2019年2月19日(火曜日)晴れ。18℃~7℃。降水確率2%。湿度93%(7:55)。北の微風。紫外線量3。風も殆どなく快晴。今からクルマのバッテリーを外し、鉢植えを風呂場に並べ、3時間後、タクシーを呼び日本に向けて出発です。これを送信し、パソコンをシャットダウンします。
14:20リスボン発―フランクフルト・羽田経由―宮崎2月20日(水)19:30着の予定。
次回の日記更新はたぶん5月16日(木)か?
又、下記展覧会には是非お運びください。お越しをお待ちしています。
第8回 NAC 展
賛助出品:藤井満先生
出品:吉田定一、呉景萬、田中昭雄、武本比登志
2019年 3月4日(月)~ 9日(土)
マサゴ画廊 11:00-19:00(最終日17:00まで)
〒530-0047 大阪市北区西天満 2-2-4
℡ 06-6361-2255 / 搬入3月2日(土)17:30より
搬出3月9日(土)17:00
武本は(月)(火)(水)(土)にマサゴ画廊に居ます。
第4回 大阪芸術大学美術科4期生同窓展
2019年 3月9日(土)~ 20日(水)
Gallery キットハウス 10:00-19:00(最終日17:00まで)
〒558-0004 大阪市住吉区長居東 3-13-7
℡ 06-6693-0656 /携帯090-3270-5326(岩尾和子)
搬入 3月8日(金)14:00 / 同窓会16:00
搬出 3月20日(水)17:00
武本比登志/武本睦子 出品参加予定
『昨夜の映画』は
『グローリー/明日への行進』(Selma)2014年。アメリカの歴史ドラマ映画。124分。脚本:ポール・ウェブ。改稿・監督:エイヴァ・デュヴァーネイ。ジェームズ・ベヴェル、ホージア・ウィリアムズ、南部キリスト教指導者会議のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、学生非暴力調整委員会のジョン・ルイスによって先導された1965年のアラバマ州セルマからモンゴメリーへの行進を題材とし、デヴィッド・オイェロウォがキング、トム・ウィルキンソンが大統領リンドン・ジョンソン、ティム・ロスがジョージ・ウォレス、カルメン・イジョゴがコレッタ・スコット・キング、コモンがジェームズ・ベヴェルを演じた。第72回ゴールデングローブ賞では作品賞、主演男優賞 (両ドラマ部門)、監督賞、主題歌賞の4部門に、第87回アカデミー賞では作品賞と主題歌賞の2部門にノミネートされ、いずれも主題歌賞においてのみ受賞に至った。 (Wikipediaより)
『愛と哀しみの果て』(Out of Africa)1985年。アメリカ映画。161分。監督:シドニー・ポラック。主演はメリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード。1937年に出版されたアイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』をカート・リュードックが脚色。 第58回アカデミー賞作品賞ならびに第43回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞受賞作品。 物語は1913年のデンマーク、裕福だが未婚のカレン・ディネーセンが、友人のブロア・ブリクセン男爵に「便宜上の結婚」を申し入れるところから始まる。ブロアは貴族社会の一員であるものの、経済的に不安定になっていたため結婚に同意し、2人はアフリカに移住して酪農場を始めることを計画する。 英領東アフリカへの到着時、カレンはブロアとの簡単な結婚式を挙げ、ブリクセン男爵夫人となる。カレンは、様々な植民地の住人たち(多くは英国人)と出会い、友人となる。また、大物を獲るハンターのデニス・フィンチ・ハットンとも出会い、親密になっていく。しかし、ブロアが酪農場ではなくコーヒー農場を買うためにカレンのお金を使ってしまい、物事は彼女の期待していたものとは異なっていく。ブロアは、コーヒー農場に対しても本気を示さず、代わりにハンターになりたいと思っているのだった。便宜上の結婚であったとはいえ、カレンはブロアを想うようになるのだが、彼の浮気を知り悩まされる。さらに悪いことに、カレンはそんな夫のために(当時、命に関わる病だった)梅毒に罹ってしまい、デンマークに戻ることを余儀なくされてしまう。新薬サルバルサンによる長く辛い治療が必要であった。ブロアは彼女がいない間、農場の世話をすることに同意した。 カレンが回復してアフリカに戻った後、第一次世界大戦は終わりを迎えようとしていた。しかし、浮気性のブロアとカレンの結婚生活が変わらないのは明らかで、ついにカレンは、ブロアに家から出ていくことを求める。それからカレンとデニス・フィンチ・ハットンとの仲が深まり、2人は恋人同士になる。カレンは、2人の間を継続的な関係にしようと試みるが、やがてデニスのことを、まるでアフリカそのもののように、手にすることも手なずけることもできない人なのだと知る。デニスは、ぜいたく・所有・肩書きといったヨーロッパの習慣よりも、雄大な土地で牧畜生活を営むマサイ族の自由で素朴なアフリカを好んでいた。デニスはカレンの家に移ってきたが、カレンの、物や人までも「所有」したいという欲望を批判し、結婚することも自由な生き方をやめることも拒否し、ただ一枚の紙切れに過ぎない結婚が、デニスの彼女への愛を増やすことにはならない、と話す。カレンはそれを認めざるを得なかった。梅毒によって自らの子供を産めなくなったカレンは、学校を創って、読み書き・算数・多少のヨーロッパ式の習慣を、その地域の部族の子供たちに教えることを決めた。しかし、コーヒー農場は経済的困難に陥り、やりくりするために銀行の融資に頼らざるを得なくなる。農場は、始めてから数年が掛かったが、ついに良い収穫を上げるに至った。しかし壊滅的な火災が起こり、農場・作物・すべての工場設備が燃やし尽くされてしまった。 無一文になって、またデニスとの恋人関係も終わり、英領東アフリカが植民地ケニアとなる中、カレンはアフリカを離れデンマークの故郷に戻る用意を始める。カレンは、家を空っぽにして、自分のすべての贅沢品を慈善バザーに供出する。空っぽになった家に、その夜デニスが訪れ、2人は最後のダンスを踊った。デニスは、数日後にはまた戻ってきて、カレンの帰国の旅の出発点となるモンバサまで、彼の飛行機で送ると約束した。しかしデニスが戻ることはなく、飛行機が墜落して死んでしまったということを、カレンは聞かされる。全てを失い、カレンはンゴング・ヒルズでの葬儀に参列する。亡くなったデニスに代わって、カレンの召使いの長であるファラが、カレンをモンバサ行き列車に乗る駅へと送った。 カレンは後に作家・語り手となり、再びアフリカに戻ることはなかったが、アフリカでの経験について執筆した。 (Wikipediaより)
「ポルトガル淡彩スケッチ・サムネイルもくじ」
https://blog.goo.ne.jp/takemotohitoshi/e/b408408b9cf00c0ed47003e1e5e84dc2