2005年4月1日にくも膜下出血で倒れていた(義父は胃ガンで入院中)
義兄夫婦が発見し、救急車で義父が入院している病院へ
ここでは診れないということで、副院長も同乗して
横浜の大病院へ。入院期間が決まっているそうで3か月したら
転院しなくてはならない。なので、あちこちの病院を転々として
入っていた老人ホームへ。亡き義父が、病院ではなく延命措置をせず
自然に逝かせてあげたい。というのがホーム、息子たちへの条件だったらしい。19年間の闘病生活だった。
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倒れる前は、料理教室や陶芸教室を自宅で開講していた。
陶芸は東京の銀座で10年間に渡って毎年、個展を開催していた。
実はとうちゃんは、帰国子女。幼少期に5年間スイスに在住。
その後は、義父はデンマークへ単身赴任。
日本の学校が春休みや夏休みの時に会いに言ってたそうだ。
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2024年10月23日午後6時15分(時間はおおよそ、だそうです)、
87歳、義母はたった一人で☆に。
とうちゃんは仕事が終り、病院へ紹介状を出しに行き、
義兄から電話がありホームへ、
義兄夫婦はとうちゃんより遅くタクシーで、
かかりつけの先生も神父様もいなかったらしい。
ホームのスタッフが、ほんの10分ほど部屋を離れたらしく、
戻ってきたら亡くなっていた。
義母は時に優しく、時に厳しく、実の母親と思える女性だった。
今まで長い間、お疲れさまでした。
心から感謝しています。どうもありがとうございました。
最後にもう一度会いたかったけど、この所体調がすぐれずで
食欲ないし、依存性の強い処方薬で苦しいし
30日の本葬にもいかれず、申し訳ございません。
お母さん、やっと楽になれましたね。
私はとうちゃん(主人)より早く☆になりたい。
そうしないと、私は働けないからフォーㇺレスになってしまう。
義兄夫婦がホームのお掃除など、負担かけてしまい
申しわけありませんでした。& いつもどうもありがとうございます。
なにより、とうちゃんを産んでくださった義母と
毎日頑張ってくれてる、とうちゃんに感謝‼
とうちゃんのご両親はキリスト教で、息子たち嫁たちは洗礼を受けてない。
納骨は『温かくなってからにする」そうです。
義兄の優しさなんでしょうね。