飯石山寿福寺護持会で曹洞宗大本山総持寺 に参って来ました 今年は能登から横浜に移って100年目にあたり そのお祝いが行われています そこで護持会で参拝団(34名)を作って参ってきました 鶴見の丘に15万坪 巨大な建物ぞろいにビックリ。 火災に対する危険分散も考えられて お彼岸 丁寧な説明に感謝でした 横浜中華街で昼飯 街は日曜日でわんやわんや
午後は これも永平寺 総持寺に次ぐ格式をもつ大雄山最乗寺(南足柄市)に参拝して 箱根の宿に 帰りは箱根駅伝5区をバスで山登り(国道1号) テレビで見るより狭くきつい坂でした ここの勝者はその後の選手生命・・・ 総持寺 大雄山最乗寺
永平寺参拝以来9年目の本山参りだった バス(車中泊)に不安もあったが皆さん添乗員さんがビックリするほど元気 後半は買い物の旅・・・・・・ 伊勢湾岸道路~新名神は始めて走ったが快適 次は5年先くらいか
飯石小学校(飯島良子校長)は平和教育に力を入れ 永井隆博士を6年間勉強し その仕上げが長崎市訪問研修である 一方ふるさと学習への熱心な取組みも行われ 今回その教(人)材として 多久和出身の高尾正徳さん(1915~1990)が取上げられ 私にお話しの依頼が来た 5、6年生9人に1時限 あの人の生涯についてお話した 永井隆博士に診断書を書いてもらっていること 須山清子先生に夏休み本読みしていただいていたこと 等々 「大きいおばあさんは93歳 知っちょられーかも・・・・」 彼の家では晩飯の話題になっているかも
おまけに「お札の識別マーク」について この方がへー・・・・
月末には現地研修として松江市のライトハウス・ライブラリー(点字図書館ほか)を見学する予定である [先人に負けないようしっかり学んでほしい]と最後に付け加えておいた
私の同級生は48人だった いま1/10 閉校論議も時代の流れか
第21回のこの賞発表式典が三刀屋であった 今日は東日本大震災3・11から半年 アメリカの同時テロ9・11から10年という日 永井徳三郎長崎永井隆記念館館長のあいさつにも「・・・まさに平和賞にふさわしい日 ・・・永井隆も放射能との戦いでした いま福島の皆さんも・・・・」 天災と人災 放射能は人災です 今年は博士の没後60年 いずれの作品も近年にない秀作ぞろいでした 小学校低学年の部最優秀賞田中くんのお母さんは3年前の一般の部最優秀賞に輝いたひと 「良い作品は何かを考えさせる」(寺脇 研)
21回永井隆平和賞入賞作品 9月16日からここでご覧になれます