この童話ご存知でしょう。
大晦日の夜、貧困な少女がみすぼらしい姿でマッチを売る話だ。家には冷酷な父が待っておりマッチを売り切らなけば成らない。雪の中馬車に撥ねられ母の形見の木靴を見失い素足で凍える、しかしマッチは売れない。
少女は最後の賭けに出た、マッチを灯し暖を取った灯す度に幻想を見る最初は暖かいストーブで次は美味しそうな鵞鳥の料理、クリスマスツリーと続き。
天を向くと流れ星が流れ、少女は可愛がってくれた祖母が「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴なのだ」と言ったことを思いだした。次のマッチをすると、その祖母の幻影が現れた。マッチの炎が消えると祖母も消えてしまうことを恐れた少女は、慌てて持っていたマッチ全てに火を灯した。祖母の姿は明るい光に包まれ、少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。
新しい年の朝、少女はマッチの燃えかすを抱えて幸せそうに微笑みながら死んでいた。しかし、この少女がマッチの火で祖母に会い、天国へのぼったことは誰一人知る由はなかった。
読者の皆様の感想は人それぞれ違うでしょう、しかしこの場面で登用したには理由が有る。昨日の(コロナで夜?の女の悲惨)が閲覧数最低記録を作ったのだ、私としては特殊な内容で渾身の力作と感じたが反応は薄かった。恥ですがインチキを話します最初で最後ですが自分で読みアクセス数を増やしランクを上昇したのだルール違反故もう絶対にしません、しかし反応は薄かった。
セクハラが混じるかも知れないが失礼、SEX人類存続には必要不可欠だ故に神様は煩悩として与え悦楽感も共にしたのでしょう。最愛の人ととの行為の時は最高に幸せな時間で有り重要な場面でしょう。
話は本題に入る、実家が遊郭の近辺でよく遊びに行き。やり手婆や娼妓さんとも顔見知りに成った年増が多かったが中に戦災にて戦争孤児に成り未だ少女に感じられる若手も居た(昭和33年3月31日)のブログ参照下さい、そんな関係でこの分野興味があり詳しい。
娼妓に成った理由が実に哀しい貧困と当時の女性の知恵の無さに有ったのだろう、今時の娘は中途半端な知恵が着きエンコウ等不埒な行為が大嫌いだ。
しかしシングルマザーや他の原因で貧困者は少なく無い、売春に走る者もいるかも知れないマッタ!犯罪である止まろう。しかし売春禁止法にも抜け穴が有るのだ、本番は犯罪だが似非異性行為には罰が無いのだ、上手く法解釈して本番無しで女を使い風俗営業をしてる店も有る、詳しい内容は続編にしよう。
何故マッチ売りの少女を題名に使っただ?裏話だが彼女は売春婦との解釈も有る。
野坂昭如や水木しげるが書いて居るが、マッチの点灯している時間女性の露わな姿を見せる商売が大阪には実際有ったそうだ。正式には売春行為とは呼ばないだろう、それが世に広まり童話が偏見されて居るのは残念です。
作者の名はハンス クリスチャン アンデルセンであるミドルネームから崇高なクリスチャンだと思いたいです、貧しい者に手を差し伸べない上流階級を皮肉ったとも言はれるし。(死ぬ事でしか救われない)現実です、もはや寒くも無いし 空腹も無く心配も無い神に召されたのだろう。色々な解釈が有ります皆様お考え下さい。
しかし亡くなった時の笑顔私には想像が着かない、奥深い童話と想像する。
補足
織田作之助の作で握り飯一個で女が抱けた時代と、現在デリヘルガ3000円から
の時代を考慮して書く積りです宜しく。