僕は宮崎駿という人は基本的に「ストーリーテラー」ではなく「イメージメーカー」だと思っています。
「イメージメーカー」と言うのは、多分、適当な言葉ではないと思いますが、そう表現しないと自分が納得できないのです。
この場合のイメージと言うのは画像だけではなく、世界観とか人物像とかいったものが含まれ、それらを創作するのには、桁違いの才能が発揮されている。
そういう意味で「イメージメーカー」という表現を使ってますが、他にちゃんとした表現があれば、恐れ入りますがお教えてください。
では一方のストーリーに関してはどうかと言うと、もちろん、下手とか弱いという事はありませんが、イメージに比するとバランスが取れてない。
これは「もののけ姫」辺りから顕著になって来てる様な気がします。
はっきりそう感じたのは「千と千尋の神隠し」あたりからです。
というか、ひょっとしたら、ストーリー、もしくはテーマを、全ての人に判って貰おうという作業を放棄しているのかも知れません。
「判らない人には判らなくてもいい。それでも十分面白いはずだから」
という絶対的な確信があるのかも知れません。
その答えは、力不足の僕には出せません。
「崖の上のポニョ」も、ストーリーを深く考えてもしょうがない作品だと思います。
ストーリーやテーマ、キャラクター像とか、話の辻褄とかを考えても、こう「モヤモヤ」した気分になるだけで、どんどん迷路にはまり込むような感じです。
というか、「複線かな?」「テーマかな?」という場面があっても、その後はそれっきり。というのが目に付いてしょうがない。
ストーリーに関しては不明ですが、世界観とかキャラクターといったものは、少なくとも宮崎さんの中では確立しているはずですが、それを説明しようという気が、はなから「ない」としか思えない。
詳しくは述べませんが、常識で考えれば「未曾有の大災害」が起こっているのに、全くそれを感じさせない世界観。(というか、多分、誰一人として死んでないんじゃないかなぁ)
「これは、こういうお話なの!。小難しい事考えないで楽しみなさい(感じなさい)な」
と言われてるような気がしないでもありません。
同時期に「ダイハード4.0」も見ました(改めて)。
これはもう、非常に僕好みの「ドンドンバチバチ頭からっぽ」映画で、細かなところを言い出せば「突っ込みどころ満載」であります。
が、そんな事を言っていたら、面白くもなんとも無い。
それと相通じる物があるんじゃないかなあ?
後はもう好みの問題でしょう。
ただし、「イメージメーカー」としての宮崎駿に関しては、一言圧巻!
以前投稿した「BSアニメ夜話、ルパン三世特集」で唐沢俊一氏の「宮崎駿さんの引き出しの多さ」という評に対し、岡田斗司夫氏の「引き出しはバカでかいけど、多くはない」という評価に僕は1票ですが、今回は、全く新しい引き出しを見させられた気分です。( 最近の岡田斗司夫氏自体は、あまり好きじゃないというのは蛇足)
一番「アレ?」と思ったのが車の動きです。
今までの宮崎アニメで、車は絶対あんな動き方はしなかった。
コーナーでの挙動、サスペンションの動き、荷重移動の表現など、わざと物理法則を無視した表現をしています。
もちろん、今までの宮崎アニメでも物理法則に逆らった動きを見せていますが、作品の中での動きとして納得できるものでした。
今回は、それを全く無視しています。そもそも自動車が架空のものです。
しかし、その動きが非常に楽しい。見ててワクワクする。
その他のシーンも迫力満点で、ここで一々説明するより「見てください」という一言で済んでしまいます。
オープニングタイトルもそうですが、エンディングで「作った人」として声優も作画も製作もごちゃごちゃにして、肩書き抜きで作られたスタッフロールを見てもわかるように、要は宮崎駿の真骨頂「まんが映画」で「ファンタジー」を表現したのでしょう。
そう考えると、全てが丸く収まります。
ただし、ひねくれた部分が無いわけじゃないです。
そもそも、「宮崎ブランド」がなかったら「崖の上のポニョ」は存在できましたかね?
NHKの番組のインタビューで、不遇の時に自分を認めなかったお偉いさんに怒りがある。というような表現をしてたのが印象的です。
僕は、「いくら才能があっても、運が向かなければどうにもならないじゃん」というスタンスを取っているので、この宮崎駿さん(ここからは敬称付)の考え方はどうにも納得できない。
才能がある人が、常に切磋琢磨し努力を怠らないでいる中で、運の向いた、ほんの数人の人が注目を浴びる世界だと思っているので、宮崎さんと同程度の才能を持った人が、何人もその時代に埋もれて行ったと思っているんです。
宮崎さんの企画が通らなかった時代、ガンダムをはじめとしたSFアニメ全盛の時代でした。
逆に今、SFアニメ(劇場版)は不遇の時代です。
自分を認めなかった、そのお偉いさんの立場に宮崎さんは立ちました。
恐らく(いや、ほぼ確実に)現在の宮崎さんも、直接、間接的に才能の芽を潰しています。
それをどう考えるのか? と。
まあ、「才能を発揮できる環境を整えるのも、才能のうち」という考え方もありますが。
閑話休題。
「崖の上のポニョ」は確かに素晴らしい作品です。
が、「宮崎ブランド」がなければ世に出ることはなかったでしょう。
また、世に出たとしても、これだけの予算時間を費やし、現在の環境で注目を浴びる事は無かったでしょう。
そう考える自分がいるのも、確かにあります。
映画として料金払って見られるかといえば、もちろん及第点なのですが・・・。
「イメージメーカー」と言うのは、多分、適当な言葉ではないと思いますが、そう表現しないと自分が納得できないのです。
この場合のイメージと言うのは画像だけではなく、世界観とか人物像とかいったものが含まれ、それらを創作するのには、桁違いの才能が発揮されている。
そういう意味で「イメージメーカー」という表現を使ってますが、他にちゃんとした表現があれば、恐れ入りますがお教えてください。
では一方のストーリーに関してはどうかと言うと、もちろん、下手とか弱いという事はありませんが、イメージに比するとバランスが取れてない。
これは「もののけ姫」辺りから顕著になって来てる様な気がします。
はっきりそう感じたのは「千と千尋の神隠し」あたりからです。
というか、ひょっとしたら、ストーリー、もしくはテーマを、全ての人に判って貰おうという作業を放棄しているのかも知れません。
「判らない人には判らなくてもいい。それでも十分面白いはずだから」
という絶対的な確信があるのかも知れません。
その答えは、力不足の僕には出せません。
「崖の上のポニョ」も、ストーリーを深く考えてもしょうがない作品だと思います。
ストーリーやテーマ、キャラクター像とか、話の辻褄とかを考えても、こう「モヤモヤ」した気分になるだけで、どんどん迷路にはまり込むような感じです。
というか、「複線かな?」「テーマかな?」という場面があっても、その後はそれっきり。というのが目に付いてしょうがない。
ストーリーに関しては不明ですが、世界観とかキャラクターといったものは、少なくとも宮崎さんの中では確立しているはずですが、それを説明しようという気が、はなから「ない」としか思えない。
詳しくは述べませんが、常識で考えれば「未曾有の大災害」が起こっているのに、全くそれを感じさせない世界観。(というか、多分、誰一人として死んでないんじゃないかなぁ)
「これは、こういうお話なの!。小難しい事考えないで楽しみなさい(感じなさい)な」
と言われてるような気がしないでもありません。
同時期に「ダイハード4.0」も見ました(改めて)。
これはもう、非常に僕好みの「ドンドンバチバチ頭からっぽ」映画で、細かなところを言い出せば「突っ込みどころ満載」であります。
が、そんな事を言っていたら、面白くもなんとも無い。
それと相通じる物があるんじゃないかなあ?
後はもう好みの問題でしょう。
ただし、「イメージメーカー」としての宮崎駿に関しては、一言圧巻!
以前投稿した「BSアニメ夜話、ルパン三世特集」で唐沢俊一氏の「宮崎駿さんの引き出しの多さ」という評に対し、岡田斗司夫氏の「引き出しはバカでかいけど、多くはない」という評価に僕は1票ですが、今回は、全く新しい引き出しを見させられた気分です。( 最近の岡田斗司夫氏自体は、あまり好きじゃないというのは蛇足)
一番「アレ?」と思ったのが車の動きです。
今までの宮崎アニメで、車は絶対あんな動き方はしなかった。
コーナーでの挙動、サスペンションの動き、荷重移動の表現など、わざと物理法則を無視した表現をしています。
もちろん、今までの宮崎アニメでも物理法則に逆らった動きを見せていますが、作品の中での動きとして納得できるものでした。
今回は、それを全く無視しています。そもそも自動車が架空のものです。
しかし、その動きが非常に楽しい。見ててワクワクする。
その他のシーンも迫力満点で、ここで一々説明するより「見てください」という一言で済んでしまいます。
オープニングタイトルもそうですが、エンディングで「作った人」として声優も作画も製作もごちゃごちゃにして、肩書き抜きで作られたスタッフロールを見てもわかるように、要は宮崎駿の真骨頂「まんが映画」で「ファンタジー」を表現したのでしょう。
そう考えると、全てが丸く収まります。
ただし、ひねくれた部分が無いわけじゃないです。
そもそも、「宮崎ブランド」がなかったら「崖の上のポニョ」は存在できましたかね?
NHKの番組のインタビューで、不遇の時に自分を認めなかったお偉いさんに怒りがある。というような表現をしてたのが印象的です。
僕は、「いくら才能があっても、運が向かなければどうにもならないじゃん」というスタンスを取っているので、この宮崎駿さん(ここからは敬称付)の考え方はどうにも納得できない。
才能がある人が、常に切磋琢磨し努力を怠らないでいる中で、運の向いた、ほんの数人の人が注目を浴びる世界だと思っているので、宮崎さんと同程度の才能を持った人が、何人もその時代に埋もれて行ったと思っているんです。
宮崎さんの企画が通らなかった時代、ガンダムをはじめとしたSFアニメ全盛の時代でした。
逆に今、SFアニメ(劇場版)は不遇の時代です。
自分を認めなかった、そのお偉いさんの立場に宮崎さんは立ちました。
恐らく(いや、ほぼ確実に)現在の宮崎さんも、直接、間接的に才能の芽を潰しています。
それをどう考えるのか? と。
まあ、「才能を発揮できる環境を整えるのも、才能のうち」という考え方もありますが。
閑話休題。
「崖の上のポニョ」は確かに素晴らしい作品です。
が、「宮崎ブランド」がなければ世に出ることはなかったでしょう。
また、世に出たとしても、これだけの予算時間を費やし、現在の環境で注目を浴びる事は無かったでしょう。
そう考える自分がいるのも、確かにあります。
映画として料金払って見られるかといえば、もちろん及第点なのですが・・・。