スタジオSZ8のブログ

スタジオSZ8(鈴八)のぬるめの日常

ポニョは映画の「印象派」か?

2008-08-22 | 映画、ドラマ、テレビ
 実を言うと、あれから「崖の上のポニョ」にとり憑かれています。
 「あれは何だったんだろう? どういう事なんだろう?」
 という疑問が、頭から離れません。
 本来「副教材がなければ、判らないような話は評価しない」「人の意見も解説も関係ない。作品がすべて」
 というスタンスなのですが、今回はネット上の感想などを訪ね歩きました。
 しかし、これほど評価がバラッバラな作品も久し振りです。というか記憶に無い。
 いや、単純に「子供」として面白い。と言う主旨の意見は大体同じなんです。
 ところが、ちょっと難しく考えると、これがもう百花繚乱(はははは、違うか!?)。

 一番面白い意見は「これは神話だ」というご意見。
 面白いと同時に説得力もありました。確かに神話と言うのは、話のつじつまが合わなかったり、人物像に矛盾があったりしますからね。
 ただ、宮崎駿が、そうと意識して作ったか?というと疑問符がつきます。

 次に、これが一番同意できたのですが、「宮崎駿の夢」を見させられた。というご意見。
 確かに、夢の中では、滅茶苦茶感動したり、涙したり、ハラハラしたりする夢を見ることがありますよね。
 ところが夢から醒めてみると、話のあちこちで辻褄が合わない。物語がすっ飛んでたりして、話としてまとまらない。
 そんな経験があるのでは?
 そう考えてみると、確かに「崖の上のポニョ」を見た直後の感覚と言うのは、本当に夢から醒めたような感じに近いと思いました。
 ただ、これも、じゃあ、なんで「夢のままにしたか?」という疑問符が残ります。

 夢は夢でいいけれど、話の整合性を整えなくても良いのか? と。

 ところが、そう考えていると、「そもそも、話の整合性と言うのは整えなくてはいけないものなのか? ストーリーに矛盾があってはいけないのか?」という疑問にぶち当たります。
「駄目に決まっている」? 「なんで?」
 
 実は、「銀河鉄道999」の劇場版を見たんですが、これがビックリで、突っ込みたくなる箇所が多数あるんです。
 SF考証とか設定とか、もう、そのあたりを突っ込むのは、あまりにも松本零士が可哀想なんで(笑)見逃すとして、物語そのものの整合性がおかしい所が見受けられたんです。
「おい、さっきのシーンは何だったんだ?」という具合に。
 でも、それが許された時代があったと。
 しかも、一所懸命に伏線を張り、細かな設定を詰め、物語を完成したとしても、何年かしたら観客は忘れちゃう。ってのもあるでしょう。
 そう、忘れちゃうんですよねえ。
 作り手側としちゃ、たまったもんじゃないでしょう。(そういう仕事だとは言え)。

 これは、僕の想像ですが、そんな事を宮崎駿は考えたんじゃないか? と。
「どうせ、細かな事は忘れられてしまうんだから、一番伝えたい事をとにかく描く」
 としたんじゃないか? と。
 これ、何かに似てるなあと思ったんですが、はたと思いつきました。
「印象派」です。
 宮崎駿は映画の印象派を目指したんじゃないか?と。
 ただ、この場合、映像そのものは実に丁寧に描かれています。
 観客の印象に残したい物を、鮮烈に描いたのではないかと思います。
 「登場人物の意味深な台詞なんか関係ない」「この行動もこういう人なの」
と、多々突っ込まれる所も判った上で、とにかく描きたかった。
 それは
「ソウスケ、スキー!!」
 という原理的な感情(愛情でも友情でもない)ではなかったか?
 そう考えるのです。

 そう考えると、なんと、あれこれ屁理屈並べ、考えあぐねた結果、子供が純真に感じるであろうテーマと、ぴったり同じ所にたどり着いてしまうわけです。

 もし、僕の考えが正しければ、一言「やられたー」となってしまうわけです。