武本比登志ポルトガルスケッチ&油彩

ポルトガル在住絵描きのポルトガル淡彩スケッチ日記と油彩

2713. セジンブラ城

2022-02-03 14:59:43 | ポルトガル淡彩スケッチ

2022年2月3日(木曜日)曇り時々薄晴れ。19℃-18℃~6℃-5℃。降水確率0%。湿度94%(7:55)59%(14:38)。紫外線量3-2。北のち西の微風。東の空に雲が多く日の出は見られず。昼間も陽射しは弱く寒い一日。

『きょうのポルトガルTVニュース』ルイ・リオ党首のPSD危機。1月としてはポルトガルの乾燥記録。モイメンタ・ダ・ベイラダムの水は19%。COVID-19隔離病棟は軽減。血液不足でPSP警察官が献血。フンダオンでリチウム探鉱、今後に期待。CGD銀行行員のサラリーは0,9%アップ。イージージェットはポルトからポルト・サントに路線拡大。ロシア、ウクライナ危機で東欧にNATO?から3000人の兵。ロシア、ウクライナは外交交渉の日。ウクライナはこの8年で1万4000人の兵士が命を落とす。シリアでテロリストのアジト外を誤爆13人が死亡。アフガニスタンに寒波。寒さと空腹で多くの子供の命を奪う。ジル・ヴィセンテに2対1で敗戦したベンフィカはルイ・コスタ理事長が嫌悪感。

『昨夜の映画』は

セブン・イヤーズ・イン・チベット』(Seven Years in Tibet)1997年。アメリカ映画。139分。監督:ジャン=ジャック・アノー。アイガー初登頂で知られるオーストリアの登山家ハインリヒ・ハラーの自伝の映画化。彼がチベットで過ごした7年間、彼と若きダライ・ラマとの交流を描く。1939年秋、登山家ハインリヒ・ハラーブラッド・ピット)は世界最高峰ヒマラヤ山脈への登山に向かった。時悪く、第二次世界大戦のためにインドでイギリス軍の捕虜となってしまった彼は脱獄し、チベットへと行き着く。チベットの首都ラサで生活をしていたハラーは、当時14歳で好奇心旺盛なダライ・ラマ14世ジャムヤン・ジャムツォ・ワンチュク英語版))と出会い、親しく交流する。ラサでの日々がハラーの荒んだ心に変化をもたらした。しかし、その生活も中国共産党の人民解放軍によるチベット国への軍事侵略によって終わりを告げることとなるのだった。他に:デヴィッド・シューリス。(Wikipediaより)

武本比登志の油彩No.475.

バトル・オブ・ライジング コールハースの戦い』(Michael Kohlhaas)2013年。フランス・ドイツの歴史映画。122分。 監督:アルノー・ドゥ・パリエールフランス語版)。原作:ドイツの作家ハインリヒ・フォン・クライストの小説『ミヒャエル・コールハース』。出演はマッツ・ミケルセンブルーノ・ガンツなど。 16世紀に実在したとされるハンス・コールハーゼドイツ語版)をモデルに。馬商人ミヒャエル・コールハースは、あるとき売り物の馬を数頭引いてザクセン領の市に向かうが、トロンケンブルク城の付近で通行止めに会う。以前にここを通ったときにはなかったことであるが、領主が替わって通行証が必要になったというのである。あとで通行証を貰ってくるからということで、コールハースは保証として黒馬二頭とそれを世話する牧童とを預けた上で目的の市に向かう。しかしドレスデンで、通行証が必要という話は嘘であったことがわかる。そして仕事を終えて城に戻ると、保証として置いていった馬はこき使われてすっかり痩せこけ、馬への虐待に抗議した牧童は追い出されていた。コールハースは新領主フォン・トロンカに弁償を求めるが、取り合ってもらえない。もともと不正を許すことができない性質であったコールハースは泣き寝入りできず、助言をうけてブランデンブルク選帝侯宛てに、ザクセン選帝侯への抗議を促す訴状を書く。しかしこれもトロンカの親族たちの根回しによって握りつぶされ、その上訴状を届けようとしたコールハースの妻は、衛兵からの暴力がもとで死去してしまう。 怒りに燃えたコールハースは、7人の仲間を集めて武装したうえで城を襲撃、城を打ち壊すことには成功するが、フォン・トロンカはヴィッテンベルクへ逃れる。逃げたフォン・トロンカを追ううち、食を失った賎民たちを取り込んで400人の規模まで膨れ上がったコールハースの軍勢は、フォン・トロンカをあぶりだすために街を焼き討ちにし、国中を恐怖に陥れる。そうするうちに、ライプツィヒのマルティン・ルターがコールハースの行動を非難する布告を出す。もともと信仰が厚くルターを私淑していたコールハースは、これを聞いてルターに面会を求め、こうなるに至った経緯を説明する。事情を知ったルターは選帝侯との間をとりなして、コールハースたちの武装解除を条件に不正事件の再審を認めさせる。事件は神聖ローマ帝国の高等法院で裁かれることになり、コールハースの訴えが全面的に認められた結果、フォン・トロンカには賠償と二年の禁固刑が言い渡される。一方で世間を騒がせたコールハースの罪も否定できず打ち首が決まるが、訴えが認められたことに満足したコールハースは慫慂として判決を受け入れる。 (Wikipediaより)

「ポルトガル淡彩スケッチサムネイルもくじ」

2691-2810 2571-2690 2451-2570 2331-2450 2211-2330 2091-2210 1971-2090 1851-1970 1731-1850 1601-1730

 

武本睦子作品No.019.

 

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