被爆60周年のこの式典に 急遽三刀屋町訪問団に加わることとなり 参列しました。 車で早朝長崎着、まづ6時からの浦上天主堂に早朝ミサ。 式典開始までの間、長崎如己の会浜里会長の案内で、原爆資料館、新しい国立平和祈念館、爆心地広場など 午後は混雑しとても入れないところをご案内していただき、10時40分からの式典会場へ。 すでに満席のため、入場規制の行われていたところを全員うまくすべり込みました。 式典は1時間でしたが、すっきりとしかも力強く、感動ものでした。 なんと言っても暑かった。原爆が落ちて 先ず人々は水を求めて・・・式次第に献水があったり、祈念館は水を意識したデザインの建物で。 11時02分せみしぐれが一段と大きい中での黙祷。 市長の平和宣言 被爆者代表の平和への誓いは迫力満点 小泉総理もあいさつ・・・
午後は永井隆名誉市民の墓地に献花の後、長崎大学医学部で開催中の 同大学被爆60周年記念展へ回り、博士自筆の救護報告書(今回見つかった)など貴重な資料を拝見できました。 夕食に永井記念館の永井徳三郎館長(博士の孫)、久松シソノ長崎如己の会副理事長(このたび国際ナイチンゲール賞を受章)、浜里会長、永井歌子さん(故・誠一さんの奥さん)を迎え、交流会が持たれました。 久松副会長が、「今日 飯石小学校の子たちにお話をしましたが、とても立派な態度でした。すばらしい。うれしくなりました」。 教育の大切さを切々とお話になり、感動のひと時でした。 「今後ともこの交流を大切にしましょう、博士のうわさをすれば、せんせいは、天国で笑って下さっていますょ」 夜は 平和音楽祭や、万灯流しなど 時折アンゼラスの鐘の流れる長崎の町は、世界平和を強く訴えた暑い一日でした。 飯石小の児童たちも忙しく心に残った一日だった様です その様子は9月11日平和賞発表式典で。
終戦60年 縁あってのヒロシマ、呉、ナガサキ 心の旅でした。 写真ソフト夏休み中
午後は永井隆名誉市民の墓地に献花の後、長崎大学医学部で開催中の 同大学被爆60周年記念展へ回り、博士自筆の救護報告書(今回見つかった)など貴重な資料を拝見できました。 夕食に永井記念館の永井徳三郎館長(博士の孫)、久松シソノ長崎如己の会副理事長(このたび国際ナイチンゲール賞を受章)、浜里会長、永井歌子さん(故・誠一さんの奥さん)を迎え、交流会が持たれました。 久松副会長が、「今日 飯石小学校の子たちにお話をしましたが、とても立派な態度でした。すばらしい。うれしくなりました」。 教育の大切さを切々とお話になり、感動のひと時でした。 「今後ともこの交流を大切にしましょう、博士のうわさをすれば、せんせいは、天国で笑って下さっていますょ」 夜は 平和音楽祭や、万灯流しなど 時折アンゼラスの鐘の流れる長崎の町は、世界平和を強く訴えた暑い一日でした。 飯石小の児童たちも忙しく心に残った一日だった様です その様子は9月11日平和賞発表式典で。
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