今日選挙に行こうとしたら、
丁度『エホバの証人』の布教の人達が来てちょっぴりビックリしました。
神奈川や福岡では、まあ仕方ないか、という感じでしたが
まさか山形でも布教されるなんて…
まあ、聖書は嫌いじゃないので、なんとなく話こんでしまいましたが
結局、私の「この世そのものが神様なのでは理論」を
聞いて貰うだけみたいになってしまいました。
こんな個人理論聞かされたら流石に辟易して逃げ帰るかなと思いきや
しつこく聖書研究会への参加を勧められて、逆に感心してしまいましたね。
まあ、とはいえ『エホバの証人』は、
「聖書をしっかり読むこと」を重視している団体のはずなのに
どうも、表面的にしか読めていないように感じるのですよね。
輸血拒否とかその典型だと思います。
アリストテレスの『論証(アポデイクセス、ἀπόδειξις)』には
「誤った前提からは正しい答えは導き出せない」という一節がありますが
つまり全ての物事は、
その『本質』を見抜いて考える事が大切なのです。
歴史上の多くの悲劇、
例えば「魔女狩り」や「生贄」なども、
その原因は『本質』を見誤ったことにあるでしょう。
聖書を読む際にも、その『本質』を理解出来なければ
危険な解釈をしてしまう恐れがあるという事ですね。
たとえば、
小学生に「廊下を走ってはいけません」と教えた際に
その理由を聞いたら「先生がそう言ったから」とだけ答える子もいますが
勿論、これは『本質』を捉えた答えではありません。
「大勢が行き交う屋内で走ると予期せぬ事故が起こる危険があるから」
という答えが『本質』をついた答えという訳です。
仮に、もし先生が「廊下を走っても良いよ」と言ったとしても、
事故が起こらなくなる訳ではありません。つまりそういうことです。
聖書を読む際も、
この『本質』を見抜けて初めて読んだと言えるのです。
例えば、十戒の6「汝、殺すなかれ」の本質は何かを考えると、
もし人を殺した場合、周囲の人間に自分も殺されるかもという恐怖を与える事となり
集団からの孤立や排除、最悪殺される恐れも出てくるので
自分の生存確率を著しく落としてしまいます。
では、十戒の5「汝、父母を敬え」の本質は何でしょうか?
2000年前の当時は、子供の生殺与奪の権利は親が持っていました。
もし飢饉で口減らしをしなければならないといった状況に成った場合
将来性もあり従順で親に懐いた子供とそれ以外であれば、
どちらが選ばれる確率が高いかは明らかでしょう。
子供が非行に走った場合に親が責任を取って子供の命を奪わなければならない
といった部族的な習慣を持つ人達が居るのも確かです。
つまり、親を敬った方が自分の生存確率が上がる訳です。
そうやって、読み解いていくと
聖書の教えの『本質』は
「お前はちゃんと生きろよ」
と私たちに伝えている事が解ります。
その『本質』さえ、ちゃんと理解出来ていれば、
輸血を拒否する事がどれだけ的外れな事をしているか解ると思います。
恐らく「レビ記」17章10節の
「血を食べるな」という教えから来ているのでしょうけれど
これを『本質』で考えたら、恐らく感染症対策なのではないかと考えられます。
「ヨハネの福音書」には、
「イエスは私の肉を食べ血を飲む者は永遠の命を得られる」とも
書いてありますし。。。
結局、
聖書は2000年前に書かれた地図と同じなのですよね。
歴史的な価値も芸術的な価値もありますが、
それを、そのまま使って目的地を目指そうとしたら
必ず道に迷う事になるでしょう。
だからこそ、現代の地形に合わせて
アップデートしていく必要があるものなのだという事です。
元来、その作業は教会の役目であった筈なのに
何を勘違いしたのかチャールズ・テイズ・ラッセルさんは
その機能を取り除いてしまった訳で、
それ故に起こった悲劇なのでしょうね。
この激動の時代、
「エホバの証人」も変わっていく必要があると思います。
教会が無い以上、一人一人が
聖書の内容を額面通りに受け取って鵜呑みにするのではなく
ちゃんとその『本質』と『意図』を読み解ける人間に成る様に
教えを説いていく必要が有るのではないでしょうか。
無駄に迷える子羊を量産するのではなくて
ちゃんと救ってもらいたいものですね。
ちなみに、
選挙会場で『投票所来場カード』なるものを配布していたのですけど
コレなんの意味があるのですかね?
また下らない事に血税を使いやがって…とか思いましたが
どうやらコレ「投票したことを表すもの」として
欲しいという要望があったから作ったみたいですね。
・・・これを要望した人の意図って、
赤い羽根募金の羽みたいに投票した事が一目で解れば
同調圧力の強い日本であれば、選挙に行く事を促せるのではないか
という考えから要望したものなのでは?
であれば、
こんな紙切れ配布しても何の意味も無いのでは?
と、ちょっぴり物悲しく成りました。
だから物事は『本質』で考えないと、こういう空回りが起こるのですよっ!