<概要説明>
この地方の地歌舞伎衣裳や太鼓台刺繍の牡丹花に、他では余り見られない特徴的な表現がある。花びらの1枚ごとに、花芯側の濃い部分から外へ向かって徐々に薄く淡くなるように表現された刺繍である。この技法によって、幾枚もの花びらの集まる牡丹花そのものが、平面的なものから立体的な奥行きのあるものへと視覚的に変化し、牡丹そのものが一層華やかになり質感も感じることができる。職人達が手間を掛けてコツコツと縫い上げた丁寧な仕事振りに思いを馳せ、思わず近づいてまじまじと見入ってしまう。古刺繍におけるこの地方の花びらの濃淡表現は、衣裳側と太鼓台側でそれぞれ次のものが確認され、それらは龍や獅子同様、間違いなく工房・松里庵と深い関係が感じ取れ、作品上の大きな酷似点となっている。
<衣裳古刺繍>
・祇園座(高松市香川町) 九尾の狐と獅子牡丹の打掛 (観音寺太鼓台研究グループ撮影)
・大部(小豆郡土庄町大部) 廃絶し屋島の四国村へ寄託している。親子獅子の四天(観音寺太鼓台研究グループ撮影)
・中山(小豆郡池田町中山) 立涌文(たてわくもん)の小忌衣(おみごろも) 獅子牡丹の四天(観音寺太鼓台研究グループ撮影)
<太鼓台古刺繍>
・観音寺上市太鼓台 蒲団〆
これは、観音寺市上市太鼓台の蒲団〆に採用されているもので、吉祥紋様のひとつである薬玉(くすだま)文様をデザインし、太鼓台蒲団〆に採用されたものである。上から「結び(揚巻結び)・薬玉(くすだま)・牡丹花・菖蒲」からなっている。この蒲団〆の牡丹の花弁に濃淡が表現されている。
・大崎下島大長(広島県呉市豊町) 明治初期に新居浜で使われていた幕である。獅噛(しがみ)と牡丹花。(西条市T・O氏提供、高欄幕に相当する)
<他地方の牡丹花に、濃淡表現はあるのだろうか?>
それでは全国的に見て、他地方の特に古衣裳に、同様刺繍の濃淡表現は見られるのだろうか。写真集等でその一部を確認する方法しかないのであるが、私の乏しい知識では、手元の『農村歌舞伎の衣裳集』など数冊の地歌舞伎に関係する衣裳集で眺めてみたが、確かに見ることはできる。しいかしながら、紹介するそれらからは、この地方の濃淡表現の牡丹花とはかなり異なった趣がする。
<参考添付>(各地の地芝居の衣裳から)
『特別展 江戸デザインの爆発 歌舞伎衣裳』に所収、平成元年 奈良県立美術館刊)
・図版28 群馬県富士見村「紺繻子地牡丹几帳文様打掛」
・図版107 兵庫県個人蔵「紺地牡丹鳳凰文様 染 四天」
<次稿(C-②)牡丹花びらの連結表現に進む前に‥>
実は、観音寺市琴弾八幡神社の奉納太鼓台に、上市太鼓台の薬玉文様の蒲団〆とよく似ている蒲団〆がある。扇石橋(おおぎ・さっきょう)蒲団〆と呼ばれるもので、1号中洲・3号酒(殿町)・5号坂本と、奇数奉納順の太鼓台が扇石橋の蒲団〆を採用している。因みに、上市(7号)の薬玉部分が、他の奇数号3台の太鼓台では扇2枚の〝扇獅子〟となっている。また、薬玉文様のように揚巻結びは付属しないが、牡丹花の下に獅子が狂う様子を象徴する渦巻の文様がある。薬玉・扇それぞれを受けるのは牡丹花(=上市は濃淡の牡丹花、他の3台は次稿参照の連結花弁)である。また下に垂らした糸は、上市・薬玉では菖蒲、他の3台・扇獅子では獅子の毛並みを表している。
観音寺・琴弾八幡宮奉納の扇石橋蒲団〆と同じものが、坂出市の新浜子供太鼓台でも存在が確認されている。観音寺のものと比べ少し小さいが、全て金糸で作られた豪華なものである。牡丹花の下の渦巻文様も小さくて数が多いことが、観音寺の3台の蒲団〆との大きな相違点である。時代的には、牡丹花の数の多い新浜子供太鼓台に用いられている蒲団〆(龍と唐獅子の組合せ)が先行して登場したように思う。なぜなら、獅子の渦巻文様が大きくて3個にまとめられた観音寺太鼓台の方が、デザインとしては新浜のものよりも後出ではないかと考えられるからである。
※扇石橋蒲団〆とは、唐土・清涼山(しょうりようせん)の深山で、人間が架けた橋ではない不思議な石橋にて、百獣の王で且つ文殊菩薩の眷属である獅子(2枚の扇=獅子頭をあらわす。蒲団〆全体で唐獅子を表現している)が、百花の王・牡丹と狂い戯れる様を表現した蒲団〆である。
次稿の「牡丹の酷似(C-②)」の扇石橋蒲団〆では、濃淡のある牡丹花ではなく、花弁を連結させた表現となっている。この複数の花弁を連結させた表現については、衣裳側及び太鼓台側にかなりの事例があるため、次項において具体的に示したい。
(終)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます