1日、80歳で亡くなられたことが、母国や元所属クラブ等の現地メディアを通じて発表された。
元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が死去 元所属クラブが追悼声明「サッカーをはるかに超えた影響力を持っていた」(FOOTBALL ZONE)#Yahooニュースhttps://t.co/056eTEfTTh
— take‐05 (@take05fromm) May 1, 2022
オシムさんが日本に来なかったら、本邦の30代後半以上のサッカーファンは未だに、その日の試合の勝った負けたレベルの内容の論議しか語れなかったと思うよ。ジェフユナイテッド市原・千葉もあそこまで一目置かれることもなかったはず。それだけのインテリジェンスをもたらしてくれた。
— take‐05 (@take05fromm) May 1, 2022
しかし、オシムさんをリアタイで知る方は明らかに30代後半以降の方になるよな……。2000年以降生まれの若い方には、オシムさんのインテリジェンスとかイマイチ分からないのかも知れない……。
— take‐05 (@take05fromm) May 1, 2022
確かに、日本サッカーを語る上での「論客」としてのオシムさんは超一流で
喋る内容が一つ一つ面白いしブラックユーモアもひたすら聞いていた。
ジェフへの最期のコメントとなった佐藤勇人への掛け合いなども
死の直前まで変わらない方だった。
【イビチャ オシム元監督の訃報に接して】2003年から2006年まで監督を務めたイビチャ オシム氏が、5月1日にご自宅のあるオーストリア・グラーツにてご逝去(享年80歳)されました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。https://t.co/6GdV5y6oKS pic.twitter.com/mfOJT761x9
— ジェフユナイテッド市原・千葉(公式) (@jef_united) May 1, 2022
【ジェフにだけ残るオシムの言葉】オシムジェフを知らないジェフサポは公式の試合結果アーカイブを是非読んでみてほしい。私もすべての試合を観た訳ではないし、憶えているわけではない。でも、オシムが残した言葉は色褪せない。オシムの記者会見録が読めるのは恐らく唯一。https://t.co/yHh8zeKyHQ
— Nobuhiro Kankura (@kan_nov) May 1, 2022
ただ、代表監督として(病気で倒れることなく)ずっと指揮を執って欲しかった
という昔を懐かしむファンの意見には少し抵抗を感じる。
ずっと指揮を執って欲しかったというのならば、ジェフユナイテッド市原・千葉の
ファン、サポーターに申し訳が立たない経緯があるからだ。
なお、代表監督としてのオシムさんは今振り返ってみると少々采配や選手起用法に
疑問符の残る部分があった所は確かにある。
教え子として当時ジェフの羽生直剛や山岸智を連れてきて起用しつづけていたが、羽生はともかくも
山岸は代表選手として戦っていくうえでの能力・経験が不足していたと、今でも思う部分がある。
今でこそ代表の両サイドバックの代名詞として名を残すことになった長友佑都、内田篤人の両名は
オシムさん以後にA代表デビューを果たしており、オシムさん時代は阿部勇樹を左サイドバックに起用したり
遠藤保仁を右MFに起用したりと今見ると後の不動のポジションではないことを伺うことが出来る。
キリンカップ・モンテネグロ戦(2007年6月)
キリンカップ コロンビア戦(同)
この頃はまだ代表の記事もブログに書いていたものだが、その感想も我ながら結構手厳しい(苦笑)
アジアカップ準決勝 サウジ戦(2007年7月26日付)
当時、オシムさんの代表監督の来歴に傷が付くきっかけとなったアジアカップでは
守備がマンマークだからドリブラーに弱いなんて、看破してしまっているし・・・。
(なお、この大会で3位以内に入れば、次のワールドカップアジア1次予選は参加免除となり強化日程に余裕が持てることになっていた。
この後、3位決定戦となった日韓戦において何故かメンバーを落とした構成で挑みスコアレスPK戦の末、3位を逃す結果になっている。)
時代が違うだろうと指摘されるかも知れないが、代表監督としての采配の的確性や勝負強さという面においては
後の岡田武史氏(第二期)やオシムさんと同じ東欧系監督でいえばハリルホジッチ氏の方が結果を出されていたと思う。
やはり、オシムさんでもっと見たかった姿は他サポながらジェフユナイテッド市原・千葉での監督としての姿だろう。
本当にジェフ時代の氏のサッカーは第三者的に見ていても楽しいものだった。
ジェフが勝っても負けてもね。
2005 J1 第6節 ジェフ千葉vs鹿島アントラーズ(2005年4月)
ナビ杯予選リーグ第7日 千葉vs清水(1-0)(2006年5月)
まだ出来立てだったフクアリで指揮を執るオシムさんの姿はもっと長く観ていたかった・・・。
トルシエで芽吹いた代表を含めた日本サッカーを批評する流れがジーコ時代に一時憚れるような空気になった反面、
ジェフユナイテッド市原・千葉を通して、自由に語っても良い、ブラックユーモアを交えた面白いサッカー話を語るには
どうしたらいいのかといったお手本を示してくれたのがオシムさんだったと思う。
オシム語録もかなりヒットしたし。
結局、彼の話ぶりの面白さを越えることの出来る日本人は当時ついぞ現れなかった。
日本代表監督退任後も日本サッカーを気に掛けてくれた事の方が、監督として指揮を執っていたことよりも
大変ありがたく貴重なものだったのかもしれない。
氏の暖かい励ましの言葉には監督を務められていた時よりも何度も救われたような気がした。
そしてオシムさんの言葉を日本語訳として紡いでくれた間瀬秀一氏、千田善氏をはじめとする通訳の方々や
電話等のインタビュアーとして記録していただいた田村修一さんの功績なども忘れらないなと。
【オシムさんのメッセージ】▪️チームの監督やスタッフ、選手たちを信じてあげること▪ 自分の体の一部、分身として考えてあげること▪ もし結果が出なくても我慢する▪ 10年に1度でも良い結果を出したり、すごい良い試合を目撃することが幸せだと思う熱心なサポーターになってください https://t.co/ngV3PsakbW
— 澤野 雅之 | Masayuki Sawano (@masawano) May 1, 2022
00年代の日本サッカーを語る上で、多大な影響を与えてくれた氏の悲しいニュースは
今はただ、本当に寂しく、一人のサッカーファンとして深く哀悼の意を表したいと思います。
とりとめもない文章になりましたが、この辺で。
R.I.P.・・・・。
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