「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
あの、安西先生の名台詞が頭に響きました。
これは、やっぱり、前に見た「クローバーフィールド」と、どうしても比較してしまいます。
どちらも全体の世界観が登場人物(観客)にはわかりません。
目の前で起こっている事は判るけど、なぜ、こんな事になったのかは、さっぱり判りません。
途中で別れた人の消息も、わかりません。ミストには一人、例外がありましたが…。
また、「ミスト」では、そうなったいきさつが、多少語られるシーンがありますが、それすら、本当のことかもわかりません。
と、全体的に似ているのですが、「クローバーフィールド」は、登場人物の極限状況が淡々と綴られているのに対して、「ミスト」では、極限状況で、人間心理、群集心理が変化していく様を映像化し、恐怖を描いている点で違います。
「クローバーフィールド」では、ごく限られた視点でしか物を見ないので、ものすごく閉塞感があるのですが、「ミスト」では、もう少し俯瞰でみているので、そういった閉塞感は、「ミスト」では薄まっています。
ただ、なんていうのか、「後味の悪さ」が、嫌な感じで心にべた付いています。
「クローバーフィールド」は登場人物のとっぴな思考と、言ってしまえば、冒頭で結末が”大体”読める事(多分、製作者の意図)から、だいぶ引いた目で見てしまうのですが、「ミスト」はその反対。
ただし「クローバーフィールド」で「恋人」を「家族」に置き換えたら、僕も同じような状況下で、同じような行動をするかも知れないなあ、とは思います。
閑話休題
「ミスト」では、主人公の行動は実に合理的で理性的。
自分も同じ状況になれば(理性が保たれれば、の話ですが)、同じような行動をすると思います。
なのに、ひとつ選択を間違えただけで、こんな悲劇的な話になってしまうとは…。
普通、正しい行動をすれば、主人公は助かるじゃんか!!(あ、主人公は助かってるのか…)
自分も、そういう結果になってしまった。という置き換えをしてしまうんです。
そして冒頭の台詞。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」
あの、安西先生の名台詞が頭に響きました。
これは、やっぱり、前に見た「クローバーフィールド」と、どうしても比較してしまいます。
どちらも全体の世界観が登場人物(観客)にはわかりません。
目の前で起こっている事は判るけど、なぜ、こんな事になったのかは、さっぱり判りません。
途中で別れた人の消息も、わかりません。ミストには一人、例外がありましたが…。
また、「ミスト」では、そうなったいきさつが、多少語られるシーンがありますが、それすら、本当のことかもわかりません。
と、全体的に似ているのですが、「クローバーフィールド」は、登場人物の極限状況が淡々と綴られているのに対して、「ミスト」では、極限状況で、人間心理、群集心理が変化していく様を映像化し、恐怖を描いている点で違います。
「クローバーフィールド」では、ごく限られた視点でしか物を見ないので、ものすごく閉塞感があるのですが、「ミスト」では、もう少し俯瞰でみているので、そういった閉塞感は、「ミスト」では薄まっています。
ただ、なんていうのか、「後味の悪さ」が、嫌な感じで心にべた付いています。
「クローバーフィールド」は登場人物のとっぴな思考と、言ってしまえば、冒頭で結末が”大体”読める事(多分、製作者の意図)から、だいぶ引いた目で見てしまうのですが、「ミスト」はその反対。
ただし「クローバーフィールド」で「恋人」を「家族」に置き換えたら、僕も同じような状況下で、同じような行動をするかも知れないなあ、とは思います。
閑話休題
「ミスト」では、主人公の行動は実に合理的で理性的。
自分も同じ状況になれば(理性が保たれれば、の話ですが)、同じような行動をすると思います。
なのに、ひとつ選択を間違えただけで、こんな悲劇的な話になってしまうとは…。
普通、正しい行動をすれば、主人公は助かるじゃんか!!(あ、主人公は助かってるのか…)
自分も、そういう結果になってしまった。という置き換えをしてしまうんです。
そして冒頭の台詞。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」