何故か本日は己の回顧論を書く気持ちが強い。
人生に若しかしたらとかifは無い、しかし分岐点は数多く有る右道か左道か迷う。
後に後悔か成功か予測出来ない、前ブログの引用が多いが書きます。
先ず最初は小三の二学期だった、私が教師嫌いなのはご存知でしょうその時事件は起きた。
昔から勉強は嫌いで全くしなかった、でも何故か成績は上位だった。昔クラス委員のシステムが有り1,2,3学期で3人づつ選ばれた、高専時代は可笑しな奴や変人を選んだが当時は成績の良い人が選ばれた1学期は無理でも2学期は期待していた。
当然2位で選出された処が教師から待ったが掛かったのだ、4位に地元の金持ち息子が選ばれていた。御教師の御言葉で有ります今でもシッカリ脳裏に残っている。
○○君は身体が弱いから冬は寒く私と交代しろとのお言葉だ有難く頂戴頂く方法しか無いだろう、結果3学期の選挙は無くなった、3学期に彼が選ばれる可能性は無いかも知れないのに不思議だった。
遠足に彼の家を訪ねる時も有った、築山も有り広大な屋敷だった当時憧れの的の鉄道模型Oゲージがセットされてる部屋も有った、従兄が国会議員を一期選ばれた次には落選している家系だ想像すれば教師との関係も理解出来るだろう。
先ず最初に悔しかったのは、親父と約束の手動式の鉛筆削り器を買って貰えない事だった、お袋に学校に抗議して欲しいと頼んだが首は振らなかった。
現在では大問題に発展するは事は必至だろう。
その時親父との約束は悔しかったが、御先生様には大して不服感情は湧かなかった世の中こんなものかと悟って居たのが半分ある、こんな育ちをしていれば捻くれ者に育つのは当然だろう。物事見つめる時決して正面から見ない後ろ下上斜め色々な見方をする、一つの悲しい私の人生分岐点で有った。
その後高専時代教授の教科書検定官(調査官)の事も有り国家を信用出来ない。
分からい方は前ブログ参照下さい、ただ教師全員ではでは無い現国の講師で小説の解説に女の濡れ方を堂々説明したスケベ講師には尊敬と至らずが親近感は有る
また他に前ブログで得意の猥褻漫談パート1で書いて居りますので宜しく。
補足
今日18時ころアクセス解説欄を見ていたら、右側の数字が25迄上がり赤線5本が立ち内3本が20を超えた瞬間が有りました驚きです、30の数字1度見ましたが25も稀です、その時期に1記事載せましたが10PV位です只アクセスページ欄を見ると10位まで5SPは超えてます。2,10,11ページの参照が多く不思議ですね。
現在も25の数字で表されております、ただこの記事ですが寅さんシリーズが好きで
視て途中で書いたので時間差承知でご思考ください。理解出来る読者の方いらしましたらコメント是非お願い致します。