太鼓台文化・研究ノート ~太鼓台文化圏に生きる~

<探求テーマ>①伝統文化・太鼓台の謎を解明すること。②人口減少&超高齢者社会下での太鼓台文化の活用について考えること。

蒲団部構造に関する考察(3)

2020年09月22日 | 研究

奈良市・南北三条太鼓台(奈良市三条大路)の蒲団部構造

丸亀市出身で豊中市在住のK・S氏に案内していただき、太鼓台保存会世話役の方々のご配慮で、神社の蔵に収められていた南北・三条太鼓台の、主として蒲団部を見学させていただいた。ただ、見学当初の目的は明治のものと思われる水引幕や彫刻類を拝見させていただくことであった。

ところが考察(2)で述べたように、それまでに明石市・穂蓼八幡の太鼓台(太鼓屋台)をたまたま実見していたため、思いもかけず酷似している蒲団部構造にたどり着いた感となった。それは、保存会のM・S氏から提示していただいた写真が、全ての事の始まりであった。

写真のように、太鼓台の蒲団部の一部が通常ではない穂蓼八幡の屋台のような不揃いな段差があったので、水引幕や彫刻類の見学はそこそこにして、蒲団部構造見学へと梶切りをした。そして蒲団部の各部材から、遠隔地の明石市・穂蓼八幡神社屋台の蒲団部構造と酷似していることが判った。以下は、南北・三条太鼓台と穂蓼八幡屋台との蒲団部構造の各部比較である。

構造の共通点

縁(ヘリ=蒲団の外周)となる棒状の枠

南北・三条太鼓台は、大阪に近いことから大阪辺りで造られたものらしく、上写真のように豪華で大型である。ところが蒲団部に関しては、不思議と古い形態を遺している前近代的な構造となっていた。4本の蒲団の縁となる棒状は、中心に剛性のある葦、その周りを柔らかい藁で包む作りで、これは明石・穂蓼八幡屋台のものとほぼ同じ構造であった。先端部分が隣り合う棒状の面同士が合うように、斜めに面取りしているのも穂蓼八幡屋台と同様であった。

構造の相違点

縁を安定させる中箱(木枠)や固定用具(輪)

穂蓼八幡屋台の蒲団構造にない物として、積み重ねられた棒状の蒲団縁の型崩れを防ぐ天地の抜けた中箱(木枠)と、天の部分に固定用具の輪を採用していた。この輪は、ここを通して四方八方に蒲団部全体を固定するのに適している。

V字型蒲団締め

冒頭写真に見られるV字型蒲団締めは、かなりの地方の太鼓台でも確認できる。ただ、各地太鼓台では豪華刺繍の施された蒲団締めの存在と同様、蒲団締め本来の役割を示すことなく様式化・形式化されたものが多い。そのような中、南北・三条太鼓台では中箱・輪・V字型の蒲団締めが一体となり、蒲団枠(縁)を中箱に締めつけ、蒲団部全体の安定化を図っている。

※V字型の蒲団締めを採用している主な太鼓台

上から、丹後半島のだんじり、たつの市新宮町千本の屋台、倉敷市児島の千載楽、木津市の太鼓

広く分布する蒲団型太鼓台の蒲団部構造が、如何に本物の蒲団に見えるように工夫されて来たかが、多少なりともご理解いただけたものと思う。前回(2)と今回(3)で紹介した明石市の穂蓼八幡神社屋台と奈良市の南北・三条太鼓台の蒲団部構造には、蒲団部に共通して葦や藁を用いた"蒲団枠"が採用されていた。この形態を有する太鼓台がまだまだ数多くあるように思う。今は<点>でしかないが、明石と奈良が<線>で結ばれ、それが各地の読者からの情報提供により<面>となることを期待したい。

(終)


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