生きる意味を問われたら、わたしは死なないから生きていると答えるしかない
でも、むかしは違った。やることが一杯あって時間に追われてたと思う。そのなかに、夢や目的と称するものも含まれていた
同時に、叶えられるかもしれないと期待も膨らんでいた。だから、一生懸命だったのだろう。そして、充実感もあった。
その頃は、そんなドタバタした日々が生きる意味だったのである
ところが、年をとるにつれて現実が見えてきた。また、どんどんシビアになっいると思う。叶わぬ夢と認め、自分の非力も認識せざるを得なかった。夢も希望もないって心境か
いま、わたしは高齢者と呼ばれる。また、忙しくする必要もなくなった。いま、漠然と日を送っている。その一方で、またぞろ生きるとは何ぞやと自分に問いかけている。わたしが納得できる時間にしたいのだ。
この続きは別の日に
自分から友達を遠ざけてきたわたし いまは一人ぐらし。
好きなだけ手抜きができていいけど、ポツンと独りでいるのはやはり淋しい それをいちばん強く感じるのは、月に一回、一時間を相手をしてくれる人とお喋りしたあと 当日はほんわかな気分で、ゆったりと眠れます。
孤独を好む人、お友達と楽しみたい人 さまざまでしょうが、わたしは口じゃ独りがいいと言うけど、堪らなく淋しくなるときもあるのです。
何でも自力で調べ、自分の責任でやるのって意外としんどいものなんですねぇ
いよいよ、自死遺族の会 愛称ひまわりの会がひらかれます。
六月十九日 シーノ大宮 七階会議室 午後二時から
埼玉県にお住まいの方で、自死遺族の方にかぎります。残された者の悲しさ辛さをわかちあう集まりです。
TEL 048-643-5651 シーノ大宮 または048-685-2294 カネダへお問い合わせください。
新春 おめでとうございます
今年はわたしの年 ひつじです。
あっと驚くような 善いことめざしてがんばります\(^o^)/