生きるためにしがみついた船、日本は海に突き落とした…強制動員鉱夫の悲劇
旧暦7月16日の夜は、村の家々が明るかった。同じ日、同じ時刻に法事を行う家が17世帯にもなった。子どもの頃は「本当に奇妙だ」と思ったが、その理由はよく知らなかった。日帝強占期に済州に強制動員された祖父は海難事故から生きて帰ってきたが、30代後半で亡くなったという話を聞いて育った。「黄山玉埋(ファンサン・オンメ)鉱山118人犠牲鉱夫遺族会」の会長を務めるパク・チョルヒさん(69、門内面)は4日、ハンギョレの電話取材に対し、「口述採録をするために村を訪ねてきたある歴史学者の勧めで、10年あまり前から玉埋鉱山鉱夫の海難事件の『真相究明』に身を投じている」と語った。
帰郷船は全羅南道莞島(ワンド)の青山島(チョンサンド)沖で機関の故障を起こした。原因不明の火災も発生した。鉱夫たちは沈没する船から飛び降りた。ちょうど日本の警備艦(軍艦)が事故海域に接近していた。故キム・ベグンさんと日本人管理者の1人だけがまず救助された。パク会長は「軍艦は事故にあった人たちが朝鮮人だという話を聞いて、生きている人たちをそのまま置いて行ってしまった。果ては、船に乗ってこようとする鉱夫たちを突き落としてしまったという」と語った。パクさんの祖父(パク・コムスルさん)も海に浮かんでいた木の足場にしがみついていたところ、満ち潮に押し流されて青山島の住民たちに救助されたが、その際に肺を痛め、3年足らずで生涯を終えた。中略
帰郷船に乗っていた鉱夫のうち、118人が死亡した。名簿で名が確認されているのは、そのうち75人のみ。把握されている生存者の名は67人のみ。済州から生きて帰ってきた人たちは「済州契」を結成して春と秋に日を決めて会合を持った。政府は「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律」(2007年12月)の制定時、日帝によって国外に強制動員された被害者にのみ慰労金を支給することとし、国内動員者は対象から除外した。2012年に政府レベルの初の真相調査報告書が出されたが、浅田化学が名簿を公開しなかったため、強制動員数すらきちんと確認されていない。パク会長は「浅田化学の後身である日本企業に6~7年ほど前から鉱夫の名簿をくれと言っているが、まったく回答がない」と語った。後略
黄山玉埋鉱山118人犠牲鉱夫遺族会の会長、パク・チョルヒさん
1944年に済州に連行された300人あまりの鉱夫
国内動員なので慰労金支給対象から除外
「コンクリート鉱物倉庫、教育空間とすべき」
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/47818.html
興味のある方はサイトを読んでください。すべてが嘘とは言いませんが韓国人の今までの特性を考えれば100%中70%が嘘で塗り固められた物語りだと思います。その数字は何処からかと問われればまあ予想すればです。慰安婦に徴用工など済んだ話を持ちだし謝罪と賠償を日本政府に求め続け慰安婦には財団を設立させるための基金まで拠出したのに「おばあさんの心の痛み・・」と終わりのない言いがかりに等しいことをで今でも一部で騒いでいる。徴用工はアホの文在寅政権で政権を忖度した裁判所がアホな判決で日本企業の韓国内資産を盗み、金に換えようとしたが未だできず仕舞。無理なところは無理なのだ、もし現金に換えたら日本政府は大激怒するだろう。
1965年の日韓共同宣言においてすべて韓国朝鮮とのつながりは消えた、そして韓国は軍事政権となり1980年代において日韓関係は復活した。それだけ以上!