだんですが、難しくてよく分かりませんでした、と言う。私は思わず、読みづらい本ですので、とかなんとか適当に返したように記憶している。・・・面と向かって、よく分かりませんでした、と言うとは、ずいぶん正直な人だなと思った。怒ったのではない。・・・作家としてはむしろありがたいくらいだった』
 だが、田中が気になったのは、安倍の『うつろさ』だった。
『私が顔を見ても安倍氏の方は視線を落として、目を合わせようとしなかった』、『政治家っぽくない人、向いてない仕事を背負わされている人という印象だった』

 このときの印象が『宰相A』での描写に通じていることを思わせるが、田中はさらにテレビ越しに見えてくる安倍の性質について洞察。『いいですか、いま私が喋ってるんですから、などとどうしようもなく子どもっぽい反応を示す』ことや、『自分と意見が違うその人物をせせら笑うという不用意な顔』を見せてしまうことを挙げて、『これは、ルーツである山口県の政治風土の表れではないかと私は思う』と述べている。

しかし、こうした県民性以上に田中が強く指摘するのは、安倍の〈弱さ〉である。
『相手をせせら笑う不遜と、私と会って目も合わせなかったうつろでオーラのない表情の落差。
つまり安倍氏は明らかに、政治家としての自分を強く見せようとしている。強くあろうとしている。なぜか。
安倍氏は弱い人間だからだ。強くあろうとするのは弱い証拠だ。
だったら、あるがまま生きればいい。弱いことは、人間として決して悪いことではない。だがここで、血筋の問題が出てくる。
祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。
誰に対して言えないのか。先祖に対してか。国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。違う。自分自身に対してだ』


『戦後レジームからの脱却』と称し、安倍首相が憲法改正や自衛隊の国防軍への移行を主張するのは、自民党の意志でもある。
だが、ここまで強気に進める理由を田中は『そういう党の中にいる安倍氏が、偉大で強い家系に生まれた弱い人間だからだ』と見る。
そして、タカ派に分類される安倍を『弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ』と表現するのだ。
『安倍氏が舵取りの果てに姿を現すだろうタカが、私は怖い』──ここまで田中が憂虞するのは、政治的・軍事的な理由からではない。幼くして父を亡くしたことのせいか、田中は『男性的でマッチョなものが、根本的に怖い』のだという。男であることが不潔に感じ、『何度も死のうとした』ことさえある。そのときのことを『死んでみせることで、周囲に強い人間だったと思わせることが出来るのだと、勘違いしたからだろう』と田中は振り返るが、だからこそ、弱い自分でいることを許されない安倍は危険な状態なのではないか、と田中は案じるのである。
 
この田中による指摘は極めて重要だ。
安倍首相の強硬姿勢が彼の政治的信条に基づいた行動なのであれば、まだ議論の余地もある。だがそうではなく、安倍自身の血筋というプレッシャーや、本来のパーソナリティである弱さを隠すために過剰に強くあろうとして偉大な祖父が成し得なかった偉業に挑んでいるのであれば、それは暴走だ。しかも、こうした暴走への危惧は、きっと安倍首相には通じないだろう。なぜならそれを受け止めることは、自分の弱さを認めることになるからだ。
 自分の弱さを否定するために、戦争への道をひた走る首相。──『宰相A』で描かれた恐怖は、いま、まさに日本で進行している現実である。
(水井多賀子)
2015年3月22日 LITERA




『Japan Times の記事から「安倍訪米」を前にした内外からのコメント』2015年04月14日 「内田樹の研究室」

Japan Times が4月11日に安倍首相訪米を前にしての、内外のウオッチャーからの安倍政治への評価を報じた。
予想通り、評価はきわめて手厳しいものである。
けれども、問題はむしろ内外の温度差である。
なぜ、国際的には、同盟国の人々からさえもこれほど評価の低い政治家が国内的には50%近い支持率を誇っていられるのか。私はそれに興味がある。
政策に対する支持率が低いのにもかかわらず、内閣支持率が高いということは、日本国民は政策以外の点で安倍晋三を支持しているということになる。
論理的にはそれ以外にない。
では、「政策以外の点」とは何か。
日本人が心に思っているけれど、心理的抑圧があって容易には言挙げできないことと言えば、二つのタブーについてしかない。

アメリカと天皇制である。
たぶん日本人に安倍がアピールする最大の理由は安倍がこの二つの禁忌に挑んでいるからだと私は思う。
安倍は対米従属のポーズをとりながら、アメリカに対する嫌悪と敵意が漏洩することを少しも意に介さないし、ナショナリストのポーズをとりながら、天皇にいかなる敬意も示さない。
反米でかつ天皇を「道具視」する政治家は1930〜40年代は戦争指導部のマジョリティを占めていたが、戦後は出番がなかった。
安倍は70年ぶりに登場してきた「大本営」仕様の政治家である。
安倍が戦争をしたがっているのは端的に「戦争がしたい」からである。だが、戦争は戦後日本では「アメリカの軍略内部で、アメリカの支援部隊として、アメリカの国益を資するかたち」でしか許されない。
だったら、それでいいから、とにかく戦争ができる国になりたい。

戦争ができる国になったら、いつかどこかでアメリカに対して「うるせえよ。いつまでも親分顔すんじゃね〜よ。あんまり人なめてっと、殺すぞてめえ」と凄んでみたいのである。
いや、ほんとに。
日本人の半数はその無意識の、抑圧された、アメリカに対する憎悪に共感しているのである。
だから、アメリカの政治学者たちは、安倍が本質的に反米的であることを直感的には理解している。でも、あまりに屈折しているその理路が理解できないでいるのである。

訪米に先立って安倍に与えられた厳しい評価
Jeff Kingston, JEFF KINGSTON
APR 11, 2015
今月末、安倍晋三首相はワシントンを訪れ、レッドカーペットの待遇を受けることになっている。ペンタゴンの「ウィッシュリスト」に彼のどのような前任者よりもすみやかに対応してきたからである。
将軍たちや官僚たちは安倍を日本における彼らの代理人、求めるものはなんでも配達してくれる頼りになる同盟者と見なしている。
しかし、『ワシントンポスト』ノコラムニストDavid Ignatius は最近安倍と会見したが、安倍はアメリカが求めるものを与えていないという理由で、あまり高い評価を与えなかった。
「アベノミクス」はいっとき日本経済の救済策として高い評価を得ていたが、さしたる効果のないものであることが明らかになった。今では富裕層に対する福祉政策という以上のものではないとみなされている。最近のNHKでの世論調査では、日本人の90%がアベノミクスの恩恵を受けていないと回答している。円の価値は30%下がったが、輸出は期待されるほどには伸びなかった。経済はぱっとしないままで、家計は苦しい。賃上げ交渉でも、労働者のマジョリティは低賃金のまま据え置かれ、大企業の賃上げも微々たるものにとどまった。
たしかに、日本株式会社にはお金が余っているが、それらの金はアベノミクス買いには向わず、国内の投資を増加させてもいない。唯一の好材料は株価の高騰だが、それはトリクルダウンには回っていない。株を所有しているのは所帯総数の15%以下にすぎないからだ。
さらに、安倍は社会福祉プログラムに大鉈をふるったが、そのせいで貧困層、社会的弱者たちはいっそう困窮度を増した。日本の女性、若者たちにとって、現実的な問題は雇用の拡大が低賃金の非正規雇用に限定されており、フルタイムの雇用にありつく機会はますます困難になりつつある。」
「安倍のいわゆる“womenomics”(女性登用政策)は指導的な層における女性のプレゼンスの強化だけにフォーカスしたトップダウン・アプローチである」とHelen Macnaughtan(London School of Oriental and African Studies)は語っている。
「問題は日本の企業文化、企業社会においてはジェンダー規範と実践が女性のキャリア形成機会への強固な妨害物として機能しているという問題に向き合う明確な戦略がないことだ。」
それゆえMacnauthtanはアベノミクスは「過去数十年にわたって日本に蔓延してきた雇用にかかわるジェンダー化されたパターン」を強化するものと判定する。

私は上智大学の中野晃一に安倍について訊ねてみた。
というのも、ある海外特派員が日本政府当局者の一人から、中野は「信頼できない」ので取材しないように実際に要求されたからである。ということは、中野の言うことは信用できそうだということになる。
「エア・ギタリストというのがいるけれど、安倍は『エア・ナショナリスト』だ」と中野は言う。
「大げさな身振りと口パクはあるけれど、それはみなフェイクであり空っぽだ。彼は国のためにほとんど何の貢献もしていない。
彼のあの歴史修正主義的な構えや反中国・反韓国感情の煽りはアベノミクスの失敗、アメリカに日本を叩き売るTPP、集団的自衛権、辺野古基地問題から国民の目を逸らすためのものである。」

上智大学の歴史学者Sven Saalerは「日本の安全保障政策における対米従属と、安倍の『戦後レジームからの脱却』プログラムに含まれる反米性のあいだには本質的な矛盾がある」と指摘している。
「『戦後レジームからの脱却』とは戦後アメリカの占領下で行われた民主化・脱軍国主義化の改革を拒否することを意味するからだ。」
安倍は公的には日米は価値観を共有していると強調しているが、Saalerの見るところ、安倍のアジェンダは「民主主義と自由の価値観にはっきりと反対するものであり、日本の戦前戦中の価値観への回帰をめざしている」。

好評をもって迎えられた『日本と過去の足枷』(Japan and the Shackles of the Past, 2014)の著者であり、筑波大学教授のR. Taggart Murphyも同じ考えだ。
「安倍は自分の失敗から学ぶことにおいてはなかなかに有能な政略家である。だが、戦後に決着したはずのことをもう一度ひっくり返そうとする彼の最終目標は変わっていない。彼と夢を共有しているのは、日本の人口のうちきわめて少数であるにもかかわらず、彼は自分の目標を包み隠すことができずにいる。」
Murphyはアメリカの政策決定者たちは安倍のことを「あまり気にしていない」という。
「というのは、日本はチェスにおける『歩』以上のものではなく、今アメリカはそのゲームで北京を相手に必死だからだ。」
Roger PulversはCounterpointにおける私の前任者であり、最近『星空物語』というタイトルの書物を日本語で出したばかりである。
彼の意見では「安倍の政策は、内政も外交も、明治時代的な国家的統合モデルの再構築に向けての真率かつ揺るぎない努力と、企業活動への国富の注入という戦後的パラダイムのふたつを混ぜ合わせたものである。この体制はイデオロギー的熱狂と確信で膨れ上がっているけれども、あきらかに時代錯誤のものであって、遠からずつまずくことになるだろう。」
しかし、Pulversは日本の未来に対しては楽観的である。「この『古い秩序』は論争の的になり、思いがけなくそれをきっかけに本当の変革への道筋が開けるかもしれないからだ。」

上智大学で政治的リーダーシップについて教えているMicheal Cucek は彼のブログ (www.shisaku.blogspot.com).でも洞察に満ちた見識を示している。
「安倍はメリトクラシーにおいてリーダーシップに求められる基準に照らすと、ほとんどの条件を満たしていない」と彼は書く。
「カリスマ性、人の話を聴く力、判断力、包容力、ヴィジョン、身体的な勇壮さ、演劇的センスなどの点で安倍について語ろうとしても、ほとんど語ることは何もないだろう。」
Cucekによると、それはつまり首相は信頼感を引き出すことも、情熱を書き立てることもできないということである。
「実際に彼はそれと反対のことを達成している。彼が政治について語れば語るほど、彼は不人気になる。
私は皮肉をこめてこの才能を『安倍マジック』と呼んでいる。」
Cucekはまた「安倍パラドクス」なる単語も新造した。
安倍内閣に対する高い支持率と、内閣の個々の政策に対する限定的な支持のことである。
「安倍政権は政府が直面した難問の解決においては十分な政治力を発揮しているが、国民が待望している問題の解決にはいかなる政治力も発揮しない」とCucekは語り、きわめて手厳しい評点を与えている。
誰か安倍をほめる人はいないのだろうか?

立教大学の公共政策専門家Andrew DeWitは安倍の原発再稼働アジェンダについて批判的だが、地方自治体に対して「バイオマス、バイオガス、地熱その他のある程度安定的に供給できる発電技術の開発」を奨励した点については評価している。
「それは効率と再生について、地域のエネルギー自給のためのエネルギー分配という観点からするならば、財政的・行政的な資源の創出に寄与することになるだろう」とDeWitは言う。
ハワイのCenter for Strategic and International Studies の研究主任Brad Glossermanは安倍のわかりにくさに困惑している。
「日本人の政策と歴史についての公式見解の基準になるべきステートメントを言葉を変えずに繰り返すこと」を安倍が忌避するからである。
「彼が口にしている言葉が彼の真意なら、なぜ彼は言葉通りのことを実行しないのか?」
安倍の言い抜けは彼の意図とは反対の結果を生み出しているとGlossermanは指摘する。
というのは隣国の人々はこれを「単なる攻撃的なふるまい以上の、彼らの感情に対する露骨な無関心」と受け取っているからだ。.
降伏70周年を記念する談話の中で、日本はアジア諸国に対してはっきりとした配慮を示す必要がある。それができるかどうかに安倍外交の成否はかかっているとGlossermanは考えている。
「私たちが論じてるのは尽きるところモラルの問題である。隣国を落胆させているのは日本が(少なくとも日本政府が)ここにほんとうの問題があるということに気づいていないように見えるからである。」
2015年04月14日 「内田樹の研究室」

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2 コメント

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弱そうだが (ましま)
2015-04-20 17:47:03
さわると粘着性の毒を吐きそうで誰もさわれない毒虫。
返信する
社民党前党首の福島瑞穂にイチャモン (宗純)
2015-04-21 15:55:21
ましまさん、コメント有難うございます。

毎日新聞 2015年04月20日『福島瑞穂氏「戦争法案」発言:自民が社民に修正要求』によると、
『社民党の福島瑞穂副党首が1日の参院予算委員会で、政府が法案化作業を進めている安全保障法制を「戦争法案」と述べたことに対し、自民党が発言の修正を求めている。しかし、事実関係の誤認や人権侵害などにあたらない発言の修正は異例で、社民党の吉田忠智党首は20日、「何ら問題はない」と記者会見で強く反発。福島氏は応じない構えだ。

 安倍晋三首相は同じ予算委で「レッテルを貼って議論を矮小(わいしょう)化するのは断じて甘受できない」と福島氏に反論。自民党の岸宏一予算委員長も「不適切と認められるような言辞があった」と応じ、同委理事会で扱いを協議していた。

 同党の堀井巌理事は17日、福島氏と面会し、「戦争関連法案」と議事録を修正するよう要求。福島氏が政権を「鉄面皮」と指摘した発言も削除を促した。福島氏はいずれもその場で拒否した。

 福島氏は20日、毎日新聞の取材に「戦争ができるようになるのだから、まさに戦争法案だ。発言を封じ込める大問題だ」と述べ、自民党の対応を批判した。福島氏は2月の参院予算委の質問でも「戦争法案」と発言したが、このときは自民党から修正要求は出なかった。』
今の安倍自民党ですが、名前は以前と同じ自由民主党のままですが、ほぼ70年前にタイムトリップしているのですよ。家にいながら時間旅行が楽しめるのですから愉快と言えば愉快。むかっ腹が立つといえばこれ以上に腹立たしい話も無い。
この毎日新聞記事は少しは腹が座っているが、世論形成に一番影響力が大きい映像メディア(テレビ局)が良くない。
誰も彼もが放送免許の許認可権を持つ自民党にひれ伏す有様は見苦しい限りです。

17日の金曜日に、NHKとテレビ朝日は自民党の情報戦略審査会の呼び出しに応じて幹部が出向き、NHKは「クローズアップ現代」のやらせ問題、テレ朝は「報道ステーション」の古賀発言問題について説明したということだ。いずれもテレビ局として検証を進め、その過程は公表されて話題になっている。
一政党で有る自民党がマスコミ幹部を呼びつけて釈明させる。
前例がまったく無い今回の話ですが、フリージャーナリストの田中龍作によると『逆さま』らしいのですよ。
今までも自民党にマスコミが迎合して普通に行われていたが非公開だったから誰も問題としなかった。
ところが今回は自民党が公開で行ったから大問題だと騒いでいるだけなのです。

与党自民党の呼び出しにマスコミ側が、のこのこ出かけて媚びを売る昨今ですが、これ程マスメディアが権力に屈服している様を眺めるのは70年ぶりの椿事。

日本の敗戦以前の朝日新聞などマスコミの戦争協力の恥辱の歴史ですが、敗戦後の今までの公式な歴史解釈では、
『日本は民主主義」が十分に育っていなかった』とか
『天皇制や軍部の力が強すぎた』とか、
軍部の2・26事件などクーデターや右翼による政財界人の暗殺の恐怖などで
『旧憲法下の政府によってメディアが沈黙させられた』など、色々と説明されているがすべて大嘘ですよ。
現在は戦時中では無くて、一見平和そのもの。
今の自衛隊は政治には一切口出ししない。
もちろん憲兵も特高もない。
右翼の暗殺も半世紀前の浅沼委員長刺殺以来絶えて久しい。
しかもボロボロでは有るが民主主義を保障する憲法もまだ残っている。
もちろんマスコミの自由を定めた数々の人権を守る仕組みも健在である。
平時における今の状況を見ると、どうも今までの説明が全部嘘だったとしか思われません。
マスコミの戦争協力ですが、権力に命令されたから嫌々従ったのではなくて、命令がなくても忖度して、
先回りして『空気を読んで』、真実の報道を自主規制しているのですから日本は恐ろしい。
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