今日は昔話気軽に面白く書こう。
私が勉強嫌いで変人遊び専門は読者の皆様ならご存知でしょう。
面白い事件が小五の時に起きた、私の小学校は街の中心に有り越境生徒が多い一応名門市立小学校でした。
何故か算数の研究学校に選ばれた、お陰で大変な目に合うのだ毎日ガリ版刷りで算数の宿題約50問出されるのだ、宿題大嫌いだ忘れた(正式にはシナイ)と教師に言いシラバックレル、母親が呼ばれ怒られた。
しかし今度は従わなければ成らない、初日は真面目に遣ったが次の日から夏休みの宿題同様姉を頼った、今なら電卓使うが当時は無かった。
しかし或る発見をした教師が宿題問題を採点していないのだ、そうだろうクラス60名居て50問で計3000問だ其れが毎日だ教師も辛いだろう。
現在のジョークですが教師の親を呼付け注意したい心だ、何とその日から宿題自分で始めたのです、不思議に思うでしょう。
私は悪知恵と遊びの自称天才で有る、回答全部出鱈目で有る採点無しないらバレないと思った。しか天罰は何時か来る。
突然教師が宿題を隣の女の子と交換して採点すると言い出したのだ、己で採点出来れば半分出鱈目で正解にしてその場は逃げられただろう、しかし駄目だった。
隣の女の子美人だが性格ブスだ、採点後手を挙げて立ち上がり「先生○○君0点は可笑しいです」と直訴したのだ、俺は慌てた確かに勉強は嫌いだが実力からすれば80点以上は取れるだろう、勿論母と共にお説教受けた。悔しかった。
話し中2時代に移る、読者の方私の顔知らないでしょう十人並の普通人です、でも今は禿げ爺に変身しています。
当時モテたとは思いませんが、ヒョウキンな冗談好きで成績も未だ良く人気は少々有ったと思います、その時期美人感よりボインでセクシー感の強い女の子と同席に成りました頭脳明晰で話も合いました、徐々に親しくなり宿題彼女に任せる迄の関係に成りました、偶に弁当も作ってくれました。
授業中もナイショ話でした、内容は猥談が多かった気がします今の姿勢彼女の影響大です、言葉上ですがペッティング、ネッキングその他彼女に教わりました。
秋の遠足の帰路、彼女の家に招待されました、ですがシャイな性格です心では喜ぶが素直に表現出来ないのです、もし訪れていれば初キスのチャンス有ったかなと思い今でも心が躍る事が有ります。
その後彼女は名門女子高校に進みましたが転勤族の娘故、横浜に転居され早大に進んだと聞いて居ります、送別会が行われましたが我々は中学1、2,3年クラスが別でした、でも私と同じクラスを選んでもらい縁を感じましたしかし彼女は転居後で逢える事は出来ませんでした、クラス会開催しても高校の同窓会名簿には記載無く連絡は付きません。
懐かしい青春時代の思い出として心に有ります。