美国港から出る海底探勝船「グラスボート」『ニューしゃこたん号』(昭和46年6月初就航)に乗りますと、美国港~宝島~キト浜周遊~美国港で約40分程の船旅を楽しんで頂けます。
あの宝島周辺は海中公園にも近く、船底からは澄み切った海中を通して、魚や海藻の生態を観察したり、海底を探検する事が出来るのです。
積丹町にとっては今も宝島は観光の目玉であり『宝の島』なのです。
(海中公園第一号はビヤノ岬とタテ岩を結んだ線の内側9・5haの海域を言う)
ニューしゃこたん号航路:美国港~宝島~キト浜周遊~美国港 所要時間約40分 定員78名(19t)
運行時間:8:30~16:30 不定期 ※月により変更あり(要問合せ)
運行期間:4月下旬~10月下旬の毎日(悪天候欠航・要問合せ)
料金:大人1名¥1900・小人1名¥950(団体割引他要問合せ)
問合せ 『積丹観光復興公社』 積丹町大字美国町字船間1979-2
TEL (0135)44-2455 FAX (0135)44-2460
北海道虻田郡ニセコ町有島に有る、有島記念館へ行って来ました。
有島記念館と記念公園
教会を思わせるモダンな記念館には、農場を解放したときの資料のほか、武朗の遺品や手紙などが展示されていて、有島文学の案内役もはたしています。
また、記念公園は、彼の小説にちなんだ「一房の葡萄」「泉」「星座」「生まれ出ずる悩み」などのコーナーが設けられていて、「有島文学の里」と名付けられています。
有島武朗は、札幌農学校を卒業し、北海道大学(当時、東北帝大農科大学)の教授も勤めた人で、後に作家生活に入りました。
「或る女」「生まれ出ずる悩み」など、多くの名作を発表し、このあたりを舞台にした「カインの末裔」では、戦前まであった、大農場で働く小作人の姿をえがいております。
北海道では、大正の中ころから小作争議が活発になりますが、父の武から農場を受け継いだ武朗は、大正11年、「水・空気・土地などの自然のものは、個人が持つべきではない」と、農場解放の宣言を行い、450haの土地をすべて小作人(69戸)に共有農場として解放したのです。
当時としては、まさに画期的なことでした。
現在、その農場跡には「父、有島武これを開拓し、子、武朗これを解放す」と刻まれた、有島解放記念碑が建てられています。
はーい 大盛りタラコパスタ🍝が美味しそうに出来上がりました。
(^^)/~~~
北の美術豪邸・旧青山別邸
大正12年に完成したもので、敷地面積約1500坪の中に和室14、洋室1と15部屋ある建物が建てられています。
中曽根家の別荘として使われておりましたが、昭和63年8月に札幌市の佐藤辰雄氏が購入され、約1年間そして1億円以上かけて修復工事を致しました。
平成元年4月から一般に公開されるようになりました。
(青山家の母屋は祝津に在りましたが、4代目青山馨氏よって北海道開拓村に寄贈・移築され、一般公開されています。)
さてこの建物の元々の持ち主だった青山家です。青山家と申しますと祝津のニシン場親方の3本の指に入る程の大網元でした。
最盛期には祝津だけでも大小100余棟の建物を所有していたと記録されております。