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小樽の酒造史
昭和5年(1930年)の全国酒類醤油品評会において、道内出品79点のうち49点が入賞し、受賞率は全国一にまでなりました。それはじょうしつな水と貯蔵環境という天恵に加えて、道産の酒造米研究や杜氏の技術向上に向けた努力の成果と言えます。
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創業明治32年(1899年)の小樽の酒蔵
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小樽の酒造史
北海道では明治初期には、自給できるほど米がとれず、その米を原料にしてつくる清酒は本州からの移入に頼っていました。北海道最初の清酒造りは、慶応2年(1866年)に高島運上屋において、醸造されていた記録がありますが、米は勿論、麹や醸造設備など全てを移入しなければならず、品質は悪い上に量も少なく、本州産とは比べるべくも有りませんでした。
その後、各地で向上の努力がはらわれ、道産米も研究されて行きます。
昭和5年(1930年)の全国酒類醤油品評会において、道内出品79点のうち49点が入賞し、受賞率は全国一にまでなりました。それはじょうしつな水と貯蔵環境という天恵に加えて、道産の酒造米研究や杜氏の技術向上に向けた努力の成果と言えます。
小樽
明治に入ってからは、小樽·岩内·古平·島牧などで清酒の醸造が始まっていますが、これは北前船寄港地としての原材料調達の地の利によります。
ただし零細な個人商店であり、交通手段も未整備で販路も限られていました。
開拓が進むにつれ、商業によって本州産の酒を仕入れ全道に販売していく商人が台頭してきます。大家支店、板谷合名会社、宅合名会社などは、さかい·灘·伏見·越後の酒の特約店となって独占販売していきます。
明治21年(1888年)には小樽高島両郡酒造組合が創立されるほど増え、明治27年(1894年)には27カ所を数えるようになります。め36年(1903年)には醸造戸数22戸、明治38年(1905年)の醸造石高は23209石で全道一、明治後期には小樽は北海道の主要酒造地の位置づけになりますが、大正7年(1918年)には旭川·札幌に抜かれ3位になっていきます。ただこの段階でも、道産酒は全消費量の65%で、残りは移入でした。販路は、道北各地や樺太にも及んでいます。
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