徒然なるままに~徒然の書~

心に浮かぶ徒然の書

十七条憲法九条の意義

2020-01-15 13:16:35 | 随想

十七条憲法は聖徳太子の作だとか、違うとかの議論は何の意味もない。

聖徳太子と無関係であったとしても、憲法の持つ価値が低下するなどということはありえない。

古の国の制度を範として取入れたけれど、その国では、既にその制度を捨て去ってるにも拘らず、

我が国では依然として旧態歴然の制度を重要視している。

官吏登用の試験にしても単なる学科の知識の試験であって、受験用の能力を試すだけのものに成り下がっている。

小さな子供のころから、子供らしさの遊びも知らず、ひたすら塾通いの生活を強いられた子供たち、世間との付き合いもたって、

受験のための勉強に精出した結果が、世間と隔絶した世間知らずの片輪な人間が生産されたに過ぎない。

それがやがては、人を裁き、政を動かそうとする国家の中枢を占めるのだから、

世の実情に合った判断とはかけ離れたものが出来上がるのは当然と言えば当然のことである。

現在の官僚自体、学閥の形成の凝り固まった、実際に優秀な人材を得る事は二の次でしかない。

これらの任官した者たちが、真に国民のためにという真心があるなら何事も達成できるだろう。

だが、真心がないならどんな政策を行おうと何事も達成できないのではと思う。

国の政はすべからく、為政者達のまごころに掛かっていると言えるではないだろうか。

真心は政の根本、いや人の道の根本なのである。

今の政治屋や官僚にその根本が欠けているとしか思えない。

国の政は国家自体、国家を形成する民草に対する真心のあるなしに掛かっている。

一つの制度を作り出すにしても、官僚たちに真心がなければどんなことも失敗するのではないでしょうか。

今運用されている制度がすべからく失敗の連続であるのは、単なる時代の経過によるものではないだろう。

 

見通しの悪さは勿論の事、先見の明の欠落した者たちの施策、途中失敗すれば民草に責めを負わせればいいという安易な考えが、

心の奥底に潜んでいるかであろう。

民草はその様な失政を追求しなければならないのだが、余りにも無関心である。

事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られれば世は収まる。

それはどんな時代であっても、時代の動きや緩急に関わりなく、賢者が出れば豊かでそしてのびやかな世の中になるのは、

他国の歴史で証明されてはいるが、我が国に於いては今だかってそのような人物が輩出したという歴史はない。

今のマスメディアなど権力に迎合して何ら己の信念を露わそうなどと言う気概のあるものは見当たらない。

 

真心は人の道の根本である。

何事にも真心がなければいけない。

事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。

官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。

 

十七条憲法九条に

九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗。要在于信。群臣共信。何事不成。群臣无信。万事悉敗。

とある。

 

書き下してみると

九に曰く、

信は是れ義の本なり、毎事に信あれ。

其の善悪成敗、要ず信に在り。

群臣共に信あらば、何事か成らざらん、群臣に信無くんば、万事悉ことごとく敗れん。

と私には読める。

この書き下し文で、改めて現代語に直す必要も無いのだが・・・・

第九条

信は義の根本である。

何事においても、信がなければならない。

善悪成敗は、いかに信があるか、無しかによって決まる。

群臣共に信あるならば成らざる事は無く、群臣に信が無ければ万事ことごとく敗れるであろう。

我が国の政治屋や官僚と呼ばれる者達に、民衆の信に応えるだけの信を民衆に返しているだろうか。

ただ与えられた権力を保持するために、民衆のあらゆる生活の場を規制して権力の片鱗を表して、権力を誇示しているに過ぎないように思える。

諸外国と比較してみると、如何に無駄な規制が施されているかが歴然として、その生き方の窮屈さに驚かされるばかりである。

外国で自由であるものが、我が国では厳重に規制されて、国民を苦しめていることがいかに多いか。

諸外国に見る様な民衆の自由な気風と言うものを押さえつけている。

これではとても信ありとは言えないように思うのだが・・・・

早い話、政治屋として世界最高の年収を得ている国会議員が、所得倍増の年収五千万の決議を可決したら、果たして民衆は抵抗を示すだろうか。

憲法を改正してまで、また軍備を増強し、戦争の準備を行おうとする阿呆な輩が蠢いている。

その結果、政治屋や官僚が悪いと言ってもそれは通らない。

悪いのはその様な悪徳な政治屋を択んだ己自身であるということを忘れている。

如何に民主主義の根本原理だとは言っても、参政権は諸刃の剣である。

参政権の行使はおのれの首を締める事になるということをもう一度真剣に考える必要があるのではないだろうか。

参政権を行使した人々に問う。

おのれは本当に国を思い、民の幸福を思う真心を持った人物に政をゆだねる投票をしただろうか、と振り返ったことがあるか。

今を生きる日本人にとってこの十七条憲法の九条の言葉は実に重要な意義を持っていると思う。


人間の本性は悪なり

2020-01-13 18:00:05 | 随想

ITを利用してありとあらゆる手段を講じて、他人の財を不正に取得して、己だけはいい思いをしようとする輩が蔓延っている。

荀子が言う様に性根が悪であるから、教育によって善へ向けようとあらゆる努力をするのであるが、

その努力の甲斐もなく悪に走る、世に必要のない輩が蔓延っているのである。

この様な輩は生まれて以来様々な教育で社会有用な人間に教育されたのであるが、その効果は全くなかったといっていい。

犯罪を犯した輩は隔離して再教育して、世の訳に立てようという目的で刑務所に収容するのであるが、

何十年にもわたって、実社会において教育されたにもかかわらず、悪に走った輩である。

昔江戸のころ十両盗めば死罪と決まっていた。重罪を犯したものは死罪か遠島,或いは所払いで、

少なくとも犯罪を犯したところからは排除抹殺したのである。

性悪説と言うと、荀氏の性悪説が引き合いに出されるが、彼の言う単に人間は弱い存在たと言うに過ぎない、という単純なものではない。

この世に存在する、あらゆる人間は何らかの自己規制が外れると、悪と言われる行為にまっしぐらに入り込む可能性を秘めている。

社会規範によって、課せられる苦痛を比較して、悪へ入り込むことを躊躇っているのが普通の人間なのである。

重大な悪と言われる、社会規範に抵触する行為を行う可能性は、あらゆる人間がもっており、全く無関係な人間はこの地球上には存在しない。

権力を握ったっものはその権力を利用し、キツネにならないものは皆無であろう。

あの権力を握ったと思われる人間どもの所作さを勘案すれば、思い当たるであろう。

ほんのわずかな権力であっても、それを押しつけようとする行為は日常茶飯事に起こっているのは誰もが経験したことだろう。

権力を利用して、受けるべき苦痛を回避する事の可能性を考慮しているに過ぎない。

処が、思惑が違って、社会規範の適用を強制されるものが時折表れているのは、周知のことだろう。

この様な人間は権力者には認められているなどと確信しているから、一層の事始末が悪い。

悪を犯した報いが己に降りかからないとわかれば、あらゆる人間は悪の限りを尽くすだろう。

いわゆるアウトローの世界である。

あらゆる人間が、悪を行う存在であるから、刑法をはじめ、あらゆる社会規範が悪を行ったものを拘束する規定をするので、

この拘束をすべて外すと、あらゆる人間が悪の限りをつくし、個人の生の力が支配する生の世界に突入する。

それを回避するために、社会規範が作られるのであるが、これは権力を握ったものにとって最大の武器になり、弱者を蹂躙する武器にもなる。

これは人間が存在し始めた時から全く変化していない。

人間を拘束するタガが外れた時、ありとあらゆる人間が悪の本性をむきだしにする。

生まれたての赤ん坊に悪も善もないと、言う意見もあるが、まだ己の意思を表現する方法を知らないだけで、悪は立派に存在する。

まだ善も悪も解らない赤ん坊でも、立派に悪を表現している。

親が近似した赤ん坊を差別して扱うと明らかに嫉妬心をむきだしにする。

己の意思を正確に伝えることのできない生まれたての赤ん坊でも、敵意をむき出しにする方法は知っているのである。


聖徳太子の人間性と人間観

2020-01-11 13:33:11 | 随想

~聖徳太子に嫉妬する現代官僚~

 

昔から様々なお札の顔になった聖徳太子。

千四百年に亘って、多くの人々から尊崇を集め、太子信仰は現代の今も我々に大きなロマンを与えている。

太子は用明大王の皇子として生まれ、厩戸の皇子とか、豊聡耳皇子と呼ばれたように小さなころから耳聡く、聡明な子であったと言われている。

我々が最も親しんでいる聖徳太子と言う名は、太子の死後に、その遺徳をたたえて送られた諡号である。

それ故生前の太子の名は厩戸皇子と呼ばれている。

彼の青年期は父の用明大王が早逝した後、物部氏と蘇我氏との熾烈な戦いの真っただ中であった。

皇子には蘇我の血が流れており、必然的に蘇我と物部の戦いに巻き込まれていった。

物部が蘇我に滅ぼされた後は、蘇我馬子の権力が猛威を振るい、おのれに添わないものは大王であろうと、皇族であろうと次々に殺戮された時代であった。

馬子は大王を操り人形の様に傀儡大王を操る大臣として権勢をふるっていた。

古代の政治形態は大和政権が出来た当初から、天神地祇の主宰者として祭り上げられた大王を頂点にした、豪族連合政権であった。

大王は神祇主宰者ではあっても政に関しては権威も権力も持っていなかった。

厩戸の皇子の少年期から青年期に掛けての政治の中心は守屋を滅ぼして以来、蘇我馬子で、大臣としてすべての権限を握っていたといっていい。

 

ここで厩戸の皇子について述べようというのではない。

今から何年か前日本の学校教育の教科書から、聖徳太子の名称を消そうという語論が国会などで侃々諤々議論されているという。

政治屋っていうのは何とも暇を持て余す職業らしい。

この聖徳太子という名称を消すという話しはもう何年も前の事だから、すでに消えてしまったのかどうかは知らない。

聖徳太子が為したという偉業に対する、みすぼらしい嫉妬。

国家を動かそうかという職業ならもっと建設的な事項について、精力をつぎ込んでほしいものである。

どうせこんな議題は文部省の役人ばらが言い出したことなのだろうが、今の日本そんなくだらないことに精力をつぎ込むほど安穏ではなかろう。

 

彼が推古天皇の摂政として行った様々な事跡は彼一人で行ったのではないとして、聖徳太子の尊称は必要ないとして、

聖徳太子と言う名称を消してしまおうと、学説ともいえないようなことを宣う御仁がいる。

その尻馬に乗って歴史の教科書から、聖徳太子と言う文字を消してしまおうと文部官僚が阿呆丸出しに考えているという。

役人という生き物の、人間としての器の小ささが見えている。

太古の事跡は殆どが推測であり、文書が残っているような形跡があってもそれがどれ程の信憑性があるか、それさえも推測の域を出ない。

日本国の正史だといっている日本書紀にしてからが、その内容が真実を書いているという根拠になるものは何もない。

中国の史記と比べる価値もない、役人のいう日本の正史。

拙劣な文章、必要も無いような出来事を延々と並べたて、他の残存する史料と比べても、食い違いの多い書であることは歴然としている。

太子には3人の側近、ブレーンがあったといわれているが。高句麗の慧慈、それに新羅系渡来氏族である秦河勝、は確かであるが、

あと一人は確かではないが、百済系と思われる覚、だと言われている。

彼の事跡として挙げられるのは「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」「国史編纂」「遣隋使の派遣」「仏教興隆(三経義疏、法隆寺・四天王寺の建立)」

などであるが、これを一人でやったとは思えないというのが聖徳太子を消そうという理由としている。

これらのものを厩戸の太子が完全に独裁して作り上げたと思っている方が間抜けなのであり、当時の政がどの様であったか考えれば、

一人でやったかどうかなどと言う阿呆な考えは出てこないのは明らかであろう。

聖徳と言う尊称を与えた人々も、これらが厩戸の皇太子がこれらすべてを独裁したとは思って尊称を与えたわけではない。

と言うよりも蘇我馬子の権力は大王を凌ぐものであり、己の政に邪魔になる者は、大王であろうと皇子であろうと、何人も弑逆してきた。

第一候補であった豊御食炊屋姫の皇子、竹田の皇子が死して以来、

厩戸の皇子が泊瀬部大王が弑逆されて以後空位となっている大王位に付くように馬子に迫られていたことは明らかであろう。

厩戸にしてみれば己の抱いていた理想を実現するためには、大王位に付くことは不利であると考えていた。

当時の状況を考えると、厩戸の皇子が大王位に付いても、蘇我馬子の傀儡になることは明らかであることを見越していた。

それをブレーンと協議しながら、拒否し続けた。

馬子を立てて皇子の立場から馬子を説得する方法を選んだと思える。

これらは、彼のブレーンとも意見の一致を見ていたと思われる。

尊称を消そうとしている者たちにしても、確かな証拠があって言い出した事ではない。

これだけの、大きな事業は厩戸皇太子一人では出来なかったろうと、己の能力と比較して言い出した事であり、

厩戸の人間としての器の大きさを、現代の己の人間としてあるいは学識と比較しているのだろう。

大体がそれ自体が不遜なのであり、聖徳太子と人々に崇められ、尊称をたてまつられた人間とは器が違う、人間の質が違うということを考慮に入れる必要がある。

それさえできない様な人間が彼一人の事跡ではないなどと言うこと自他、人間の器の狭小さを思い知るべきであろう。

おのれの小さな器で、聖徳太子という大きな器を量ろうとすること自体が無謀なのであり、不遜なのである。

この様なことを言い出す輩の能力など、厩戸皇子の人間性や言われている能力と比べると、宇宙の塵ほど大きさもなかろう。

太子は当時としては全く異例ともいえる様な考えを持っており、人間の平等を主張している。

勿論この彼の言う平等は現代における平等とは全く違ったものであはあるが・・・・・

その現代の平等とて、人間すべてが平等に扱われているかと言えば決してそうではない。

現代の人々はみな平等と思っているかもしれないが、決して平等には扱われてはいない。

聖徳太子を抹殺しようとする者が挙げている十二冠の官位について述べるならば、厩戸は成年に達する前から氏族中心の世の成り立ちに疑問を抱いていた。

強力氏族に属する者は阿呆でもチョンでも、労することなく民草を酷使し、能力のあるものでも決して上へと行くことは出来ない仕組み、

そんな仕組みを少年の頃ころから気づいていた厩戸は、慧慈と言う師を得て、中国や朝鮮三国の文化を吸収し、己の内に同化して、官位制度について研究していた。

この当時の倭の国は中国や朝鮮三国の文化とは比べ物にならない程遅れていたことを厩戸は十分に承知していた。

当時の道家の思想も民の長寿と幸せを根本にしている。

諸豪族が莫大な財を蓄え、生を満喫できるのも民草が働くからである。

民草が働くからこの様な生活が出来る。

だが諸豪族は民草が牛馬のように働くのは当然の事と思っている。

だがこれは間違っている、能力のあるものはそれなりに上へと昇ることが出来る様にする必要がある。

これが厩戸の皇子の人間観であり、当時の、いや現代にも通用する人間観である。

これが官位を作り出す厩戸の理想の一つの源になっていた。

官位にしてもどの様に権力者馬子を説得するか、ブレーンと協議したことであろう。

当時の高句麗の官位制度は十二階級、百済の官位制度は十六階級。

この官位制度に習熟していない我が国で十六階級もの制度は煩雑と思った厩戸は、高句麗の十二階級を選んで、その名称をどの様にするか悩んだ。

恩と徳は中国から入った思想であるが、恩は慈しみ、恵みであり、仏教の思想の影響を受けている。

徳は儒教の思想であるが、当時の道教に於いても最も大切なものとされている。

厩戸は師の慧慈から道教についても教えられ道教思想にも精通していたと思われる。

因みに、慧慈は、飛鳥の時代に高句麗から渡来した僧で、厩戸皇子の師である。

儒教に於いて人の守るべき、仁義礼智信は五常の道であるが、前漢の武帝の時,天子の道ともされたと言う。

そして天子が五常の道を治め得たら、徳は広く一般に及ぶ様になるというのである。

厩戸はこの五常が後漢の頃、天の五星に配した陰陽五行に結びついたことは、少年の頃最初の師、恵弁から教わっていたというが、

更に慧慈から詳しい知識を得ていた。

その結びつきを記した書は後漢の班固が撰述した漢書の天文志だという。

そこの五常は仁義礼智信の順位は仁礼信義智となっている。

何故、仁義が仁礼に変わったかについて慧慈は国を治めるには礼が大切であるという認識が強くなった為であると。

この徳と謂う文字の意味を厩戸は研究して、五常の上に徳を置いた官位を決めたといわれている。

一方馬子は百済方式を考えていたようであるが、厩戸の説得で十二階の官位が決定したと言われている。

どんな制度であろうと、一つのことを成し遂げるのに一人で何事も為し得るものはなかろう。

厩戸一人でやったものではないから尊称は値しないなどと阿呆を言うのは現代人の器の小ささ、そして教科書からも聖徳太子の名を消すというのは、

聖徳太子などとは比べ物にならない器の小さな無能な文部官僚のやりそうなことである。

官位に例を採って書いているのだが、日本書紀には書かれていない、六百年の遣隋使派遣にしても、

当時厩戸が中国や朝鮮三国の文化を取入れ隋と接触を望んでいた。

厩戸の説得を馬子が飲んだと考えた方がいい。

こんな些細なというより重大な出来事を簡単に書き落とす日本書紀など国史にはとても値しない。

日本側の記録にはないが、中国側にはっきりと六百年に遣隋使が訪れたときの詳細な記録が残されている。

書紀を読んだら例の、あの有名な日の出国の天子~云々の国書を持った小野妹子が最初の遣隋使だと思ってしまう。

この当時馬子が実権を握って独裁を始めて以来、馬子がなした国事は何も記されていない。

厩戸が皇太子となり、摂政となって以後に、内に秘めていた様々な理想、そのための施策が表に現れたと考えるべきで、

十七条憲法も後の時代のものと言われてはいるが、厩戸の人間性、人間観の考え方を推し量って書かれた公算が大きい。

その草案が厩戸によって書かれていた可能性さえある。

歴史と言うものはすべからく推理推測で何一つ真実を語っていることなどないと思った方がいい。

日本書紀に書かれたことが日本の歴史だなどと思う事自体に誤りがある。

それを裏付ける資料は僅かに考古学によって発掘された物から推量して僅かに裏付けられるに過ぎない。

聖徳太子に関する上宮聖徳法王帝説なども太子についての現存最古の伝記、

古代史の第一級の史料だと言われていても、これにさへ疑問符をつけるものがいる。

そのうち法大王と呼ばれたことにさえ文句をつける輩が出ないとは限らない。

これほどの人物が今我が国に現れたら,姥捨て山へ捨てた老い先短い者の生活を脅かす様な非人間的な政を行う事は絶対に在り得なかったろう。

おのれの政治の失敗は、昔から腹切って責めを負ったが、現今の政治屋は人道も地に落ちたか、

己の政の失敗を己の費やす垂れ流しの経費や収入をカットするなど考えもせず、全く方向違いの、人間としての最弱者にその責めを負わせようとしている。

人間に限らずあらゆる形ある物は、経年劣化でメンティナンスが必要なのは世の理。

その年老いた人間のメインティナンスの為の費用負担さえカットし、その保険料を増額する外道が今の政治屋の本性である。

参政権の行使は民主主義の証だなどと浮かれていると、己の首を絞めることになる。

如何に現代が荒んだ世の中とは言え、己は安楽で、一番弱い者をいじめる事が政治の根本と考えている輩がいるとは・・・・・

政の失敗を重ねた上げくが国家の破産にも等しい一千数百兆に及ぶ赤字。

よくもまあ~経費の垂れ流し、給与はお手盛り、失政しても腹切りどころか、己のものはカットもしない。

年寄りがいる、彼らがいれば、彼らを食い物にすればいい、これが現代の曽我馬子。

好き勝手放題はさすがの古の権力者蘇我馬子も太刀打ちできなかろう。

ビッグバン以来膨張を続ける宇宙の様に,政治の破綻は際限もなく膨張し、連れた財政赤字も膨張を続けている。

宇宙の膨張が際限がない様に、今の政治屋官僚がのさばっている限り、日本と言う国の未来はない。

 

 


人間の感情~心の動き~

2020-01-10 14:18:31 | 随想

人間の、いや人の心の内をのぞいてみれば、様々な情感が渦巻いている。

妬み、嫉み 羨望・・・ 裏切り

この世で、未だ過ってこの感情を抱いたことはないと、言い切れる人はまずいないだろう。

人間様の心に湧き上がる様々な感情あるいは心の動き・・・・これほど複雑なものはなかろう。

妬み、嫉み、いわゆる嫉妬は、裏切りと共に、人間感情の醜さの代表的なものの一つであろう。

人間の心の中にどんな感情がわき起ころうとも、それが行為となって外部に現れない限り、外部に対して何の影響も及ぼさない

例えそれが重大な犯罪を意図する様な心の動きであっても、心の内にとどまっている限り何の害悪もない。

だが、ひとたびその感情が僅かでも外部に現れると、様々な軋轢が生じてくる。

これらの妬みや嫉みの感情に裏打ちされた行動が外に現れるとき、実に陰険姑息な行動となって表れてくる。

人間の嫉みや妬みの感情、あるいは裏切りの感情が行為となって表れた時、それは人間の悪の最たるものであるのだが、

何時の世にも、見え隠れしながら世に蔓延って、人々を悩ませる悪である。

妬み嫉みは一語でいえば嫉妬である。

嫉妬は女性に多いなどと言われるが、とんでもない、人間だれしもこの感情が心の奥底にひしめいている。

人間の感情が内にひっそりと秘められている内は、どんな者であっても人を害することはない。

それが一たび表に現れると、人と人との摩擦が起こる。

ギリシャ神話における、ヘラの様な女の嫉妬は目を覆うばかりであるが、淫靡に内にこもった嫉妬が社会に及ぼす影響は見過ごされてはならない。

出る杭は打たれるというが、これが嫉妬の現れに他ならない。

出ようとしても己の能力では出ることもできない輩が、策を弄して頭を押さえようとする。

策を弄するすべもない輩は、只々羨望するのみ・・・・・ならまだ可愛い。

策を弄すれば己でも何とか追いつける、あるいは上位にいる者にとっては、

追い抜かれる恐れを回避する為にとる行動が杭の頭を叩こうとする行動になって表れる。

出た杭に対して、並の頭では策を弄しても太刀打ちできないと、悟ったのが出過ぎた杭は打たれないということなのだろう。

要するに能力の違いを思い知らされ、叩こうにも叩けない状態・・・・・

叩けないなら抜こうと、試みるかも知れないが、悪知恵のみが働く姑息な輩の頭では、手におえる様なものではなかろう。

優越する頭脳の持ち主なら、ずう~ンと頭を出して、打てるものなら、打ってみよ、というかもしれない。

だが我が国の如く、途中に無能者が混在する様な縦組織の社会、縦の組織を重視する社会では、頭を出すと嫌われることが多い。

この縦社会に於いて、如何の様な訳か無能なものが、組織上部に存在することがる。

これは縦社会の組織に於いては致命的な事なのではあるが、感情の生き物である人間社会においては避けられない様である。

特に我が国の様な終身雇用の年功序列型の形態をとる社会では、無能なものがどっかと上位に腰を据えている。

それが太平洋戦争の初期の敗戦の様な結末を招く。

この凡庸な連中が縦社会の上位を占めると、いわゆる優秀性の抜け落ちた連中が追い抜かれることを危惧するのである。

様々な策を弄して、行く手を阻もうとする。

これは無能な輩が組織の上位にいるとき顕著にみられる現象である。

特に組織が能力を重視した上下関係から成り立っている場合に現れることが多い。

我が国の歴史を振り返ってみると、出る杭よりも、出ない杭を作り出すような教育が行われていた様に思う。

出自を重視したり、世襲を重視する社会では、衆に優れた俊英の士は阻害されることが多いというのは、当然と言えば当然であろう。

組織に於いて、能のあるなしを重視して、上下関係が組み立てられているところでは、出ない杭より出る杭の方が歓迎される。

その様な縦組織の社会では早晩組織に破綻が見えてくる。

権力を握ったものにとっては、出ない杭の方が当然扱いやすく、頭を出すものは敬遠されるのは至極当然の事であろう。

その権力者が愚鈍であればあるだけその感が強い。

昔からよく聞かれる言葉だが上司が愚鈍だと部下は苦労する、というのは本当だろう。

例えば軍隊などに置いて無能な指揮官の下の兵卒は命の危険にさらされる可能性が飛躍的に高まる。

どんな社会に限らず、能のないものが上昇志向を抱くとき、阿諛追従の特技を発揮せざるを得ないであろう。

これが組織の縦社会に加わるとき様々な不都合が惹起されるのである。

我が国に見られるような、年功序列型の組織社会においてのように、組織上位者の能力が必ずしも優れているとは言えない組織社会では、

この言葉を十分に吟味しながら、頭を出す様にする必要がある。

それは、上位者が頭を叩こうとするのは、自分を追い越す可能性を示唆する嫉妬、偏狭な心、からかもしれない。

アメリカの様な実力による組織社会なら、当然杭は頭を出さなければ切り捨てられる。

出ない杭など必要はなく、ただ腐るを待つだけとなるであろう。

と言うよりも腐るのを待つほどの猶予は与えてくれまい。

見限られると、容赦なく切り捨てられる、・・・・・

終身雇用が原則の我が国における、ぬるま湯につかった、可もなく不可もない、平々凡々などはどは通用しない。

アメリカンドリームなどとよく言われるが、能のないものが成功を夢見ても、とても叶わぬ所である。

アメリカンドリームは成功ばかりが目立つ様言われているが、その対極にある失敗の悲惨な夢を考えておかないと、人生を誤ることになる。

何よりも己の能力の限界を知ることが必要であろう。

ただ我が国の様な島国根性の偏狭な組織編成の社会では、只々、黙って従う頭を出さない従順な杭が歓迎されるのかも知れない。

雑多な人種の血が混ざり合うアメリカには、我が国では及びもつかないIQの高い連中がごろごろしている。

とは言ってもその対極もあるのであって、天国と地獄ほどのの差がある。

誰もが平均的であるのと、どちらが良いのか一概には言えない。

人の心に芽生える感情が交差する世の中は、漱石が言うように、とかくこの世は住みにくいということなのだが、

この言葉もあまりにも有名になりすぎて、手垢が付き過ぎてしまった。

住みにくさが高じると、どこかへ引っ越したくなるのだが、何処へ引っ越しても住みにくいと悟った時、さてどうするのがいいのか・・・・・

人を作ったのは神でもなければ鬼でもない。

矢張り向こう三軒両隣の人々だろう。

ただの人が造った国が住みにくいと言って、引っ越す国はあるまい。

あるとすれば人でなしの国へ行くしかなかろう。

人でなしの国ははなお住みにくかろう。

住みにくいところを束の間の命とは言っても、少しは寛げて、束の間でも住みよくするしかなかろう。

と漱石は言う。

人生など束の間、その束の間の人生を少しでも寛げるように、生きていきたいものである。

この殺伐とした世の中、政治屋共の無能結果とは言え、少なくとも老後は王維が詠うように・・・・・

 

独坐幽篁裏、 

弾琴復長嘯  

深林人不知  

明月来相照  

 

読み下してみれば、その心境がよくわかる。

 

独り坐す幽篁の裏(うち)

琴を弾じて復た長嘯す

深林人知らず

明月来って相照らす

 

王維の心境は後の二句にあらわれている。

奥深いこの林の中にわが庵があるどは誰も知らないけれど、

明月だけは訪ね来て煌々と照らしてくれる。

 

と、ゆっくりと、旅立つ前の束の間を過ごしたいものである。

尤も、今の世では望むべくもないが・・・・

如何すれば住みよくなるか、それは人それぞれの心の内にあるのだ。

とはいっても我が国の様な老いれば姥捨て山が待っている社会では望むべくもない望みではあるのだが・・・・

嫉みや妬みの感情は、恐らくあらゆる人々の心の中に、大なり小なり芽生える感情であろうが、裏切りの感情も多くの人の心に潜んでいることだろう。

ただこの感情は行為として現れることは、妬みや嫉みの感情ほど多くはあるまい。

裏切りと言うものは決定的な断絶を生じさせかねないからである。

古い戦国の世では、裏切りは日常茶飯事であったが、ひとたび裏切りという行為を犯したものは、そのものの人格が破壊されたものと思っていい。

一たび裏切りの烙印を押されたものは、社会的信用を失墜する。

古い時代からの、裏切り等節操のなさで夙に有名になったのは真田昌幸。

この真田昌幸、あっちへ付いたり、こっちへ付いたり、忙しい男であったようだが、どちらが勝っても真田の家が存続する様に、

兄弟を両方の陣営に別けた策士として有名なのだが、それでも生き残った方も重要視されなかったようである。

弱小領主であってみれば、どちらに付くかによって己の将来の存亡がかかっているとなれば仕方のないことかもしれない。

だが一度裏切ると、裏切って味方に付いた方からも決して信頼は置いてもらえない。

裏切り者は何時また自分を裏切るか、そんな輩に信の置けるはずはない。

徳川の初期においても、豊臣恩顧の武将が徳川に味方して、良い目を見たと思ったが、これも恩あるものを裏切った節操のなさを見られて、

殆どが取り潰されて、憂き目を見ている。

何処の世のものも、この恩あるものを裏切ったものは人間として、最悪なものとみているのであろう。

ダンテにしても、神曲地獄篇において、地獄の最深部の九圏に裏切り者の地獄を設定している。

世に有名な裏切り者はキリストを裏切ったユダ、カエサルを裏切ったブルトウスとカシウス・・・・・・

これらはあまりにも有名なので、説明の要はあるまい。

この裏切りと言う行為は何も古い時代だけの事ではない。

我々は日常茶飯事、常に裏切りを目にし、裏切りに出合っていることを認識し、肝に銘じたい。

何時の日にかその裏切りの償いをさせるために・・・・


寒牡丹

2020-01-07 14:34:08 | 随想

今あちこちで、冬牡丹というのか、寒牡丹というのか、わら帽子を冠ったボタンの花が美しい姿を見せている。

所謂寒牡丹と冬牡丹は同じ様に冬の寒さの中で花を咲かせる牡丹ではあるが、正確にはその作りは全く違っているらしい。

一方は春咲種の牡丹と言う植物を完全に騙して、花を咲かせる人間のエゴが見え隠れする。

他の一方はこれも騙す事には変わりないが、二期咲種の春咲芽を残すのか、秋咲く花芽か、

どちらかを残して寒の内に咲かせる小細工を労する人間の悪知恵である。

この地球上にあるもの、動物にしろ植物にしろ人間と言う生き物に奉仕するために存在しているのではない。

今、植物にしても人間の手を借りなければ花を咲かせることが出来ないものが随分と増えている。

それは本来己の環境に適した処に生育していたものを、人間などと言う生き物が勝手にその環境を破壊して、

己の環境の内で花を咲かせようとする驕りのために、人間の世界へ持ち込まれたものであって、ようようにして命脈を保っているに過ぎない。

花を咲かせ子孫を残すなどは論外と言える環境に放り込まれた様なものである。

このことは、何も寒牡丹に限ったことではない。

様々な所に人間という生き物のエゴが垣間見える。

人間と言う生き物を裸で南極や北極へ放り出したり、毛皮を着せて赤道直下へ連れだしたりするのと何ら変わりはない。

釈迦は生きとし生ける物すべからく仏性ありとは言うが、こんな人間と言う生き物の何処に仏性が潜んでいると云うのであろうか。

様々な生き物の生育環境を破壊し、種を絶滅に追い込んでいる人間と言う生き物、同種の人間と言う生き物さえも破滅させようかという、

こんなものに仏性などと言うものがあるというのだろうか。

釈迦の生きた時代、同時代に生きた人間と言う生き物と現代の人間と言う生き物の変容を流石の釈迦も予測すらできなかったのであろう。

いや末法の到来と言っているのだから、ある程度は予測していたのかも知れない。

それは何も釈迦に限らずキリストにしてもイースラムのヤハウエーにしての同じことだろう。

もっとも、キリストやイースラムのように人間しか相手にしないのと違って、少なくとも生きとし生けるものすべてに仏性ありと言うのだから、

犬や猫にも仏性ありと言うのだから、釈迦の方が幾らかは進歩してたと言えるのかもしれない。

さすればこの花にも仏性ありということになる。

では仏性とは何かということになると、これがまた人によって様々で、お釈迦本人に聞いてみないと、

人間などと言う生き物には解らないことなのだろう。